Movies 鑑賞映画

西川伸一が鑑賞した映画の感想を紹介するコーナーです。ネタバレ注意です!

#491『やまぶき』(2022・日/仏)

2022/11/29@ユーロスペース

岡山県北中部の真庭市が舞台になっている。主人公のユン・チャンス(カン・ユンス)は韓国の元乗馬競技の選手で母国で莫大な借金をかかえてこの地にやってきた。美南(和田光沙)と美南の娘とともにつつましく生きている。採石場の重機オペレーターとして生計を立てていた。働きぶりが評価され正社員にすると上司から言われる。

一方で、刑事の早川(川瀬陽太)は高校生の娘の山吹(祷キララ)と2人で暮らす。国際ジャーナリストの妻(桜まゆみ)を中東で失い、フィリピン人の愛人とホテルで密会している。休日に部下(三浦誠己)と山吹をつれて山登りに出かける。斜面に咲いているやまぶきを取ろうとするがなかなか根っこが抜けず、周囲の石や岩が斜面を転がり落ちていく。その岩がチャンスの運転する車を直撃して、チャンスは足の骨を折る大けがをする。早川はこのことに気づかなかった。

チャンスを見舞った上司はその足では重機を扱えないからと、正社員の話を白紙に戻すという。早川は新聞でこの事故を知る。せっかくつかみかけていた幸せを逃したチャンスは病院を抜け出し、現場で重機を操縦しようとする。もちろんできるはずはない。慟哭するチャンスだったが、そのとき山の斜面を大きな鞄が転がり落ちてきた。近づいて開けてみると帯封付きの数千万円の現金が入っていた。もちろんヤバいお金だ。チャンスはそれを自宅の庭に穴を掘って埋める。兵役に就いていたとき、毎朝穴を掘らされていたのでお手の物だった。

しばらくして、チャンスの家を早川の部下が訪ねてくる。署に連行されて事情を聞かれる。遺失物等横領罪の疑いがかけられる。その部下と早川に対してチャンスは「〔刑期は〕何年ですか」ときく。それから、兵役中毎朝穴を掘らされ、夕方にはそれを埋めさせられた話から朝鮮半島の分断に話は及び、「だれが悪いんですか」とつぶやく。しかし、チャンスは無罪放免される。「落とし物を拾っただけだということにしてもらった」とチャンスは美南に言う。早川が良心の呵責にかられて目こぼししたのだ。

ある雨の日、チャンス不在の家に美南の夫(松浦祐也)がやってくる。よりを戻してくれというわけだ。逡巡した美南は結局それを受け入れて娘とともに出て行く。帰宅したチャンスを待っていたのは「またね」と書かれた置き手紙だった。奈落に突き落とされたチャンスは、「まもろう平和9条 憲法」などと書かれたボードを手に交差点でサイレント・スタンディングを続ける山吹に声をかける。山吹という名前をきいて、「いい名前ですね」と言ったあと「みんなやまぶき(現金)で人生を狂わされる。自分もそうだ」などと続ける。

乗馬競技の選手時代のツテで、チャンスは厩務員の仕事を得る。馬の世話をしていると馬の目に美南とその娘が写り込んでいた。チャンスが振り向いてエンドとなる。

メッセージ性がしっかりしていて、俳優たちもそれぞれの役どころをうまく演じていて、とてもいい映画だと思う。全体的に切ないトーンだが、笑えるシーンもあっておもしろかった。ただ、設定に無理があると感じたところがいくつかあった。ジャーナリストとして中東を取材するような「反体制的」な女性が警察官と結ばれることなどあろうか。もちろん、山吹のサイレント・スタンディングは母親の影響を受けたものだ。狭い山あいの町で早川が愛人と密会を続けるのも解せない。娘に見つかってしまうではないか。実際に作中ではラブホから出てきた早川と愛人が乗る車と、山吹と彼氏(?)の康介(青木崇高)が二人乗りする自転車がすれ違うシーンがある。


#490『裸のムラ』(2022・日)

2022/11/13@ポレポレ東中野

監督は映画『はりぼて』(2020)と同じ五百旗頭幸男である。富山のチューリップテレビから石川テレビ放送に移って制作した。富山市政同様のオヤジ支配のなれあいと同調圧力にまみれた石川県政を描き出す。前作との違いは、金沢市在住のムスリム一家と「バンライファー」(「バン(VAN)」と「ライフ(LIFE)」をつなげた造語)の家族を対照的な存在として登場させていることだ。これによって、オヤジ支配の異形さはより鮮明になっている。

石川県では多選知事による県政が「伝統」といってよい。前々知事の中西陽一が8選、前知事の谷本正憲が7選である。現知事の馳浩は3期までと明言しているがどうなることやら。ともかくこれでは緊張感が生じるはずもなく、県議会は惰性とゆるさが支配している。知事の話はそっちのけの居眠り、私語は当たり前。壇上に居並ぶ県庁幹部まで寝ているから笑ってしまった。

県議会の無人の議場で、これからはじまる県議会に備えて知事の席に女性の県職員が水差しをセットする。水差しの回りをきれいに拭ってコップをかぶせる。この長回しのシーンが2回出てくる。こんなに気を遣っているのかと圧倒された。
より詳しい映画評は12月1日発行の『フラタニティ』第28号に書きましたので、そちらをご覧ください。本HPにアップします。
https://jimdo-storage.global.ssl.fastly.net/file/ae3dcdbb-b96a-416e-8faa-9d0cb27a0ad9/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E4%BC%B8%E4%B8%80%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%EF%BC%8821%EF%BC%89HP%E6%8E%B2%E8%BC%89%E7%94%A8.pdf

#489『ディア・ハンター』(1978・米) 

2022/11/3@TOHOシネマズ新宿 

噂に違わぬ傑作! 3時間に及ぶ長尺ものだが、劇場でみることができてよかった。この機会を逃せば一生みることはなかったろう。とりわけロシアン・ルーレットのシーンは圧巻というか身の毛もよだつというか、迫力満点だった。 

米ペンシルヴェニアの田舎町の鹿狩り仲間だったマイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(ジョン・サヴェージ)が徴兵されてベトナム戦争に従軍する。とりわけマイケルは「一発で仕留める」が信条の鹿狩りの名手だった。 

3人は北ベトナム軍の捕虜になり、北ベトナム兵たちが興じるロシアン・ルーレットの賭け事の対象になる。相対して座らされ、弾丸一発を充填されたリボルバーを目の前で回転させる。銃口が向いた方がリボルバーを持たされ、ロシアン・ルーレットをさせられるのだ。不発ならばもう一人が引き金を引く。まさに死へのカウントダウンである。 

それを逆手にとってマイケルが一計を案じる。弾を3発つめろと要求する。死ぬ確率は二分の一になる。だが、もし当たらなければ3発の弾丸が使える。北ベトナム兵を撃って脱出できるのだ。ホーチミンの写真が一部始終をみている。マイケルは「賭け」に買って3人はそこから逃れる。 

次のロシアン・ルーレットの舞台はサイゴンである。捕虜となった北ベトナム兵と思われる若者が賭けの対象だ。どちらかが命中すれば別の捕虜が引っ張り出されてくる。死体は乱暴に外に積み上げられている。人の命を賭けるという極悪非道のギャンブルに怒りがこみ上げる。とはいえ、それだけに人だかりの賭場は異様な熱気に満ちている。マイケルもその客だった。そこにニックが偶然入ってくる。マイケルはそれに気づくが、声をかけるより先にニックは一騒動を起こして賭場を出て行ってしまう。 

マイケルは除隊となってペンシルヴェニアに戻る。そして、スティーヴンが陸軍病院に入院していることを知る。見舞いに行くと、スティーヴンは両足と左腕が切断された姿になっていた。その際スティーヴンは毎月サイゴンから多額のドルが送られてくるとマイケルに告げる。マイケルは送り主はリックだと直感する。 

ベトナム戦争末期となり米軍の敗色濃厚となったサイゴンに、マイケルは再び向かう。リックがロシアン・ルーレットの賭けの対象になって「稼いでいる」と確信して、かつて客として通った賭場を訪れる。そして元締めにニックを出すよう懇願して多額のドルをこれでもかとつかませる。ついに元締めはその金額に納得して二人を会わせる。 

しかし、薬物に侵されたニックはマイケルのことがわからない。そこでマイケルは大きな賭けに出る。二人でロシアン・ルーレットの対象となったのだ。二人の「対決」がはじまる前に、マイケルはニックに鹿狩りの話をして必死に記憶を呼び戻そうとする。だがニックには響かない。賭けがはじまり、まずマイケルが撃つ番になる。不発で次はニックに拳銃が渡される。そこでニックは「一発で仕留める」というマイケルの言葉をつぶやく。マイケルがやったと思った瞬間に引き金が引かれて、ニックは絶命する。 

ラストはニックの葬儀のあとの日本の仏教でいえば「お斎(とき)」の場面だ。「やったあ」とか「ざまあみろ」とかスカッとする単純な終わり方ではない。むしろ、ニックにプロポーズされていたリンダ(メリル・ストリープ;若い! 楚々としていてステキ)が、ずっと一言も発しないのが不気味だ。
 

#488『夜明けまでバス停で』(2022・日)

2022/10/25@池袋シネマ・ロサ

北林美知子(板谷由夏)は居酒屋でアルバイトをしてかつかつの生活をしている。元夫が美知子を名義人としてカードローンで借金をしまくっていて、毎月その返済に追われているのだ。しかしコロナで店側は美知子ら3人のアルバイト店員を解雇する。住まいも退去せざるを得なくなり、突如として美知子はホームレスに転落する。「夜明けまでバス停で」過ごす毎日となる。そこに菅首相の就任記者会見の映像が絶妙のタイミングで挟み込まれる。「私が目指す社会像。それは自助、共助、公助、そして『絆』であります」。美知子の不遇な境遇も「自己責任」で片付けられてしまう。その理不尽さを美知子は深く胸に刻む。

美知子は公園で古参ホームレスの「派手婆」(根岸季衣)に声をかけられ、その仲間の「バクダン」(柄本明)を紹介される。「バクダン」は若い頃過激派で、交番を爆破した前科者なのだ。美智子の所持金は4000円ほどに減っていき、いよいよ食べ物にも困るようになる。飲食店の裏のゴミ箱をあさって残飯を食べる。みつかって追いかけられ必死で逃げる。「バクダン」の段ボールハウスでおにぎりをごちそうになる。美知子は「バクダン」になぜ爆弾を炸裂させたのかをきく。「自分の証を立てたかった」と「バクダン」は答える。「私もやってみたい」と美知子は言う。それを聞いた「バクダン」が奥でものをかき分けて探し出したものを美知子に示す。それは「腹腹時計」だった。東アジア反日武装戦線「狼」が地下出版した爆弾製造法などを記した本だ。

