Movies 鑑賞映画

#379『馬三家からの手紙』(カナダ・2018)

2020/3/24@新宿K’s cinema

2012年10月にアメリカ・オレゴン州に住む女性が、ハロウィーン用の飾り物が入った段ボールを開けた。すると中から英語と中国語で書かれた手紙が出てきた。それは中国・遼寧省の馬三家(マサンジャ)という所にある労働教養所の入所者が、その非人道的な実態を告発する内容だった。女性は手紙を人権団体に送る。そして、これが全米で大きく報じられた。筆者はまもなく特定された。すでに出所していたのだった。これを知ったカナダ人映画監督が筆者に連絡をとり、撮影方法を手ほどきして現地の映像を撮らせる。加えて、筆者は入所していた労働教養所の様子をスケッチする。映画の中ではそれがアニメーション化され、拷問の場面などが再現される。筆者は何十通もの手紙を夜にベッドの中でこっそり書いている。あるときその1通が看守にみつかる。自分が書いたと口を割らせよう看守は何日にもわたって筆者を筆舌に尽くしがたい拷問にかける。しかし、筆者は沈黙を貫く。華奢な筆者のどこにそのような胆力が潜んでいたのか。

出所後も筆者は当局から様々な嫌がらせを受ける。ついに筆者は国外脱出を決意する。もちろんパスポート・チェックがある。ここで止められるだろうと思ったが、なぜかそこを通過してインドネシアに逃れる。ここで亡命申請の許可を待つ身になる。そこへオレゴン州から例の女性が訪ねてくる。これで温かくエンドになるかと早合点してしまった。筆者はその後、病歴がなかったにもかかわらず彼の地で謎の「病死」を遂げるのだ。

中国は2013年12月に労働教養所を廃止している。とはいえ、観終わって全く心は晴れなかった。


#378『スウィング・キッズ』(韓国・2018)

2020/3/18@シネマート新宿

朝鮮戦争時に国連軍が開設した巨済島捕虜収容所が舞台。ここには最大で中国共産党軍捕虜2万人、朝鮮人民軍捕虜15万人など最大で17万人の戦争捕虜を収容していた。米軍の将校である収容所の新任所長が収容所のイメージアップと捕虜たちの懐柔・融和のため、タップダンスチームの結成を思いつく。前職はブロードウェイのタップダンサーだった黒人下士官ジャクソンが指導者役を務め、北朝鮮軍捕虜の問題児ロ・ギス、民間人捕虜のカン・ビョンサム、中国人捕虜シャオパン、そして通訳の現地女性ヤン・パンネの5人でチーム「スウィング・キッズ」が誕生する。練習の光景などをみながら『フラガール』を思い出した。性は違うがジャクソンが松雪泰子、ロ・ギスが蒼井優だなと。クリスマス・イブには収容所内での公演が予定されていた。これが大成功を収めて、人種もイデオロギーも超えた厚い友情が築かれてめでたし、めでたしか。エンディングはみえたなと半分くらいのところで安心しきってしまった。なんでPG-12なんだ?

ところが半ば過ぎに、ロ・ギスの親友で筋金入りの金日成信者と北朝鮮軍の英雄であるロ・ギスの兄が捕虜として入所して、収容所内の空気が一変する。ロ・ギスにクリスマス公演中に油断している所長を射殺する密命が下される。あれあれ雲行きがあやしいぞ。そして迎えたクリスマス公演。5人は見事に踊り終え、さらにロ・ギスが1人で華麗に踊ってみせる。ますます次の展開が読めなくなる。そこで、客席にいたロ・ギスの兄が所長を狙撃する。逆上した所長は憲兵に「黄色いアカどもを全員射殺しろ!」と命じる。なんとジャクソンをのぞく4人が全員射殺されてしまうのだ。まさかの展開に慄然とした。

ジャクソンは帰国を命じられる。収容所を出るトラックの荷台に載ると、道ばたにむしろの下からタップダンスシューズがみえる。彼らの死体だった。何十年かしてジャクソンは観光ツアーで再び巨済島を訪れる。収容所は遺跡公園になっている。ジャクソンがロ・ギスと踊った回想シーンでエンドとなる。

「英語もできない野蛮人」と米兵が捕虜たちを罵るシーンが前半部分にある。野蛮人とまではいわないが、今も似たような空気がある。


#377『彼らは生きていた』(英ニュージーランド・2018)

2020/3/11@アップリンク吉祥寺

妻と観に行く。#375をドキュメンタリーとして復習できた。第1次大戦に志願して従軍した若者たちの前線での様子がカラー映像でよみがえる。カラーだけに迫真力がすごい。無残な死体の映像に何度も目を背けたくなった。ただ、オリジナルフィルムへのこの色づけは何を根拠にしているのだろう。その疑問がずっと頭を離れなかった。鑑賞後に読んだ映画評で納得した。「監督は最新のデジタル技術を駆使。帝国戦争博物館に保管されている膨大な記録映像を修復して着色し、バラバラだった映像の撮影速度を統一して自然な動きに修整」(1月31日付『朝日新聞』夕刊)。先に読んでから観ればよかったと後悔しても遅い。さらに、「ナレーションの代わりに、BBCが保存していた退役軍人のインタビュー音声を映像にかぶせた」(同)。これまた見事な手法なのだが、字幕が途切れず次々に出てくるので読むのに疲れた。なぜ志願したのかとの問いに「臆病に思われたくなかった」と語ったのが一番印象深かった。国家による同調圧力の醸成こそ最も警戒しなければならない。


#376『黒い司法 0%からの奇跡』(米・2019)

2020/3/6@新宿ピカデリー

1980年代にアラバマ州で起こった実際の冤罪事件に基づく作品。仕事帰りの黒人男性が警官に車を止められ逮捕される。18歳の女性を銃殺した容疑だった。本人にはまったく身に覚えがない。目撃証言だけが唯一の有罪の決め手だった。裁判で死刑判決が言い渡される。ハーバード卒の若い黒人弁護士ブライアン・スティーブンソンが、その無実の罪を晴らすために寝食を忘れて弁護活動に打ち込む。その努力が実って、再審の法廷で目撃証言は虚偽だったと証人は白状する。これで再審無罪かと思いきや、白人の裁判官は虚偽を裏付ける証拠はないとして、再審請求を棄却する。これにひるむことなく、ブライアンは冤罪事件をテレビ番組で取り上げさせることに成功する。世論は徐々に変化していく。州最高裁で検察側は新たな証拠を提出できず、無罪判決が言い渡される。

あらすじだけ書くとメデタシメデタシなのだが、実はこれはレアケースなのだ。アラバマ州をはじめ南部では黒人が黒人であるという理由で、白人の裁判官、白人だけの陪審員たちによって濡れ衣を着させられている。白人の弁護士も役に立たない。その現実が映画の随所に挿入されている。ラストシーンのあとの字幕で、アメリカでは死刑囚の10人に1人は冤罪で、おそるべき過誤率だとの字幕が出る。電気椅子での死刑執行のシーンもある。刑務官だけでなく何人もがそれに立ち会い、ガラス越しに執行の一部始終を見ることができるのにも驚いた。

 

#375『1917 命をかけた伝令』(独米・2019)