それに従って美知子と「バクダン」は爆弾製造に励む。美知子の本職はアクセサリーづくりで手先は器用なのだ。ついに爆弾は完成する。それを紙袋に入れて美知子と「バクダン」はオリンピックのPRで飾り立てられた都庁に向かう。目は「体制」への怒りに燃えている。庁舎外の階段の踊り場にそれを置いて、離れた場所から爆破の瞬間を待つ。目覚まし時計の長針と短針が重なると爆発する仕掛けだ。その直前に警備員が不審な紙袋に気づいて中をのぞく。美知子は思わず「危ない、離れて」と叫ぶ。そして爆破時刻。目覚ましがけたたましく鳴り響く。「バクダン」は大笑いする。爆発しないように細工していたのだ。はらはら、そしてこちらも大笑いした。

再び「夜明けまでバス停で」眠る日々に美知子は戻る。ホームレスを憎む男性が石を手に、眠っている美知子を襲撃しようとする。そこに、居酒屋の店長だったチイちゃんこと寺島千晴(大西礼芳)が声を上げて美知子を助ける。チイちゃんは上司であるマネージャー(三浦貴大)のパワハラ、セクハラ、コンプライアンス無視のやり方に耐えきれず店をやめたのだった。マネージャーが横領していた美知子の退職手当の30万円を、美知子に手渡す。美知子は「チイちゃん、爆弾つくらない」といって隠していた「腹腹時計」を差し出す。これでエンド。「腹腹時計」で笑いをとるラストとは! なるほど、こうやって閉じましたかと秀逸さに感心した。

体制糾弾型で正しさを前面に押し出されるとしらけてしまうが、外堀を埋めていくような描き方で諄々と「自己責任」社会の矛盾を説いていく。『月はどっちに出ている』(1993・日)のルビー・モレノを、解雇されるアルバイト店員にしたキャスティングもいい。

#487『オレの記念日』(2022・日) 

2022/10/19@ポレポレ東中野 

布川事件の犯人として無期懲役の刑で29年間服役した桜井昌司氏の現在に至るまでの足跡を描く。再審無罪となり、国賠訴訟にも完全勝利した。現在は直腸がんが肝臓に転移してステージ4で、もはや手術はできない。食事療法で進行を食い止めている。こんな境遇の桜井氏なのだが、表情はいつも底抜けに明るい。冤罪で刑務所に入ってよかったとまで言ってのける。刑務所内では何事にもつねに張り切って当たっていたという。なんと強靱な精神力の持ち主なのだろう。一方で、決して誤りを認めず謝罪をしない国や司法に対する批判は痛烈だ。「裁判官は頭のいいバカだ」と。常識で考えればやっていないことは明らかなのに、なぜ有罪判決を言い渡すのか。桜井氏にも明白なアリバイがあった。組織をバックにすると常識が通用しなくなる。裁判員裁判の必要性を再認識した。 

冤罪の袴田巌死刑囚との交流のシーンもある。桜井氏は拘置所収監時代の回想を述べる。死刑囚がいる房は毎日午前9時までは静寂に包まれるのだという。死刑執行があればその時刻までに刑務官がやってくるからだ。そして9時を過ぎるときょうも生き延びられたと歓喜の朝のあいさつが飛び交うのだそうだ。こんな日々を年単位で繰り返したら、遠からず精神に異常を来すに決まっている。そこが無期刑とは決定的に違うのだ。 

桜井氏は獄中にあったときから作詞・作曲をして、歌声はプロレベルだ。各地でコンサートを開いて冤罪撲滅を訴えている。エンドロールで桜井氏が支援している冤罪事件のリストが示される。こんなにあるのかと驚かされる。 

桜井氏が妻といっしょにやきそばを作るシーンに涙腺が緩んだ。 

 

#486『エリン・ブロコビッチ』(2000・米) 

2022/10/15,16 DVD鑑賞@自宅 

バツ2で子ども3人でほぼ無一文のエリン(ジュリア・ロバーツ)が交通事故をきっかけに法律事務所にもぐりこむ。周りの視線は冷たい。偶然割り当てられた仕事にとりかかると、不可解なことに気づく。調べていくと、巨大企業が有害な六価クロムを防水設備をせずに垂れ流していた。周辺住民はがんをはじめ重篤な病気を発症していた。正義感に燃えるエリンは子どもたちを新しいパートナーに預けっぱなしで被害者の証言集めに奔走する。そして法律事務所のボス弁護士(アルバート・フィニー)を説得してまれにみる規模の集団訴訟を起こす。原告団は600人を超える。法律事務所にとって敗訴となれば事務所をたたまざるを得なくなる大勝負だ。当然ながら、巨大企業は有能な弁護士を雇っている。 

エリンの体当たりの調査で、タマネギの皮を剥くように一つまた一つと重要な証拠が判明する。裁判所は原告側の主張を認める。もちろん企業側は控訴する。判決確定まで争えば、数十年という時間がかかる。住民集会が開かれ、ボス弁護士が和解するよう必死の説得をする。それが功を奏して住民集会は乗り切ったが、和解のテーブルにつくためにはこれを承諾する署名者が200名ちかく足りない。エリンは未署名の原告住民の一人ひとりにしらみつぶしに当たって署名を集めていく。このころになると法律事務所でエリンの存在は認められ、子守がいやで出て行ったパートナーも大金を支援のために送ってよこす。 

ついに必要な署名数が集まる。途中からこの訴訟に加わった敏腕弁護士から「どうやって集めた」と驚かれる。エリンは「・・・(ここでは書けません)」とあっけらかんと言ってのけて唖然とさせる。もちろんそんなことはしていないのだが、弁護士はエリンならやりかねないと思ったようだ。なにせエリンは元ミス・ウィチタなのだ。このシーンには大笑いした。 

企業側は史上最高額の和解金を支払うはめになる。エリンは乳がんと子宮がんを併発した女性に、彼女の和解金額は500万ドルだと知らせに車を飛ばす。涙の対面だ。ラストシーンでは法律事務所に小切手が届けられる。ボス弁が受け取ってエリンのオフィスへ(エリンは個人オフィスをもつまでに出世したのだ)行って、エリンにボーナスの額を働きにみあった額に変更したいと切り出す。すっかりボーナスカットだと思い込んだエリンがこれまでの業績をまくしたてる。オチはみえているのだがこのやりとりがおかしい。小切手には200万ドルと金額が打たれていた。黙り込んだエリンに「ミス・ウィチタは礼儀知らずだね」とにこやかに言って去るアルバート・フィニーがいい! 

これらが事実というのだからすごい。司法版アメリカン・ドリームだ。 

#485『スラムドッグ$ミリオネア』(2008・英/米) 

2022/9/25,28 GYAO!無料配信@自宅 

インドのスラムに生まれ育った青年ジャマールがクイズ番組『ミリオネア』に出場して、4択で難問9問をすべて正解して2000万ルピーの大金を手にする物語。無学のジャマールだが、出題されるクイズはことごとく自分の経験したことと関連していた。獲得金額は正解するたびに上がっていくが、難易度も上がる。出場者はどの段階でもドロップアウト(それまでの賞金を得て退場すること)を選択できる。クイズを続けて不正解になると賞金はゼロになる。司会者も「ここでやめておけ」とジャマールを揺さぶり番組を盛り上げる。ジャマールは迷うそぶりを一切みせずに果敢にクイズを続ける。 

クイズとクイズの合間にジャマールの生育過程が挿入される。スラムの子どもたちを集めて食事と寝る場所を与える悪徳業者の誘いに、ジャマールと兄は乗ってしまう。そこにラティカという少女もいた。ジャマールはラティカに恋をする。あるとき業者たちがある少年を薬品で失明させる現場をジャマールはみてしまう。物乞いさせたときその方が同情を誘って稼ぎがいいのだ。次は自分たちだと悟ったジャマールは兄と逃げる。ラティカもいっしょだ。動き始めた列車に二人は飛び乗る。業者が追ってくる。遅れたラティカに兄が手を伸ばして乗せようとする。しかし、いったん握られた手が離れてしまう。兄はジャマールに「ラティカが離したんだ」と言い訳する。ジャマールは兄を一生許さないと誓う。 

兄弟は別れ別れになり、兄は裏社会へジャマールはコールセンターでお茶を出す仕事にありつく。そこで偶然兄の電話番号を知る。 

クイズは第8問まで進む。正解すると1000万ルピーだ。コマーシャルの時間にジャマールはトイレで司会者と出くわす。司会者は去り際に鏡を曇らせてそこに「B」と書く。実は司会者もスラム出身で、この番組で出場して全問正解していまの地位を築いたのだった。こんな例は自分一人だけだとジャマールに告げる。コマーシャルが終わり、ジャマールは「B」か「D」かで迷う。司会者の意図を読み切ったジャマールは「D」と答えて正解する。 

番組はここで時間切れとなり翌日に最終問題は持ち越される。司会者はジャマールが不正手段を働いているとにらんで警察に通報する。映画は警察に連行されたジャマールが拷問まがいの取り調べを受けているシーンではじまる。「ここに戻るのか」と時間軸の入れ替えにうなる。翌日釈放されてジャマールは最終問題に臨む。しかしわからない。このクイズには三つの「ライフライン」アイテムがあってわからないときに使える。ジャマールはすでに二つを使い切っていた。残る一つは事前に指定していた電話番号に電話することだった。ジャマールは兄の電話番号を指定していた。ようやく電話がつながると出たのはラティカだった。そもそもジャマールはラティカが見ていると思ってこの番組に出る気になったのだ。しかし、ラティカもわからないというので万事休す。ジャマールは「A」を選ぶ。司会者が理由を尋ねると「なんとなく」と答える。これが正答だった。ジャマールとラティカが結ばれてエンド。そして字幕に「D」: 

「Destiny(運命)」と出る。第8問の答えとかけているのだ。うまい! 

とても楽しめたが、いまではこのクイズ番組は成立しないだろう。「ライフライン」の電話相手がググって正解をみつけるだろうから。 


#484『荒野に希望の灯をともす』(2022・日)

2022/9/24@ポレポレ東中野

世の中にこんなにすごい人がいるのかとただただ圧倒された。2019年にアフガニスタンで武装勢力に銃撃され死去した、医師の中村哲の生涯を追跡したドキュメンタリーである。

当初神経科の医師であった中村は、当時の日本の医療のあり方に疑問を感じていた。パキスタンの無医村をめぐるツアーに参加して衝撃を受ける。医療施設があれば治せるはずの病気が治せない。「見捨てないでくれ」とすがられても見捨てざるを得ない自分は果たして医師なのか。中村はパキスタン、そしてアフガニスタンで医療に従事する道を選ぶ。現地には薬がないためハンセン病を悪化させる患者が多くいた。栄養失調の子どもたち、マラリアの蔓延・・・。子どもの脇の下にはさまれた体温計が39度9分を表示する映像が胸に突き刺さる。

診療所の周りには二重三重の患者の列ができる。中村はハエが飛び回る診察室で診察しカルテを記していく。これだけでも十分にすごいのに、中村はこれに満足しない。住民の健康には清潔な水が欠かせないとして、井戸掘りに取り組む。さらに住民が農業を営み定住できるように用水路の建設に着手する。医師のはずの中村が土木を独学で学んで用水路の図面を引く。それどころか自ら重機を操って建設現場の第一線に立つ。数々の試行錯誤の末、7年をかけて25キロに及ぶ用水路を完成させる。荒野は緑地へとまるで魔法にかけられたかのように変わった。この用水路のおかげで65万人が生活している。

この間に「9.11」がありアメリカによるアフガン戦争があった。中村がいた用水路の工事現場にも攻撃用ヘリが飛来して機銃掃射を行う。「危なかったですよ」と事もなげに話す中村の表情をみて、いったいこの人はどこまで肝が据わっているのだと驚愕した。アメリカの侵略戦争を支援するためのテロ特措法案の国会審議に際して、中村は参考人として国会に招致される。そこで中村は自衛隊の現地派遣について「愚の骨頂」と言い放つ。中村の言葉だけに千鈞の重みを持つ。

私のかかった経験からすると、神経科の医師は聴診器すらもたない。ところが中村は現地で聴診器をもちメスをふるい傷口を縫い、それどころかユンボまで動かした。工事が一段落したところで、ユンボのアームの先のバケットに作業仲間と乗り込んで談笑するシーンがいい。

丸腰で平和を根気よく創造してきた中村に言わせれば、「時流」に便乗して軍拡をあおる人々こそドリーマーなのだろう。

#483『サバカン SABAKAN』(2022・日)

2022/9/18@TOHOシネマズ池袋

主人公の両親役の竹原ピストルと尾野真千子がはまりすぎで爆笑した。地でやっているんじゃないかと。見事な夫婦漫才をみるようだった。

1986年の夏の長崎。主人公の久田孝明(久ちゃん;番家一路)は小学5年生で、クラスにはちょっと変わっていて友だちがいない竹本健次(竹ちゃん;原田琥之佑)がいた。夏休みに久ちゃんの家に竹ちゃんが突然訪ねてくる。山を越えた海の向こうに浮かぶブーメラン島にイルカが出るので、日帰りで見に行こう。自転車で二人乗りすれば夕方には戻れるというのだ。久ちゃんは自転車をもっていない。竹ちゃんはしぶしぶ同意する。

その日、竹ちゃんはあさ5時に家を出ようとする。そこに久ちゃんがやってくる。しかしここで父親に見つかってしまう。だが父親は「かあちゃんが起きてくる前にはよいけ」と小遣いを持たせて送り出してやる。自転車を押して山越えし、下り坂で調子に乗ってスピードを出しすぎて転んで自転車を壊してしまう。雑貨店で万引きを疑われたり、不良にからまれたりと、現代版『スタンド・バイ・ミー』をみる思いだった。ブーメラン島になんとか泳ぎ着いたが、イルカなどみつからない。ナレーターで後年の久ちゃん(草彅剛)が「イルカなどもともといなかった。竹ちゃんが自分を誘い出すための口実だったのではないか」と回想する。

親切な若い男女の車で送られて、二人は日没前に家に帰ることができた。別れ際にはじめて竹ちゃんが「久ちゃん」とよびかける。久ちゃんも「竹ちゃん」と応じて「またね」と何度も言い合う。その後、夏休みは二人でなかよく遊ぶ。

寿司屋の前で足を止めた久ちゃんに、竹ちゃんはうちに食事に来いと誘う。行ってみると、竹ちゃんは久ちゃんにサバカンをネタにしたサバカン鮨を握ってくれた。竹ちゃんの死んだ漁師の父親がよく握ってくれたのだという。うまそうにほおばる久ちゃんを、ふすまを少しあけて竹ちゃんの弟妹がのぞきみする。みんなで食べようと久ちゃんはいって、にぎやかな昼食になる。

午後遅くになって、竹ちゃんの母親(貫地谷しほり)がスーパーのパートから帰ってくる。子どもたちがまとわりつくが、また夜も仕事があるのだという。長男の竹ちゃん(なぜか名前は健次)はいわばヤングケアラーだったのだ。

夏休みの最終日、久ちゃんは母親から頼まれてスーパーにお遣いにいく。そこで、パート中の竹ちゃんの母親に会う。母親から「この前健次に『お友だちができてよかったね』といったら怒られた。『相手は自分のことを友だちと思っていないかもしれない』といわれた」と苦笑いしながら聞かされる。

たわいもない母子のやりとりなのだが、久ちゃんはおおいに傷つく。「竹ちゃんは自分のことを友だちとは思っていないんだ」と。

翌日2学期がはじまる。久ちゃんは竹ちゃんによそよそしい。いっしょに帰ろうと竹ちゃんに誘われるが断る。暗い表情で帰ってきた母親はパートに出かけるところだった。心配して声をかけるが竹ちゃんは無言で家に入る。妹たちからカップケーキをねだられる。パートを終えて帰るとき母親は迷った末にカップケーキを買う。竹ちゃんを元気づける意味もあったのだろう。しかし、その帰り道、自転車に乗っていた母親は交通事故で亡くなってしまうのだ。

子どもたちはばらばらに親戚に引き取られることになった。竹ちゃんはおじさんと列車でその町を去ろうとする。そこへ! 駅のホームに久ちゃんが走ってやってくる。手には餞別代わりにサバカンが入った紙袋を下げている。天体望遠鏡がほしくて貯めていた貯金をはたいたのだ。久ちゃんと竹ちゃんは「またね」を叫びあって別れる。

三十数年して久ちゃんは竹ちゃんに会いに、またこの駅にサバカンを下げてやってくる。竹ちゃんは寿司職人になり、久ちゃんは売れない作家になっていた。アイドルのゴースト本を書いて不本意な収入を得ている。妻とは別れて、小学生の娘とは「面会交流」でたまには会う。

駅で二人が再会を果たすところでエンド。三十数年後の竹ちゃんは後ろ姿しか映らない。この演出はうまい。

8時15分開映だったので朝食抜きでみにいったが、十分その甲斐があった。おもしろかった!

#482『靴ひものロンド』(2020・伊仏)

2022/9/11@新宿武蔵野館

1980年代初頭のナポリ。中年夫婦と子ども二人が夕食のあとテレビをみている。どこにでもありそうな家庭の光景だ。子どもたちを寝かしつけ夫婦二人になって、夫のアルドが妻のヴァンダに「別の女性と関係をもった」と浮気を打ち明ける。浮気はばれるもので、自分から言い出すものかとのけぞる。ヴァンダは最初は冷静に問い詰めるがやがて逆上して、アルドに家から出て行くよう怒鳴りつける。アルドはローマの放送局でラジオのパーソナリティとして地位を築きつつあった。相手のリディアはそこの同僚だった。

アルドとヴァンダには娘アンナと息子サンドロがいた。二人の子どもは両親の不仲の犠牲者だった。アルドが出演しているラジオ番組をきいていていも、ヴァンダがスイッチを切ってしまう。あるときヴァンダは自宅のある集合住宅の上階からラジオを放り捨てる。粉々になったラジオの上に自分も飛び降りる。自殺を図ったのだったが、一命は取り留める。

その後しばらくして、アルドはアンナとサンドロとの「面会交流」の機会を得る。姉のアンナはアルドによそよそしい態度をとる。3人での食事となるが会話ははずまない。アルドはよせばいいのに「著名人として意見を求められる」と仕事上での自慢話をする。座はますます白ける。たまらずアンナは「私たちの靴ひもの結び方がおかしいといわれた」と話題を振る。アルドは自分で結んでみせて、子どもたちもそれを真似る。「靴ひも」がきっかけになって、4人はまたいっしょに暮らすようになる。

時間は飛んで、老境に入ったアルドとヴァンダは冷め切った関係のまま二人で暮らしている。それでも夏のバカンスに出かける。そこでアルドはリディアとの情事を思い出してしまう。帰って来ると家の中がめちゃくちゃに荒らされていた。アルドは情事のときに撮ったリディアの秘密の写真を探すがみつからない。片づけに疲れたアルドとヴァンダは、それまでの鬱々とした気持ちをぶつけ合う。妻とこんな言い合いは絶対にしたくないと思いながらみていた。

シーンは変わって、中年男性が中年女性と落ち合う。場所はかつてアルドが子どもたちと気まずい会食をしたところのようだ。彼らがどういう関係なのか鈍いものでピンとこない。会話がよく飲み込めない。やがて彼らはアルドとヴァンダの住まいにいく。二人はバカンスに出かけて不在だ。やっと彼らがアンナとサンドロであることがわかった。子ども時代のアンナとはまったくイメージの異なる女優がキャスティングされている。これは配役ミスだろう。サンドロはアルドには他にもつき合っていた女性が何人もいたこと、ヴァンダにも浮気相手がいたことをアンナに暴露する。

やがて二人は両親に復讐をはじめる。家の中を荒らし回るのだ。サンドロはリディアの秘密の写真のありかも知っていた。二人が家を出るとき、サンドロはこの写真を別の場所に隠す。ここでエンド。アルドはヴァンダに知られずにこの写真をみつけるだろうか。

時間軸がいったりきたりする。「何年後」などという説明は入らない。そのたびに頭の切り替えにややストレスを感じた。特にラスト近くの中年となったアンナとサンドロにはすぐにそうだとは気づかないのではないか。だがそれだけに二人が最後に乱暴狼藉をはたらくシーンが生きるともいえる。


#481『キングメーカー 大統領を作った男』(韓・2021)