2020/3/5@シアタス調布

妻と観に行く。観ながら太宰治の『走れメロス』を思い出した。第1次世界大戦中の1917年4月のフランス。若いイギリス兵のトムとウィリアムが、重大な指令を最前線にいる司令官に伝えるよう将軍から命じられる。それはドイツ軍がいま撤退したのは罠で、追撃すると1600人の部隊は待ち構えるドイツ軍によって全滅させられるとの戦況判断だった。伝令となった2人は当初、至ってのんきにドイツ軍が撤退した無人の戦地に歩を進めていく。空き家に出くわす。空を見上げると友軍2機が敵軍1機を撃墜した。墜落する敵軍機を目で追っているうちに、その空き家に飛び込んできた。パイロットを助けだそうとすると、パイロットは銃剣でトムを突き刺す。パイロットはウィリアムに射殺されるが、トムもまもなく息を引き取る。これから向かう最前線には自分の兄がいたのだ。ウィリアムはトムの遺品をポケットに収めて、任務を続行する。やがてドイツ兵にみつかり必死で逃げる。ついには滝壺に落ちて川からあがるとそこに友軍がいた。これから攻撃する予定の部隊だった。ウィリアムはやっとの思いで司令官をみつけて将軍のメッセージを手渡し、司令官は攻撃中止を命じる。ぎりぎりで間に合ったのだ。そして、トムの兄にも会えて悔やみを言うところでエンドとなる。

第1次大戦は塹壕戦といわれる。映画の前半部分では、その塹壕内部の様子を2人の動きに合わせて十分にみせてくれる。全編ワンカットだからこその「名シーン」だとうなった。

#374『ジョジョ・ラビット』(独米・2019)

2020/2/17@TOHOシネマズ府中

妻と観に行く。ヒトラーを崇拝する少年ジョジョがヒトラー・ユーゲントの合宿に勇んで参加する。ところが、野ウサギを渡され、首の骨を折って投げてみろと言われてそれができず、周りから臆病者扱いされる。傷心のまま帰宅すると、実は母親がユダヤ人少女エルサを自宅にかくまっていることを知ってしまう。エルサに惹かれつつも、それとナチスの教えの間を葛藤するジョジョは、ついに短剣でエルサを刺そうとする。だが、剣先以上に短剣を押し込めない。母親はエルサのことがばれて、街中に首をくくられたままさらされる。その靴を抱きしめてジョジョは大泣きする。ジョジョがエルサに自由になったらなにがしたいと尋ねるシーンがある。エルサは踊りたいと答える。解放の日。エルサは通りに出て笑顔を取り戻して踊り出してエンドとなる。

重苦しい映画のように思えるかもしれないが、ブラックユーモアを交えたコメディなのだ。ただ、ドイツが舞台なのに台詞が英語なのはいただけない。というか、どこか醒めてしまって、完全に作品に入っていけなかった。


#373『パラサイト 半地下の家族』(韓国・2019)
2020/2/1@TOHOシネマズ府中

妻と観に行く。4人の家族が半地下でパラサイト生活をしている。スマホのWiFiも上階の住民の電波を拝借している。長男は大学を4回受けても受からない。その長男の大学生の友人が、留学するので自分が教えている女子生徒の家庭教師を引き継いでくれと言ってくる。応諾して家庭を訪ねると、半地下とは正反対の大豪邸だった。この長男は彼女の弟の家庭教師に自分の妹を、妹のずる賢いアイデアで運転手を自分たちの父親に、さらに家政婦に自分たちの母親を送り込んだ。企みがまんまと成功して4人は極貧生活から脱出できる目処がたった。

そこの家族4人がキャンプで不在の夜、彼らは豪邸のリビングで派手な酒盛りを繰り広げる。外は雷雨。そこに訪問者を知らせるチャイムが鳴る。4人は凍り付く。モニターをみるとやめさせられた家政婦だった。地下室に「忘れ物」をしたという。仕方なく招じ入れると、秘密の地下室があることを知らされる。前の住人が北朝鮮からの攻撃に備えて作ったもので、他人に知られたくないため今の住人にはそれを伝えなかったという。家政婦は前の住人の時からこの家に住み込みで勤めていたので知っていた。