2022/9/5@シネマート新宿

金大中(作中ではキム・ウンボム)の辣腕選挙参謀であり、「影」とあだ名された厳昌録(作中ではソ・チャンデ)の半生を描く事実に基づくフィクション。キム・ウンボムの理想に共鳴したソ・チャンデは落選を繰り返していた彼の選挙事務所の一員になる。ソ・チャンデのやり方は目的のためなら手段は選ばないことで徹底していた。法に触れないぎりぎりのところで相手陣営をおとしめ、キム・ウンボムを国会議員に当選させる。

次は大統領選挙である。キム・ウンボムの所属する新民党の候補者選びは三つ巴の争いとなった。ここでもソ・チャンデの権謀術数が功を奏してキム・ウンボムは新民党の大統領候補に選出される。相手は朴正熙(作中ではパク・キス)である。キム・ウンボムは優位に選挙戦を進める。ここでキム・ウンボムの自宅が爆破されるという事件が起こる。キム・ウンボムは訪米中だった。策士ソ・チャンデの自作自演ではないかとの疑いがもたれる。予定を切り上げ急遽帰国したキム・ウンボムはソ・チャンデを問い詰める。ソ・チャンデはこれを認める(真相は最後までみてもはっきりしない)。キム・ウンボムはソ・チャンデを切る。

大統領選は形勢が逆転する。パク・キス陣営は卑劣なやり方でキム・ウンボム支持層を切り崩していく。これを裏で取り仕切っていたのはもちろんソ・チャンデだった。パク・キスは3選を果たす。「裏選対」でソ・チャンデはアタッシュケースに入った巨額の報酬を受け取る。それを手に提げソウルの交差点をソ・チャンデが歩いていく。カメラのアングルが下がり、ソ・チャンデの「影」だけが映し出される。うまい! これでエンドにしてもよかったのではと思ってしまった。

ラストは1988年ソウルオリンピックのテレビ中継が流れる居酒屋で、ソ・チャンデがキム・ウンボムと再開するシーンである。あれ以来ソ・チャンデは「影」の仕事から手を引いていた。一方、キム・ウンボムは拉致事件、死刑判決をくぐり抜け、1987年の大統領選に立候補した。だが金泳三と票が割れたことが響いて、盧泰愚の当選を許してしまう。その反省の弁を語る。

韓国の国会議員も議員バッジをつけているなど、韓国の政治文化の勉強にもなった。

#480『スワンソング』(米・2021)
2022/8/30@シネスイッチ銀座
上映時間105分。予告編を入れてちょうど2時間。これくらいの長さがちょうどいい。伝説のヘアメイクドレッサーのパトリック・ピッツェンバーガー(パット)の生涯が下敷きになっている。 

引退して高齢者施設で無聊な日々を送るパットの描写からはじまる。そこに弁護士がやって来て、パットの元上客で懇意だったリタが亡くなり、死化粧をパットに依頼したいとのリタの遺言を伝える。もちろん報酬は高額だ。パットはその申し出を断る。彼女とはあることが原因でずっと疎遠になっていたのだ。 

とはいえ、次第の昔の血が騒ぎ出しパットは高齢者施設を抜け出す。パットが店を出していたオハイオ州の小都市へヒッチハイクをして向かうのである。そして、パットの元弟子がやっている美容院に足を踏み入れる。この元弟子はパットの店の真ん前に店を出して、リタを含むパットの顧客をごっそり奪って成功したのだった。彼女は落ちぶれたパットを上から目線であしらう。 

パットはゲイでパートナーのデイヴィッドをエイズで失ったという深い傷を負っていた。客以上の存在だったリタはそれでもデイヴィッドの葬儀に来なかった。パットはこのことをひどく恨んでいた。 

リタの自宅で孫ダスティンが迎えてくれる。ダスティンはパットのことをリタからよくきいていた。リタの棺の前でパットは「生き返った」リタから謝罪の言葉をきく。同性愛者が差別されていた時代だったのだ。パットはリタの死化粧を完璧に仕上げる。それをみたダスティンがパットに「自分もゲイだ」と告白する。このシーンがいい! パットはもう思い残すことはないかのように昇天してエンドとなる。 

時間軸が行ったり来たりして「あれ?」と思うところが少なくなかった。パットがハードリカーを万引きしてボトルを飲み干したあと、リタの死化粧に向かうのだが、どこまでが現実でどこまでが虚構なのか。 

こんなことを突っ込むのは野暮なのだろう。タイトル「スワンソング」は、白鳥は死を前にしたとき最も美しい歌を歌うとの伝説にちなんでいる。 


#479『軍旗はためく下に』(日・1972)

2022/8/19 DVD鑑賞@自宅

アジア太平洋戦争末期のニューギニアに取り残された日本軍兵士たち。飢餓線上をさまよう彼らは野ネズミをみつけると奪い合いになり、手にした兵士はそのままかぶりつく。彼らの目をみると、本当に何日間も食べていなかったのではないかとみまがう。さすが深作欣二監督だと得心した。人肉食のシーンもすごい。野豚の肉だと言われて、冷静に考えればすべて食べ尽くしたのだから野豚がいるはずはないのだが、そんなことはどうでもいい。とにかく生きるために、その肉を水炊きにしてうまそうに食べる兵士たちの表情も迫力満点だ。

本作のテーマは軍法会議である。富樫サキエ(左幸子)の夫・富樫勝男(丹波哲郎)は徴兵されニューギニアで没する。公式記録は「戦死」ではなく「死亡」である。敵前逃亡のかどで処刑されたとされたためだ。従って、サキエは戦没者遺族援護法に基づく遺族年金を受け取れない。しかし、罪状を裏付ける証拠はなにもない。サキエは厚生省に直談判に訪れる。そこで4人の関係者を紹介される。サキエは彼らを訪ね歩いて、やがて真実が明らかになる。学徒動員の少尉が捕虜の処刑を命じられる。古参の下士官らになめられまいと少尉は捕虜に軍刀を振りかざすが、死に至らしめることができない。見かねた上官が憲兵に銃殺を命じる。

面目をつぶされた少尉は部下にますます暴力をふるうようになる。8.15の敗戦の知らせもデマだとして、餓死寸前の部下に戦うよう命令する。勝男らは少尉を殺害して生き延びる。上官は捕虜虐待を伏せるため勝男らを形ばかりの軍法会議にかけて、死刑に処する「法的根拠」をでっち上げる。軍法会議は法の支配を貫徹させる機関ではなく、厄介者の「処分」にお墨付きを与える装置に堕してしまった。

だらだらしたシーンはなく、テンポよくしかもわかりやすくストーリーが進んでいく。本編96分のギュッと圧縮された構成は見事だ。どの俳優もここを先途とばかりに好演している。


#478『夜明けの夫婦』(日・2021)

2022/8/14@新宿ピカデリー

冒頭のシーン。二世帯住宅に暮らすさら(鄭亜美)が姑(石川彰子)にダイニングテーブルに座るようにせかされる。長話だが要するにはやく孫の顔がみたいという「催促」だった。夫の康介はまもなく神戸に単身赴任することが決まっていた。さらは33歳で康介は31歳なので年齢的にもそろそろ、というわけである。

帰宅した康介にさらはこのことを告げる。「子どもがほしくないの」。康介は煮え切らない。実は康介は浮気をしていた。さらもそれに勘づいてはいた。姑は女子校の元教師でデモによく参加していた。舅(岩谷健司)から「左翼」と冷やかされる。あるとき姑の教え子が自分の子どもを連れて来訪する。その幼児に最初は目を細めていた姑だったが、やがて険しい表情になる。教え子が帰るときには我を忘れて呆然と立ち尽くす。

そのあとさめざめと泣き崩れる。理由はさらに十分わかっている。しかし夫は協力してくれない。さらも姑も精神的に不安定になっていく。

シーンは変わって、浮気相手と康介が喫茶店で向かい合っている。コロナ禍でずっと会えずにいた。康介がZoomで会っていたというと浮気相手は逆上する。別れ際に彼女はリボンがかけられたプレゼントを康介に渡す。「ネクタイだ」と言って。康介は鞄に入れる。あれ? プレゼントをもらったらその場であけてお礼を言うのが礼儀じゃないの、とふと疑問が頭をかすめた。

結局、康介はそれを捨てられずに自宅に持って帰ってきてしまう。さらに見つかり問い詰められる。康介はすべてを話して、そのプレゼントを開封しないままゴミ箱に放り込む。そして、頭を冷やしてくるといって外出する。残されたさらの表情が急に変わる。ここが恐い。ゴミ箱からプレゼントを取りだして開いてみる。すると箱から出てきたのは鋭利な包丁だった。さらはそれを手に階下の風呂場に入る。そして手首を切ろうとする。

シーンはまた変わって、単身赴任先の神戸から実家に戻ってきた康介を両親が迎える。康介の表情は明るい。あれさらは? しばらくして左の手首に包帯を巻いたさらが現れる。一命を取り留めたのだった。

ラストは舅が常連にしているスナックのママの夫のコンサート会場。4人は招待されたのだった。ママの夫はシャンソン歌手で、歌うはもちろん「夜明けのうた」。しかしここでも姑は妙な幻覚に襲われる。実はもう1回シーンは変わるのだがここには書けません。ダイナミックなエンディングで、さらが発する言葉ですべての伏線が回収される。

シーンの切り替えはみごとなのだが、ワンシーンが長いなあとじりじりしたことが何回かあった。さら役の鄭亜美の日本語遣いがユニークで、不思議な雰囲気を醸し出している。うまいなあ。

東京富士大学のスクールバスが背景に出てきたり、学術会議のデモが話題になったりと、ディテールも楽しめた。

#477『太陽の帝国』(米・1987)

2022/8/6 DVD鑑賞@研究室・自宅

広島に原爆が投下された日にみる。最後に広島・長崎への原爆投下で日本が降伏したというラジオ放送が流れる。

「スピルバーグが描く反戦へのメッセージ」とDVDのパッケージに記されている。莫大な制作資金が使われたことは十分にわかる。ただそれだけ。何を言いたいのかさっぱりわからない。上海からも特攻機が飛び立ったのだろうか。いやそんな時代考証を期待するのは無理な注文なのだろう。


#476『わたしは最悪。』(ノルウェー/仏/スウェーデン/デンマーク・2021)