「忘れ物」とは、なんとその家政婦の夫だった。こっそりと家政婦が食事を運んでいたのだ。地下室にはトイレまである。驚愕している4人のところに今度は家の夫人から電話が入る。豪雨でキャンプ場から退避してきてあと8分で帰宅する。夕飯のラーメンを用意しておけという。家政婦の母親はラーメンづくり。ほかの3人は散らかし放題のリビングの片付けと前の家政婦とその夫を地下室に押し込めるのに格闘する。そして、4人が帰ってくる。家政婦以外はリビングのソファの下などに隠れる。彼らが寝入ったのを確認してようやく家から抜け出す。

次の週末。庭で息子の誕生日パーティーを大勢の客を招いて開くことに。そこに前家政婦の夫が地下室から刃物をもって現れて、パーティーは流血の大惨事に。主人の日頃の「臭い」をめぐる差別的は発言に恨みをためこんでいた運転手は、その混乱に乗じて主人を刺殺してしまう。逃げ込んだのが例の地下室だった。生活の場は半地下から地下室へ変わったのである。しかも脱出できない。

現代韓国がすさまじい分断社会であることを、笑いにくるんで訴えかけてくる。地下シェルターと半地下と間の乗り越えられない壁。運転手役が映画『タクシー運転手』の主人公ソン・ガンホだったのはナイスキャスト。大笑いした。

 

#372『真昼の暗黒』(日・1956)

2020/1/27@現代国家分析の授業として

八海事件の裁判を題材にした名作。就寝中の老夫婦が惨殺された。犯行現場から捜査に当たったベテラン刑事は長年の勘から複数犯の仕業だと確信する。一人の容疑者を取り調べると、単独犯であることを迫真性を持って白状した。刑事のメンツにかけて、その「自白」を翻させるため、日夜厳しい取り調べというには生やさしいくらいの拷問にかけて、複数犯の犯行であることを「自供」させる。それに従って、その容疑者仲間で前科のある4人が「共犯者」として逮捕される。彼らも目を背けたくなるほどの拷問にかけて「自供」に追い込む。一審では全員に有罪判決が言い渡される。二審では熱意のある弁護士が担当になって、「自供」の不自然さを法廷で次々に指摘して単独犯しかありえないことを論証する。傍聴人はみな無罪を確信する。果たして判決は4人のうちの1人を首謀者として死刑に、当初単独犯を自白した容疑者を無期懲役に処した。死刑判決を言い渡された無実の容疑者が、拘置所の鉄格子から「まだ最高裁があるんだ!」と叫んでエンドとなる。

いったん刑事がこうと筋立てをたてると、それに沿うように自白がとられでたらめな調書がまかり通っていく。有罪慣れした裁判官は検察のいいなりである。しかも、厚労省の村木厚子元局長の逮捕にみられるように、これは決して過去の話ではないのだ。学生たちが裁判の怖さを肌身で感じ取ってくれればと授業で取り上げた。そこの学生、スマホいじってんじゃねぇよ!


#371『さよならテレビ』(日・2019)

2020/1/8@ポレポレ東中野

東海テレビ制作のドキュメンタリー映画といえば『ヤクザと憲法』をすぐに思い浮かべる。本作ではカメラは東海テレビ自身の報道局の番組制作現場をとらえる。NHKを除く在名テレビ局は4局あるが、東海テレビは視聴率で4位に甘んじることが多い。分刻みで示される視聴率データ、それに一喜一憂する幹部たち。やはり視聴率第一主義なのだ。

看板キャスターをメーンに据えて、大宣伝してはじめた夕方の報道番組の視聴率が伸びない。もはや若者はテレビなどみない。主たる視聴者は高齢者なのだ。それに合わせて、看板キャスターは1年で降ろされ高齢のキャスターが起用される。モニター室で、看板キャスターの突っ込み不足のコメントについて「SNSで叩かれるのを恐れているんじゃない」とつぶやいていたあるスタッフは、降板内定後の番組での彼のコメントをきいて「降板が決まって歯切れがよくなった」と評した。定年間際の裁判官がいい判決を言い渡すのと同じなのかと、おかしくなった。

派遣社員として報道局に入った若者は「使えない」として1年で首を切られる。それを「卒業」と称して花束を渡す幹部に、ベテラン記者が「そんなオブラートに包んだような言葉で」と吐き捨てる。顔を出さないことを条件に取材に応じた人物の画像処理を怠ってしまい、番組に本人の顔が流れてしまう大失態など。画面ではみえないところで様々な確執が交錯して番組がつくられていく。

〈記者はみなサラリーマン化して、権力の監視というマスメディアの使命など念頭にないのではないか〉と先のベテラン記者が語るシーンがよかった。

 

#370『存在のない子供たち』(レバノン仏・2018)

2020/1/5@アップリンク渋谷

妻に誘われて観に行く。舞台はカルロス・ゴーンが「高飛び」したレバノン・ベイルートのスラム街。手錠をかけた少年ゼインが裁判所に原告として登場し、両親を、自分を産んだことが罪だとして訴える衝撃的なシーンからはじまる。両親はゼインの出生届を出しておらず、法的にはゼインは「存在のない」ことになる。推定12歳として裁判は進められる。ゼインの手錠は少年刑務所で5年の刑に服しているためだ。その経緯を説明するため映画は過去にさかのぼる。

両親は子だくさんの一家を養うために、ゼインを小学校に通わせずに働かせていた。そんな苦境のなか、ゼインは妹のサハルをかわいがっていた。ところが、大家から立ち退きを迫られた両親はサハルを嫁に差し出してしまう。憤慨したゼインは家出をする。遊園地をさまよっていると、清掃員として働くエチオピア難民の少女ラヒルと出会う。少女といってもラヒルには赤ん坊ヨナスがいた。その子の面倒をみることでラヒルの住まいに居候させてもらうことになる。

あるときから、ラヒルは家に戻らなくなる。住まいも退去させられる。ヨナスを抱えてゼインはあてどないその日暮らしを余儀なくされる。身分が証明できれば公的扶助が受けられることを知ったゼインは、自宅に帰って証明書を父親に求める。父親は証明書ならたくさんあるといって、家賃の滞納・督促を通知する書類をこれでもかと見せつける。そして病院の証明書も。ゼインは嫁いだサハルが死亡したことを知る。家の包丁を持ちだして出て行く。

裁判にシーンは戻り、サハルの夫が車椅子で証人として出廷する。ゼインがその夫に半身不随の重傷を負わせたことがこれでわかる。裁判の終盤に母親が身ごもったとゼインに知らせる。ゼインは「子どもをつくるな!」と叫ぶ。自分のような境遇の子どもが増えるだけなのだ。

ラストはゼインの証明写真の撮影シーン。撮影者から「生まれてはじめての証明書なんだから笑えよ」と言われて、ゼインが本作全編を通してはじめての笑顔をみせる。すばらしい笑顔だった。

ゼインのような「存在のない子供たち」は、この世にあまた存在することだろう。胸がふさがる思いとはこのことだと痛感した。

#369『男はつらいよ お帰り 寅さん』(日・2019)

2020/1/1@TOHOシネマズ府中

新潟の実家で一人暮らしをしている母親を昨年11月に相模原の高齢者施設に入居させた。年越しには拙宅に招き、元日に母親も好きな寅さんを観に連れ出した。私は寅さんシリーズ49作のほとんどを観ているが、恥ずかしながら映画館で観たことはなかった。その贖罪も兼ねて22年ぶりの第50作を劇場で楽しんだ。

寅さんの甥の満男が小説家になっている。娘はいるが妻は6年前に病没している。満男の最新作が好評を得て、都内の書店でサイン会を催すことになった。たまたまその書店で満男の高校時代の恋人・泉が本選びをしていて、満男のサイン会に気付く。泉はヨーロッパ在住で難民救済の国際機関に勤めていて、出張で日本に来ていたのだ。満男は泉の登場に腰を抜かすほど驚き、今では両親の住む懐かしい「くるまや」へ案内する。すっかりおじいちゃん・おばあちゃんになった博とさくらが歓待する。高齢者仕様に土間から居間に上がるための手すりが据え付けられている。