2022/8/1@シネマカリテ
アラサー女性のユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)の心の葛藤を描く。成績優秀だったユリヤは医学部に進学する。しかし教育内容になじめず医師になる道を断念し、心理学、さらには芸術へと関心は移ろう。そんな中で出会ったグラフィックノベル作家の40代のアクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と同棲をはじめるすでにその道で名を成しているアクセルは、ユリヤに子どもがほしいと告げる。そんな気にはなれないユリヤはやがて、そんなアクセルをうっとうしく感じはじめる。「自分のほうが経験を積んでいる」と「上から目線」の口ぶりも気に入らない

悶々とした気持ちを晴らそうと、ユリヤは道すがらたまたま見つけたパーティーに飛び込み参加する。そこでアイヴィン(ハーバート・ノードラム)と意気投合して急接近する。どこまで「発展」するのかと「ハラハラ」していたら、トイレでお互いに放尿するところを見せ合うことになるのだから仰天した。帰り道で二人が別れるとき、アイヴィンはフルネームを言おうとする。ユリヤは「SNSで探してしまうから」とそれを遮る。確かにそういう時代ですね。

やがてユリヤはアクセルに距離を置きたいと切り出す。そんな話の最中にこうなりますか、とR15+指定であることを納得した。アイヴィンにもすでにパートナーがいたが、アイヴィンとユリヤはいっしょに暮らすようになる。そしてユリヤは妊娠してしまう。一方、アクセルはすい臓がんがみつかり入院する。見舞いにいったユリヤは痩せ細ったアクセルに妊娠を打ち明ける。アクセルは「君ならいい母親になれる」と祝福するが、ユリヤは素直に受け止められない。むしろ「不注意だった」と後悔を口にする。

ここでのやりとりをはじめ、アクセルの台詞が長くてやや哲学じみている。『ドライブ・マイ・カー』の西島秀俊を思い出してしまった。

残酷なラストが待ち受けていた。アクセルは息を引き取り、ユリヤは流産してしまうのだ。続く終章(本作品は序章と終章に12章がはさまれた構成になっている)で、フォトグラファーになったユリヤが女優を撮影している。仕事を終えたユリヤが窓の外をみると、その女優をベビーカーに子どもを乗せたアイヴィンが待っていた。

アクセントのように挿入されている町並みや山々の景色がとても美しい。ユリヤのみならず私たちの「最悪」の心中を洗い流してくれるようだ。ノルウェーだけにサーミ人への言及もワンカット出てくる。

 
#475『モガディシュ 脱出までの14日間』(韓国・2021)

2022/7/10@新宿ピカデリー

1988年のソウルオリンピックを成功させた韓国はまだ国連に未加盟だった。加盟を実現させるには大票田のアフリカ諸国をおさえるのが欠かせない。それは北朝鮮も同じで、両国の外交官がアフリカで火花を散らす。ソマリアの首都モガディシュでもそれは同じだった。ところが、1990年にソマリアで内戦が勃発する。各国の大使館は反政府軍の襲撃にあう。北朝鮮大使館は反政府軍に占拠され、大使館員とその家族は韓国大使館に迎え入れられる。もちろん韓国大使館には政治的思惑があった。彼らを転向者に仕立てることで国際的なプロパガンダとして使えるのだ。

電気・ガス・水道・通信などすべての生活インフラを止められた韓国大使館の一室で、ローソクの灯りの下、南北いっしょに夕食をとることになる。しかし、北朝鮮側は食事に手を付けようとしない。韓国側が用意した料理に毒が入っているのではないかと疑っているのだ。そこで、韓国大使(キム・ユンソク)は北朝鮮大使(ホ・ジュノ)にサーブされた料理を食べてみせ、誤解を解く。これをみた北朝鮮大使は料理に箸を付けて、にぎやかな夕食となる。しかし、韓国の国家安全企画部から派遣された大使館員は、ひそかにその様子をカメラに収めていた。北朝鮮側の若手大使館員はそれに気づく。その後二人は大乱闘を繰り広げ、韓国大使にいさめられる。

韓国側はソマリアを信託統治したことがあるイタリアの大使館に助けを求める。ケニア・ナイロビに向けた救援機が飛ぶことを伝えられるが、国交のない北朝鮮の大使館員は乗せられないと言われる。そこで、彼らは転向者だと韓国大使は虚言を弄して、搭乗を認めさせる。こうして韓国大使館からイタリア大使館まで車4台に分乗しての決死の避難行がはじまる。銃撃に備えて、車体には本やら土嚢やらで「装甲」が施される。道々で反政府軍の蜂の巣のような銃弾を浴びるが、辛うじてイタリア大使館にたどり着く。ナイロビの空港に着くと、韓国側、北朝鮮側それぞれの現地大使館員が出迎えている。南北が仲よく降機するわけにはいかない。韓国大使は韓国側が先に降りると機転を利かせる。降機後はよそよそしく振る舞わざるを得ず、両国大使は目も合わせられない。見えない38度線が引かれている。

反政府軍の子どもの兵士が逃げまどう北朝鮮大使館員たちに、笑顔を浮かべて銃口を向けるシーンには心が凍りついた。車4台の逃走シーンは見所ではあるが、いくら「装甲」しているとはいえあれほどの銃撃にふつうの車は耐えられるのか。撃つほうもタイヤを狙えばいいのにといらいらした。

降機直前にある北朝鮮の大使館員が韓国の大使館員に述べる謝辞が印象的だった。北朝鮮の大使館員はみな自分の子ども一人を平壌に残して赴任する。韓国側の善意がなければ多くのみなしごをつくるところだった、と。亡命防止に人質をとっているのだ。

#474『スープとイデオロギー』(日・2021)

2022/6/24@ユーロスペース

在日朝鮮人による北朝鮮への「帰国運動」は広く知られている。しかし、本作により金日成の還暦祝いの「人間プレゼント」として、在日の優秀な若者たちが強制的に「帰国」させられた事実を知って驚愕した。

本作の主人公オモニ(本作の監督ヤン・ヨンヒの母)は大阪に生まれ育った。両親の出身地は韓国・済州島である。アジア太平洋戦争末期に大阪では空襲が激しくなり、オモニは済州島に疎開してそこで敗戦を迎える。そして1948年4月3日に「済州島4・3事件」に遭遇する。韓国軍などが済州島民を皆殺しにしようとした事件である。オモニは文字どおり命からがら弟妹とともに日本に向かう密航船に乗って生き延びる。これが強烈な記憶となって、オモニはアボジ(父)とともに朝鮮総連の活動に心血を注ぐ。二人には3人の息子がいた。全員を「帰国運動」で北朝鮮に「帰国」させた。末っ子の娘ヨンヒだけは日本に残して、朝鮮学校に通学させた。ヨンヒは教育内容に白けながらも、優等生を演じて両親の期待に答える。家では北朝鮮を批判することは許されなかった。ヨンヒはアメリカの大学に留学して映画監督となる。

両親は借金までして北朝鮮に「帰国」した息子たちに莫大な仕送りをした。朝鮮総連の活動家だったため毎年平壌を訪問できた。しかし、「人間プレゼント」の長兄は彼の国で壊れてしまった。それでも北朝鮮を信じ続けた。

アボジは死去して平壌に葬られた。オモニは葬儀に渡航できたが、ヨンヒは作品が原因で北朝鮮入りはできなかった。

文在寅政権が2018年4月3日の犠牲者追悼式典にオモニの訪韓を認める。オモニは70年ぶりに済州島の土を踏む。すでにオモニは認知症を患い、時間軸があいまいになっている。それでも当時の地獄図の経験をようやく語り始める。ヨンヒの悩みは、オモニが亡くなったときどうやって遺骨を平壌のアボジの墓に葬るかである。

タイトルにある「スープ」とはオモニの得意料理で、鳥の内臓をすべて取りだしてそこにニンニクを40個詰めて長時間煮込む料理である。オモニはそれで来客をもてなす。すごくおいしそうにみえたが、私は鶏肉は食べられない。

オモニの家には金日成・金正日の肖像写真や金日成の巨大な遺体安置所の前で撮られた集合写真が飾られている。ラスト近くでヨンヒ夫妻がそれを撤去するシーンもある。在日の人々には南の出身者が多い。なのになぜ北を支持するのかよくわからなかった。本作でその理由の一端を理解することができた。

#473『PLAN75』(日/仏/比/カタール・2022)

2022/6/19@新宿ピカデリー

ラスト近くでは「倍賞千恵子、死ぬなー」と思って、スクリーンを直視できなかった。

日本で75歳以上の高齢者を対象に安楽死を選べる法律が制定された。「プラン75」という。これに申し込むと10万円の「お小遣い」が支給される。「人間は生まれる時期は選べないが、死ぬ時期は選べるこの制度をぜひ利用します」という政府広告が流され、イデオロギー操作が行われる。主人公の角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳で古びた団地で一人暮らしをしている。身より頼りはない。ホテルの客室のアメニティ補充と清掃の仕事をしている。ところが、ホテル側は高齢者従業員の労災を奇貨として、ミチを含む高齢従業員を解雇する。団地も解体されることになり退去を迫られている。

転居先を探すにも資力の保証が必要とされ、ミチは仕事探しに駆けずり回る。生活保護を勧められるが「もう少しがんばれると思う」と受け入れようとしない。ようやくみつけた仕事が交通誘導員だった。78歳の老女が夜間立ちっぱなしで交通誘導をするのだ。続けられるはずがない。ミチは「プラン75」を申し込む。「最期の日」まで、ミチは相談員の成宮瑶子(河合優実)と15分限りの会話を楽しむ。そこでミチの薄幸な人生の一端が明かされる。

「最期の日」の前日にミチは特上の寿司を取る。成宮に電話で「1人前といったら出前を断られたけど、事情を話したら届けてくれた。特上は違うのよ」と感想をうれしそうに述べる。ここで15分のタイムリミットとなる。「おばあちゃんの長話に付き合ってありがとう」とミチはお礼を言って電話を切る。つけっぱなしのテレビでニュースは「プラン75」が定着したので、政府は対象年齢を65歳まで引き下げることを検討していると伝える。

そして当日。ミチは洗った寿司桶をきれいにふきんで拭く。いじましくてみるのが辛かった。そして、きれいに身繕いをして「その場所」へバスで向かう。薄幸な老人たちが集まる「その場所」に。「うばすて」「じじすて」が法制化された逆ユートピアの現出は決して夢物語ではあるまい。あすは我が身かと慄然とした。