次の日、泉は満男に説得されて、許せない思いをずっと抱いていた父親に会うために、父親が入所する高齢者介護施設に満男の車ででかける。離婚した母親も大阪からかけつける。せっかく訪ねてきたのに元夫に冷たくあしらわれて、母親は激怒して帰りの車内で泉と大げんかする。満男は懸命になだめる。

さらに翌日、満男は泉を空港に送る。別れ際についに満男は妻と死別したことを泉に打ち明ける。なぜ今になってと問う泉に「君に負担をかけるといけないと思って」と答える満男。泉は「満男さんのそういうところが好き」と満男と抱擁を交わす。泉は機上の人となり、満男のつかの間の恋は終わる。

随所に回想シーンが挿入され、寅さんとくるまやの昔日の名場面が銀幕に復活する。みんな若い! ラストは歴代のマドンナたちがワンカットずつ映し出される。京マチ子(第18作)だけは「寅さん、人はなぜ死ぬんでしょう」と台詞付きで。超高齢社会のいまの日本が裏テーマなのだ。
エンドマークが出ると、劇場内から拍手が起こった。こんなのはじめてだ。


#368『サイゴン・クチュール』(ベトナム・2017)

2019/12/24@新宿K's cinema

アオザイの伝統ある仕立屋に生まれ育った「ミス・サイゴン」が1960年代末から2017年にタイムスリップして、自暴自棄なおばさんになった未来の自分に出会って、仕立屋を再建するという話。ベトナム戦争や南北ベトナム統一など政治的な描写はいっさい出てこない。サイゴンはホーチミンに改称されるが、それもまったくスルーされている。そういう期待や見方をしてはいけないのかもしれないが。ベトナムで大ヒットしたというがどうもついていけない。NHKのかつての連ドラの「カーネーション」を思い出した。 


#367 『ファイティング・ファミリー』(米・2019)

2019/12/18@渋谷シネクイント

原題はFIGHTING WITH MY FAMILY。つまり邦題の「戦う家族」ではなくて、「自分の家族といっしょに戦う」。たまたま2回連続で家族の絆をテーマにした作品をみることになった。イギリスのプロレス一家に生まれた少女サラヤ(リングネーム・ペイジ)がアメリカのメジャー・プロレス団体WWEの王座に就くまでのひたむきな努力を、実話に基づきながらもコミカルに描く。ストレス解消にはもってこいの映画だった。

兄ザックもプロレスラーで同じ夢を抱いている。二人はWWEのトライアウトに挑む。そこで二人はWWEのスーパースターであるドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソン(本人が出演している)にプロレスで成功する秘訣を尋ねた。“ザ・ロック”は“Be the first you”(人をまねず自分であれ)と答える。いい言葉だ。

そのトライアウトにサラヤは合格するがザックは不合格に。幼い頃、レスラーのシューズをみただけでだれかを当てられたくらいプロレスに情熱を注いでいたザックは、ふてくされてしまう。近所の子どもたち(目の見えない練習生もいる)を集めて経営していたプロレス・ジムの仕事もさぼりだす。一方、サラヤは渡米してレスラーとして成長していく。クリスマス休暇で帰国したサラヤとザックは地元のリングで対戦する。サラヤに花を持たせる筋立てだった試合で、ザックはそれを無視して本気を出しサラヤにフォール勝ちして憂さを晴らす。試合後にサラヤに問い詰められて、ザックはサラヤへの妬みをぶちまける。サラヤはアメリカでの孤独感と焦燥感を打ち明け、一方でザックのジムでの仕事のすばらしさを讃える。目の見えない子にもプロレスを教えるなんて、と。ザックはやがてサラヤの励ましを受け入れ、ジムの仕事に打ち込むことになる。くだんの練習生がザックの指導で、コーナーポスト最上段から華麗な技を決めるシーンには涙がにじんだ(のちに彼は本物のプロレスラーになる)。