ミチがカラオケで歌う「林檎の木の下で」はうまかった。さすが倍賞は歌手でもある。これがラストでも歌われる。ミチが足の爪をパキパキ切って、それを植木鉢に入れるシーンと、ボーリング場の喫茶コーナーで大好きなメロンクリームソーダに乗ったチェリーを食べるシーンが哀しくて秀逸だった。でも、ミチにボーリングでストライクを取らせる必要はなかったんじゃないかな。

#472『ジョージ・オーウェル 沈黙の声』(劇団印象-indian elephant-第28回公演) 

2022/6/10@下北沢・駅前劇場 

「オーウェル会」で紹介された演劇を観に行った。オーウェルの半生を描く。作家としてなかなか芽が出ず、BBCで東南アジア向けの宣伝放送の制作で生活の資を得ていた。放送原稿が政府の検閲で手を入れられオーウェルは苦悶する。この場面は創作とのことだが、おそらく真相に近いのではないか。妻アイリーンが『鉤十字の夜』の著者キャサリン・バーデキンに「あなたは夫の原稿をタイプしているだけだ」と迫られるシーンには、アイリーンに同情するほかなかった。架空の人物であるインド出身のBBCの同僚ブーペンが、イギリスは信用できない、インド独立のため日本軍を支持するとオーウェルに高言するシーンもある。結果を知っているからなんとでも言えるが、でなければ返す言葉がみつからない。 

傑作『動物農場』を出版してくれる出版社がなかなかみつからず、セッカー・アンド・ウォーバーグ社が渋々それを受け入れる一幕もある。結果は大ヒットである。しかし、その前にアイリーンは手術中に死亡してしまう。 

終演後に出演者たちの座談会があり、それぞれ役作りの苦労や裏話などを披露してくれて楽しかった。劇の冒頭にオーウェルとアイリーンはカップに入ったアイスクリームを食べる。席からカップの中が見えたので、本物のアイスクリームなんだろうかとツイートした。するとなんと、アイリーン「ご本人」から本物でバニラとチョコの2種類があり、どちらに当たるかはオーウェル次第だったと種明かしのご返信をいただいた。感激しきり! 


#471『教育と愛国』(日・2022)

2022/6/3@ヒューマントラストシネマ有楽町

『主戦場』の続編をみる思いだった。超高名な歴史学者である伊藤隆氏が〈歴史は学ばなくてよい〉〈左翼の日本人をなくしたい〉などという趣旨の発言したシーンには絶句した。彼らに言わせれば自虐史観に則った「学び舎」の教科書を使っている高校に、脅迫めいたはがきが大量に送りつけられる。彼らからみて偏向した授業を行った教員は徹底的につるし上げられる。まるで紅衛兵が三角帽子をかぶせるかのようだ。杉田水脈衆院議員が櫻井よしこ氏らと、科研費を使って「従軍慰安婦」研究をしている研究者を笑いながらいたぶっているシーンには吐き気がした。検定済みでも政府見解に従って教科書が書き換えられることさえあるという。こうなると検定教科書ではなくて国定教科書だ。

ラストシーン。昨年の総選挙の選挙戦で安倍元首相が声を張り上げている。彼にかけられている青いたすきには「衆議院議院候補 安倍晋三」と書かれていた。誤字に笑ったが、いや待てよ。だから検閲もとい検定は必要なのだと暗に主張しているのではないか。この深さに「敬服」した。

#470『わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯』(日・2022)

2022/5/21@ポレポレ東中野

伊藤千代子という24歳2か月で死去した不屈の闘士の生涯を描く。戦前、非合法だった共産党に入党して治安維持法違反で逮捕され、特高に拷問を受けても屈しなかった。一方、夫の浅野晃は獄中に転向して戦後は反共の文筆家になる。こうした2人の存在を知れたのは勉強になったがそれだけ。描き方がベタすぎてついていけなかった。にもかかわらずなんで涙が出るのだろう。

#469『オードリー・ヘプバーン』(英・2020)

2022/5/6@Bunkamuraル・シネマ

オードリー・ヘプバーンの生涯を本人の映像や映画の名シーン、息子をはじめ関係者の証言を重ね合わせて再構成していく。貴族の出自を本人は決して明かさなかった。幼いとき父親が家出して父親の愛を知らずに育ち、バレリーナの夢もかなわず、女優としてもなかなか芽が出なかった。どんなに成功しても常にこれらのコンプレクスに苦しんでいた。そのためかヘビースモーカーだった。ようやく探し出した父親と再会を果たすが父親は冷淡だった。結婚に2度失敗した。

余生をスイスでようやく心穏やかに過ごしていたところに、ユニセフ親善大使の仕事が舞い込む。世界各地に足を運び内戦などでなすすべもなく衰弱死していく子どもたちを目の当たりにする。オードリーは再びカメラに向かって支援を訴える。彼女の協力のお陰で、ユニセフの活動規模は2倍になった。

『ローマの休日』で1953年の最優秀主演女優賞を受賞したときのインタビュー映像が、ういういしくてかわいい。このシーンがいちばんよかったな。公開初日の午後にいった。劇場は満席だった。


#468『ザ・モール』(ノルウェー/デンマーク/英/スウェーデン・2020) 

2022/5/4@自宅Netflix 

授業で北朝鮮帰国事業のことを取り上げたら、終了後ある学生にみるように勧められた。ネトフリに登録して鑑賞した。 

デンマークの元シェフ・ウルリクが本作品の監督マッツ・ブリュガーに請われて、スパイとして現地の北朝鮮支援団体に加入した。そして、10年間その裏の顔を隠しカメラに収めたドキュメンタリーである。日本の総連ならともかく、ヨーロッパにも北朝鮮を支持する組織があることにまず驚かされる。集会には当然、北朝鮮国旗ばかりか金日成と金正日の写真が掲げられる。その大ボスがアレハンドロというスペイン人だった。ウルリクは彼に接近して認められるようになる。 

さらに監督は元麻薬密売人でフランスで禁錮8年の服役を終えて出獄した人物を、架空の石油王に仕立ててウルリクと組ませる。北朝鮮から絶大な信頼を得ているアレハンドロは、2人を連れて北朝鮮に入国する。そして武器売買の商談をはじめさせる。北朝鮮は「スカッドミサイル 何ドル」といった武器の商品リストを出してくる。まるで通販の商品リストのように。交渉のあと「喜び組」が彼らをもてなすシーンがイタい。 

もちろん、国際的な制裁措置があるので北朝鮮国内で製造された武器を輸出することはできない。北朝鮮はアフリカのウガンダで武器と覚醒剤を製造する地下工場を建設することを提案してくる。技術はすべて北朝鮮が提供し、北朝鮮に莫大なカネが落ちるしくみだ。 

この提案に対して、「石油王」はグーグルマップで調べて(!)、ヴィクトリア湖に浮かぶ島が最適地だと応じる。地下工場の上にはカムフラージュにリゾートホテルを建設し、ゴルフ場も整備する計画に仕上がっていく。とはいえ、数千人いる島民を立ち退かせなければならない。そこでウガンダ政府高官もこれにかんでくる。話がどんどん大きく具体的になる。商談を進める場所はヨーロッパ各都市、ワシントン、北京と世界に広がる。あと一歩というところで、「石油王」は姿をくらましメールも電話連絡もつかなくなる。 

ウルリクはその現場すべてに立ち会い、隠し撮りを敢行した。ウガンダに発つ前にアレハンドロの自宅によばれて、盗聴器に気をつけろといわれる。そして最新鋭の盗聴器発見器をみせられる。それがウルリクが身につけている隠しカメラに反応したのだ。ウルリクは車のキーを身につけているからかもしれないという。アレハンドロもそのリモコン機能が電波を発しているのだろうとウルリクの言い逃れを信じて、ウルリクは事なきを得る。ふつうもっと疑うだろう。 

そういえば、ウルリクがアレハンドロに「石油王」を紹介したとき、アレハンドロは名刺を差し出したが、「石油王」はいまトランクがシンガポールから来る便で向かっているととっさのウソをつく。名刺までトランクに入れるか。これまた脇が甘い。さらに、北朝鮮の担当者も「石油王」との面会時に彼の社名を尋ねる。考えていなかった「石油王」は適当な社名を名乗る。ところが、その社名で北朝鮮との正式の契約書ができてしまうのだ。ちょっとググればでたらめの社名であるとわかりそうなものだが。 

カネに目がくらむと悪党どもはこんなにも従順になるのか。カネの亡者たちが武器売買に群がる。いまのウクライナ戦争で彼らの高笑いが聞こえる。 


#467『手紙と線路と小さな奇跡』(韓国・2021)

2022/4/29@シネマート新宿

韓国に鉄道が通っているが駅のない小さな集落があった。道路はなく住民たちは線路を歩いて集落外と行き来していた。トンネルもあれば鉄橋もある。時刻表がある客車列車ならば通過時刻を予想できるが、それがない貨物列車が危ない。轢かれてしまう悲劇も起こっていた。

映画は小学生の弟ジュンギョンが成績優秀でその表彰式に高校生の姉ボギョンが参列し、二人が線路を歩いて帰宅するシーンからはじまる。二人の母親はとうになく、父親は機関車の運転士で仕事があって出席できなかった。

トンネルを抜けて鉄橋を渡っているところに貨物列車が接近してきた。二人は他の通行人とともに大急ぎで待避所に逃れる。弟は大統領あてに駅の設置を求める手紙を50通以上書いていた。そして6年後に時代は進む。ジュンギョン(パク・ジョンミン)は高校生になっている。ボギョン(イ・スギョン)も出てくるが6年前と変わっていないようにみえる。まあいいやと気にせずみ続ける。ジュンギョンは「ギフテッド」で数学・物理に天才的な能力をもっていた。ジュンギョンに好意を抱く女子生徒(ラヒ(イム・ユナ))も出て来て、映画はさながら青春映画の展開をみせる。

そこで鉄道事故が起こる。少女が逃げ遅れて鉄橋から転落した。途端に回想シーンに切り替わって、鉄橋での貨物列車通過のシーンが再び流れる。実は、待避所に逃げるときジュンギョンが表彰でもらったトロフィーを手放してしまい、それをつかもうと待避所から身を乗り出したボギョンは転落死していたのだ。登場していたボギョンはジュンギョンにしかみえない「幽霊」だった。なので歳を取らないのだ。そういうことかとやっと得心がいった。

ラヒの父親は国会議員で大統領は駅を作ることを認めたとジュンギョンは聞かされる。しかし予算の関係から完成するまで数年はかかってしまう。その間にまた悲劇に見舞われるかもしれない。ジュンギョンは私設の駅をつくるために線路脇をスコップで掘り始める。やがて住民総出の作業となって私設駅「両元(ヤンウォン)駅」は完成する。しかし列車は無情にも停まってくれない。運転士は父だった。父は「規則違反はできない」と言うのみだった。父はジュンギョンを避けるように家ではほとんど話さない。

やがてジュンギョンにビッグチャンスが訪れる。一番になればアメリカ留学がかなうという理数科の全国試験があるので受験するよう物理の教師から勧められる。この教師は父親にも、ジュンギョンは秀でた才能をもっていると説得にかかる。しかし二人ともいろよい返事はしない。そして試験前日になる。私設駅を通過する列車に乗らないとソウルの試験場に着けない。その列車の運転士は父だった。ついに父は決断して、両元駅に10分停車するとアナウンスして自宅に戻りジュンギョンをせき立てる。ジュンギョンは遅刻したものの受験することができ、一番の成績を取る。

その吉報があった夜、父親はジュンギョンに告白する。ボギョンの転落死のとき、機関車を運転していたのは自分だったと。同僚から「息子のために、運転していたのは自分だということにしろ」と事実を言うのを堅く口止めされていた。責め苦のあまりジュンギョンの顔をろくに見られなかったのだ。

ラストは明るく閉じられる。ジュンギョンが出国ゲートに入った瞬間に後ろからラヒの声がする。周囲がとめるのをふりきって彼女とキスしてエンド!

1988年に設置された韓国初の私設駅をモチーフにしている。国鉄時代、北海道に私設乗降場があったのを思い出した。父親役は『KCIA』で朴正熙大統領役を演じたイ・ソンミン。役どころをおさえた好演が光っていた。一方で邦題が長すぎて意味もよくわからない。原題は「奇跡」だ。「小さな」どころではない「奇跡」だろう。

#466『キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性』(米・2012) 

2022/4/17@シアター・イメージフォーラム 

冒頭に『沈黙-サイレンス-』(2016)も監督したマーティン・スコセッシ監督が登場して「映画監督の仕事の9割は、キャスティングの質で決まってしまう」と発言する。どの役をどの俳優に割り振るかは監督が決めるのだろうと単純に思いこんでいた。ところが、キャスティング(配役)を専門とする仕事があるのだ。ハリウッドでのその草分けが、本作の主人公であるマリオン・ドハディである。本作は生前のドハディへのインタビューと彼女によってキャスティングされスターダムにのし上がった俳優たち、彼女の配役の妙で名画をつくることができた監督たちのインタビューで構成される。ところどころに名画のワンカットが挿入される。ロバート・デ・ニーロ、ウディ・アレン、アル・パチーノ、ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、ダスティン・ホフマン、ジョン・トラボルタなどまばゆいばかりだ。彼女に見出されたジェームス・ディーンが脚本の最初の読み合わせに遅刻して、言い訳する映像もあってびっくりした。イケメンは遅刻してもやっぱりかっこいい。 

驚くべきことに配役を専業とする者は、エンドロールにクレジットされてこなかった。ドハディらは仕事にふさわしい扱いを受けていないとこれに異を唱え、「Casting Director」(配役監督)としてクレジットするよう要求する。しかし、映画には監督は1人だけであると監督たちが反対して、「Casting by 〜」(〜による配役)とされてしまう。本作の原題も「Casting by」である。アカデミー賞にも配役部門はない。「授賞対象を広げたら現場の清掃の人にまで出すことになる」などと揶揄される。これにも監督たちが強く反対する。 

ならば、とドハディに恩義を感じている名だたる俳優たちがアカデミー賞特別賞を彼女に授与するよう運動する。しかしこれも実を結ぶことはなかった。 

ドハディは主役級のみならず端役に至るまで配役にこだわった。端役のワンシーンが映画を台無しにしてしまうこともあるのだ。 

字幕が左右両方に同時にでて読むのに疲れたが、90分に満たない尺なので助かった。いつもエンドロールになるとトイレにいきたいとばかり考えているが、「Casting by」もしっかりみなければと痛感した。 

#465『親愛なる同志たちへ』(露・2020)

2022/4/10@新宿武蔵野館

1962年6月、ソ連・ノヴォチェルカッスクの機関車工場でストライキが起こった。賃下げに労働者が反発したのだ。彼らは市民を巻き込んで数千人のデモ隊となり市の共産党中央委員会の建物へ抗議のため押しかける。主人公のリューダは党員であり市政委員である。体制側の人間だ。一般の人びとには手に入らない食料なども融通される身分だった。彼女はスターリンこそが偉大な指導者だったと信じており、フルシチョフによるスターリン批判に憤っていた。「存命中は何も言わなかったのに、死んだあとに悪者に仕立て上げて」と食卓で18歳の娘に愚痴る。娘から「お母さんだって何も言わなかった」とたしなめられると、リューダは激高して飲みかけのお茶を娘の顔にかける。

デモをどう押さえつけるか。モスクワから党や軍の高官がやってくる。リューダは「厳しい処分を」と発言する。その意見具申書が「親愛なる同志たちへ」ではじまるのだ。

デモ隊はついに党中央委員会の建物を包囲し、一部は建物内に乱入する。市民に銃は向けられないと現場の司令官は当初渋っていたが、上からの命令で銃を携行してデモ隊と対峙する。そして容赦ない発砲の参事にいたる。映像は前面モノクロなので、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』のオデッサあらためオデーサ階段でのコサック兵の発砲シーンとだぶってみえた。

娘が帰ってこない。このデモ隊の中にいたのではないか。リューダは体制側にいるあらゆるアドヴァンテージを使って、娘の消息を確かめようとする。ついにはKGB職員と組んで「ハエ一匹出られない」ほどの厳重な包囲網をかいくぐって(なぜできたのかがよくわからなかった)、市外に出て遺体処理にあたった警察官宅を訪ねる。警察官はKGB職員からピストルをつきつけられ、2人を遺体8体を埋葬した墓地に案内する。リューダの娘の写真をみて8体に娘が入っていたと認める。墓地でリューダは手で墓を掘り返そうとして、KGB職員に止められる。帰りの車のなかで、ウォッカをあおりながら、リューダは「共産主義以外の何を信じれば?」とつぶやく。ノヴォチェルカッスクの党中央委員会の建物前の広場ではダンスパーティの準備が進んでいた。事件をなかったことにし、市民を慰撫するために党が準備させたのだ。

リューダが帰宅すると同居している父が娘は帰ってきて、屋上にいると言う。驚いてリューダは屋上にかけあがると、確かに娘はいた。同じ棟の友人宅にずっとかくまわれていた、電話は盗聴されるのでできなかったと告げる。リューダは「これからはもっとよくなる」といって娘を抱きしめてエンドとなる。

党は事件の徹底的なもみ消しをはかった。いくら洗浄しても道路の血のりがとれないとの現場からの報告に対しては、その上から新たにアスファルト舗装せよと指示して、すぐにその作業がはじまる。現場の目撃者には守秘義務の書類に署名させ、もし破った場合の最高刑は死刑であると威迫する。

死体が無造作にトラックの荷台に積まれていくシーンに、いまのウクライナを思わずにはいられなかった。

#464『ベルファスト』(英・2021)

2022/4/2@TOHOシネマズ新宿

開巻直後には、いまの北アイルランド・ベルファストのビルが林立する様子がカラーで俯瞰的に映し出される。それは数分足らずで「1969年8月15日」と時代表示され映像は白黒に切り替わる。街路で子どもたちが楽しそうに遊んでいる。主人公の9歳のバディもその一人だった。母親から「夕飯だ」と言われて家路を急ぐ。その瞬間だった。敷石や煉瓦や火炎びんを手にした多数派のプロテスタントが少数派のカトリックの家を襲撃しはじめる。平和だった街角が一変する。観る者も北アイルランド紛争の現場へと投げ込まれる。

バディは母親に迎えられて難を逃れる。バディの家庭はプロテスタントなのだが、カトリックが多い地域に住んでいた。大工の父親はイングランドに出稼ぎにいって、2週間に一度しか帰ってこない。母親は家賃の延滞料の支払いに汲々としていて、父親が帰宅するたびにそのことをこぼす。バディはこっそり両親のいさかいをのぞき見する。

とはいえ、ほのぼのさせられるシーンが随所に散りばめられている。クラスの好きになった女の子と近い席になるためにバディは必死で算数の勉強をする。悪い友だちから万引きの共犯を誘われるが、店側はすでにお見通しだった。そのことで警察官が家にやってくる。父方の祖父母が近所に住んでいて、バディはしょっちゅう立ち寄っては様々な相談事をする。ただ、街には襲撃に備えてバリケードがつくられ、不寝番がかがり火を手に警戒して回る。一方、父親は帰宅するたびに昔の仲間からカトリック襲撃の仲間に加われと脅迫される。父親は毅然とこれを断る。

ついに、プロテスタントによる大規模な襲撃が行われる。スーパーが破壊され、人びとは掠奪に走る。バディは例の悪い友だちからまた誘われ、洗剤を奪って逃げる。母親になぜ洗剤なのだと問われて、「環境にやさしいから」とバディは答える。テレビCMでみたのだ。これに母親の怒りも失せてしまう。

父親は親方に腕を見込まれ、イングランド・レスターに転居するよう勧められる。北アイルランドの失業率はイギリスでも群を抜いて高く、紛争もいつ終わるか見通せない。レスターなら庭付きの家が持てると母親を口説く。だが、母親はベルファストしか知らないし、ここにいたいと言う。結局、父親が折れるのかなと思っていたら逆だった。ラストは4人がバスでベルファストを去るシーン。それを祖母が達観したようにそっと見送る。祖父はすでに死去していた。

バディが『ニュー・シネマ・パラダイス』の子ども時代のトトにみえてしかたなかった。映画館で笑ったり怖がったりするシーンまである。『ニュー・シネマ』に着想を得たのではないか。教室で先生が11×12はと尋ねるシーンがある。イギリスの「九九」は2ケタまで教えていたことがわかっておもしろかった。 

#463『ドライブ・マイ・カー』(日・2021) 

2022/3/18@TOHOシネマズ新宿 

第45回日本アカデミー賞8冠に輝いた作品に勇んで観に行ったが、期待外れと言わざるを得ない。各登場人物の台詞がやたら長くて「哲学的」。日常会話でこんなこむつかしいことをやりとりするか。それに3時間もつきあうのはつらかった。救いはエンドロールが短かったこと。トイレにいきたくて仕方なかった。よっぽど城定秀夫の『愛なのに』のほうがおもしろかった。 