彼らの父は殺人を犯して服役したのちプロレスに出会って更生して、ジムを開いた。母親もプロレスラーだ。家族の会話には下品な言葉がしょっちゅう飛び交う。最初は聞くに堪えないなあと引いてしまったが、徐々に「お高くとまってんじゃねえ」というメッセージなんだと合点がいった。プロレスに仮託した人生賛歌になっている。 


#366 『家族を想うとき』(英仏ベルギー・2019)

2019/12/14@新宿武蔵野館

イギリスの社会派監督の巨匠ケン・ローチの最新作。さすがの着眼点に圧倒されっぱなしだった。社会の底辺でいじましいくも必死に生きる家族4人を描いた哀しい傑作だ。

夫で父親のリッキーは職を転々としたあげく、個人事業主となって宅配会社とフランチャイズ契約を結ぶ。配送に使う車は自分で用意しなければならない。妻で母親のアビーは介護士で高齢者宅を次々に自分の車で回って彼らの世話をしていた。リッキーの車を購入するためアビーは車を手放す。リッキーは2年がんばれば借家暮らしから逃れられると、食事もトイレの時間も惜しんで荷物を届け続ける。荷台には尿瓶も積んでいる。アビーはバスでの移動になってさらに労働時間は延びる。ただでさえわがままな高齢者に手を焼いていたのだが。

高校生の長男セブと中学生の長女ライザは毎晩ピザなどでわびしい夕食をとる。セブはぐれはじめ、ライザはお父さんがこんな仕事をはじめたからだと、車のキーを隠してしまう。リッキーはセブを疑いついに手を上げる。日給制なので車を出せなければ収入がなくなるどころか罰金まで科せられる。ライザが告白して、リッキーはようやく我に返る。個人事業主とは聞こえはいいが、実態は巧妙で過酷な搾取のシステムなのだ。しかし、罰金を支払うには配送の仕事を続けるほかなかった。

ある日、リッキーは荷物を荷台から出しているところを若者たちに襲われる。そして、荷物を奪われたばかりか、手の骨を折られ、まぶたを腫らせて片目がふさがるほどの大けがをする。病院でアビーと待っているときに、宅配会社から電話が入る。盗られた荷物のうちパスポート2冊は保険がきかないから500ポンドは自腹で払ってもらうと。内容をきいたアビーがリッキーからスマホを奪い取り、堰を切ったように下品な言葉を浴びせかける。訪問先で高齢者に下品な言葉は禁止といっている自分がとアビーは自分を責める。リッキーは治療を繰り延べてアビーと帰宅する。

翌朝6時過ぎ、ミルクにシリアルの簡単な朝食をとったリッキーは“Sorry, we missed you”と書かれたこの会社の不在連絡票にアビーへのいたわりのメッセージをしたためて仕事に出かけようとする。“Sorry, we missed you”が原題である。気付いたセブは必死に車を止めようとする。とても運転できる状態ではないのだ。やがてアビーとライザも起きてきて車にしがみつく。ところが、リッキーはこの3人を振り切って仕事に出ていく。この運転シーンでエンドとなる。

観ていてどんなラストになるのかと気になって仕方がなかった。この閉じ方はすごい。家族を想うならぼろぼろになっても働かなければならないのが、自己責任を美化する新自由主義経済の掟なのだ。質素ではなく粗末な食事。せいぜいのぜいたくはインド料理の持ち帰り。くすっと笑える箇所はそれを家族でつつくシーンの1か所しかなかった。 


#365 『陸軍前橋飛行場』(日・2019)
2019/12/8@ポレポレ東中野

この日に開戦したアジア・太平洋戦争について、吉田裕『日本軍兵士』(岩波新書)の時期区分によれば第3期─戦略的守勢期にあたる1943年5月に、陸軍は現在の高崎市(当時の堤ヶ丘村など)に飛行場の建設に着手する。地主から土地を強制的に買収して急ピッチで建設工事がはじまる。工事には前橋刑務所の囚人や朝鮮人もかり出された。その様子を80歳を超えた生き証人たちに次々と語らせるドキュメンタリー。
飛行場の完成は1944年8月で、上記の時期区分に従えば戦況は第4期─絶望的抗戦期に突入していた。急拵えのため飛行機が滑走路からうまく離陸できない事故が多発した。やがてここから訓練を終えた特攻隊の飛行機が九州南部の基地へ飛び立っていく。それを見送った当時の女学校生徒の証言にその情景を思い浮かべた。当然、前橋飛行場は米軍機の攻撃対象になった。日本にはレーダーがなかったため、計算尺で対空砲の角度を計算して打ち落とそうとするが、間に合わずにむやみやたらに撃ちまくるしかなかった。米軍ならブルドーザーであっという間につくるのだろうが、前橋飛行場ではもっこをかついでの作業だったので、完成に1年以上もかかった。こんな証言からも、いかに無謀な戦争だったかを痛感した。 

#364 『テルアビフ・オン・ファイア』(イスラエル,仏,ベルギー,ルクセンブルク ・2018)

2019/12/1@新宿シネマカリテ
「テルアビフ・オン・ファイア」というイスラエルとその占領地での人気連ドラの制作現場に、パレスチナ人青年サラームが叔父のつてで脚本家見習いとして働くことになった。脚本がおかしいとサラームがクレームをつけたことで脚本家は激怒して降りてしまう。お鉢はサラームに回ってくる。とはいえ、サラームは脚本など書いたことがない。
占領地に住むパレスチナ人はイスラエルに仕事に行くのに、検問所でIDカードを必ず提示しなければならならない。サラームはそこで待っている間も車内で脚本の構想を練る。その紙をイスラエル軍兵士に取り上げられ、検問所主任のアッシの尋問を受ける。
サラームの仕事を知ったアッシは、自分の妻がこの番組の大ファンで結末は自分の言うとおりにしろと命じる。その後サラームは検問所を通るたびにアッシに脚本について相談し、いつしか二人の間に友情が芽生える。それがコメディ仕立てに描かれていく。とはいえ、アッシの求めた結末とは、イスラエル軍兵士とパレスチナ人女性が結婚するという現実的にあり得ないものだった。悩みぬいた末にサラームは、その結婚式を執り行うラビ(ユダヤ教の聖職者)に新人俳優としてアッシを起用するという奇策を思いつく。アッシも検問所の仕事をいやがっていたのだ。
ところで、中東料理のフムスはアッシの大好物で、脚本の助言と引き換えにそれをサラームにねだる。一方でサラームはフムスが大嫌い。第1次インティファーダ(1987年〜)でサラームは収容され、毎日缶詰のフムスばかり食べさせられたからだと、ラスト近くでアッシに打ち明ける。
映画の端々に占領地で暮らす人々の生きづらさが散りばめられている。アッシにIDカードを取り上げられたサラームが自宅に帰れず、ベルリンの壁のような分離壁に沿ってとぼとぼ歩くシーンはもの悲しい。だが、それらを笑いにくるんだところにこの映画のすごさがある。


#363 『i 新聞記者』(日・2019)

2019/11/6@明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1011教室(試写会)

菅義偉官房長官と記者会見でバトルを繰り広げる東京新聞の望月衣塑子記者の仕事ぶりを追跡したドキュメンタリー。望月記者の速射砲トークが次から次へと炸裂する。記者会見とは「空気を壊す」ことに意味があるとの彼女の同僚記者のコメントが心に響いた。また、なぜタイトルの冒頭に「i」を冠したか、ラストで森達也監督が押しつけがましくなく語ったのもよかった。ただ、抑うつ気分マックスのときだったので、ときどき観るのがつらくなった。



#362までの鑑賞映画については、次をご覧ください。
http://www.nishikawashin-ichi.net/movies.html