海外出張に出かけた主人公(西島秀俊)が成田空港に行ったらフライトがキャンセルになって家に戻る。すると妻(霧島れいか)がほかの男性と性交中だった。主人公はそれを鏡越しにみて静かに家を後にする。しかもその後も何事もなかったかのように妻に接する。今村昌平の『うなぎ』(1997)では、夫(役所広司)が妻を包丁で突き刺していた。こっちのほうがよっぽど理解できる。だいたいそういうやましいことをするのに、ドアガードをしていない無防備さも信じられない。 

主人公は舞台俳優で妻は脚本家という設定。舞台を終えた主人公の楽屋に妻が若い俳優(岡田将生)を連れて来る。あいさつを受けたあと「着替えしますから」とやや冷たく追い返す。そして、脱いだ衣装を椅子にたたきつける。最初、このシーンの意味がわからなかったが、妻が次々に若手俳優と懇ろになっているのを主人公は知っていたのだとあとと気づいた。 

あるとき妻が主人公を送り出す際に「今晩帰ったら話がある」と告げる。主人公が夜遅く帰宅すると妻がくも膜下出血で倒れていた。すでに息はなかった。そして葬儀のシーン。そのあとキャストの字幕が流れる。こんなのはじめてみた。斬新ではあるが、これまでの結構重い話は長い「予告編」だったのかとため息が出た。 

バーで主人公が前出の若手俳優とウイスキーを飲むシーンが2回出てくる。いずれもグラスに入っているのは丸い大ぶり氷1つだった。違う店なのだからありえまい。しかも両店ともつまみが出されていない。これもありえないだろう。 

一方で、主人公の運転手役みさきを演じた三浦透子がすばらしかった。プロ意識に徹して決して笑わないし、余計なことは口にしない。最初は主人公はリアシートに座っていたが、あることをきっかけに助手席に座るようになる。ソンガンホが主演した『タクシー運転手』(2017)にも同じ変化があった。ただ、ラスト近くで広島からみさきの生まれ育った北海道まで、みさきの運転で往復するというのもありえないよなあ。日本海沿いを走っていて「上越」という地名表示が出て来て懐かしかったけど。最後の最後でなぜかみさきがコロナ禍の韓国で運転しているのがおかしかった。というかどういう含意なんだろう。リアシートには日本から連れてきた犬が乗っている。犬にじゃれつかれてみさきははじめてほほえみをみせる。 

本作の映画評をみると「3時間という長さを感じさせない」といったコメントがいくつもつけられている。私は「長いな、早く終わらないかな」とじりじりしながら観ていた。 

#462『テレビで会えない芸人』(日・2021) 

2022/3/5@ポレポレ東中野 

松元ヒロという66歳の芸人がいる。以前はテレビによく出演する人気芸人だった。ところが、1990年代末ころから政権に「忖度」し視聴者やスポンサーの反応を過敏に恐れるテレビに嫌気がさして、活動を舞台に移す。いまでも年に180日間もライブをこなす「売れっ子」ぶりだ。そんな松元ヒロの日常を追いかけ考え方に迫ったドキュメンタリーである。 

ライブでは「希望の党、小池にはまってさあたいへん」「菅政権自体が緊急事態だ」「軍人勅諭、教育勅語。わからない人は森友学園に聞いてください」などなど権力を笑いのめす政治批評を次々に繰り出す。日本はアメリカの属国なんだから、国旗を変えて星条旗の左上にある50の星に1つ丸を加えたものにすればいい。国歌は右派に「譲って」君が代の歌詞はそのままでいいが、メロディをアメリカ国歌にする。それを朗々と歌ってみせる。「こりゃ、どのテレビにも出られないわ」と大笑いした私も自主規制に毒されているのかもしれない。 

2019年5月の天皇の代替わりに浮き立つ人びととそれをあおるマスメディアの報道について、モリカケがリセットされる煙幕になっているとの指摘はそれこそ正鵠を射ている。 

松元がずっと演じ続けている演目に「憲法くん」がある。その最後に日本国憲法前文を感情を込めて最後まで語り尽くした迫力には涙を禁じ得なかった。前文こそ日本国の原点であり、日本国の存在理由であると強く再認識した。 

松元は永六輔と立川談志を尊敬していた。永からは憲法9条を守れと「遺言」され、談志からは「テレビに媚びないお前こそが芸人だ」と評価された。それを心にきょうも舞台に立って、痛烈な権力批判を展開する。60代後半ともなれば「丸く」なり「守り」に入りたくなるのではと想像するがとんでもない。松元は常に前傾姿勢である。 


#461『コレクティブ 国家の嘘』(ルーマニア/ルクセンブルク/独・2019)

2022/2/27@下高井戸シネマ

製薬メーカーがカネを浮かせるために、消毒液を表示の10倍に薄めて病院に納入しているなど思いもしない。ルーマニアでは製薬メーカーも病院も国家もグルになってそれが常態化していた。義憤に駆られたスポーツ紙の記者たちがこの構造的な犯罪を暴いていく軌跡を追いかけたドキュメンタリー。

2015年10月、ルーマニア・ブカレストのライブハウス「コレクティブ」で火災が発生して、27人の死者と180人の負傷者を出す大惨事となった。同時に問題なのは、負傷者として搬送された患者がその病院で次々に命を落として、死者数が64人に増えたことだった。各病院は10倍も希釈された消毒液を使っていて不衛生きわまりなかった。だから救える命が救えなかった。その背景には賄賂が介在する腐りきった医療政策があった。患者の命よりカネなのだ。保健省はルーマニア全国の病院を調査したところ、衛生上の問題がみつかったのは5%に過ぎなかったと厚顔にも発表した。記者たちは次々に証言や証拠をつきつけるが、保健省はまともに答えない。各地でデモが頻発して保健大臣は辞任する。

あとを襲った改革派の保健大臣は問題の根深さを前に絶望の淵に立たされる。重体の患者の首に虫がたかっている映像は衝撃的だった。大臣がそれをみた翌日にはその患者は死亡した。記者会見で大臣は記者から「1日かそこらで虫がわくはずはない」と追及される。

一方で、大やけどを負いながら生き残った女性も登場する。手に指はなく体中やけどの跡だらけだ。彼女の体を撮った写真展が開かれドレスアップした彼女が現れる。このシーンもすごい。そして保健大臣が彼女と握手する。

スポーツ紙の報道は国民に「国家の嘘」をあますことなく暴き出した。嘘つきたちを追い出せる最大のチャンスが総選挙だ。しかし、総選挙の結果、守旧派が大勝利を収める。東アジアの某国でも政権が疑惑まみれでも選挙には強かった。選挙結果を受けて保健大臣の父親から彼に電話が入る。この国は芯まで腐っている、おしまいだと。とても遠い国の出来事とは思えなかった。

ドキュメンタリーだから、映画に出てくる記者たちの打ち合わせや大臣室での大臣とスタッフの協議の場面などすべて実写なのだろう。ここまでカメラが入れるのかと驚くばかりだ。主人公がスポーツ紙の記者というのも気に入った。私が日本のクオリティ・ペーパーだと信じて疑わない日刊GやTスポーツの記者のみなさん、がんばってください(*^_^*)

 

#460『愛なのに』(日・2021)

2022/2/25@新宿武蔵野館

もうすぐ31歳になる多田浩司(瀬戸康史)は古本屋のあるじである。あるとき女子高生が浩司にばればれで本を万引きする。浩司はなんとか追いついてその女子高生・岬(河合優実)を店に連れ戻して名前などを聞き出す。すると岬は浩司のことが好きで名前を覚えてもらいたいばかりに犯行に及んだという。さらに「結婚してください」とまで言う。もちろん、浩司は本気にせず断るが、岬は来店するたびにラブレターを置いていく。浩司には一花(さとうほなみ)という好きな女性がいて、告白したがふられてしまった。それも岬に知らせる。

そんな中、一花が結婚式を挙げると友人から聞かされる。そして、一花とその結婚相手・亮介(中島歩)がブライダルサロンで一花のウェディングドレスを選ぶシークエンスへと変わる。なんと亮介はそこで働く美樹(向里祐香)と浮気していたのだ。

一花は結婚式の準備でナーバスになり、それを手伝おうとしない亮介に当たる。亮介はよくたばこを吸う。実はこれが重要な伏線になっている。「きょう帰ってきたら手伝うから」と出勤した亮介は、前の勤務先の同僚たちが開いてくれたお祝いの会に出て酔って帰って来る。「あしたにしてくれ」とまた約束をたがえた亮介はスーツを脱ぎ散らかす。それをハンガーにかけようとした一花は浮気の物的証拠をみつけてしまう。亮介はまさか相手が一花も知っている美樹だとは言えず、とっさに巧みな嘘を並び立てる。口のうまい奴っているよなと感心した。
もちろん納得しない一花は家を飛び出して、飲み屋に一人で入ってとんでもないことを思いつく。自分も亮介以外の男性と関係をもてば報復できると。その相手として、自分に告白した浩司を選んだ。ホテルで浩司は一花に考え直すよう説得する。こんな屈辱はない。だた一花は「じゃあほかの人とする」とまで開き直り、浩司は折れざるを得なくなる。

一花は浩司のことを忘れられず浩司のアパートにまで押しかける。帰りに浩司は一花をバス停まで送って、バスを待ちながら「こんなことこれ限りにしよう」と一花に告げる。一方、亮介も美樹に「これ以上続けるとばれるから」と別れを切り出す。こうして亮介と一花は挙式にこぎつける。これに欠席した浩司の古本屋に、出席した友人たちが引き出物を持ってくる。浩司は岬と仲良く並んで本を読んでいた。いぶかる友人たちに、岬のことを「常連さん」と紹介する。彼らが去ったあと引き出物の包みをあけると夫婦茶碗だった。浩司は妻用の茶碗を「あげるよ」と岬に手渡す。岬は「やった!」とほほえんでかわいいエンドとなる。
ハラハラドキドキの楽しい映画だった。ただ、ラブホにはホテル名まで印字されたライターが部屋にあるんだろうか。ライターではなくレシートほうが現実的だったのでは、とつまらないことを考えてしまった。
エンドロールが映し出されているとき、みらんの「低い飛行機」が流れる。岬の気持ちを旋律にのせたようなとてもいい曲だ!

#459『マイ・バック・ページ』(日・2011) 

2022/2/21DVD鑑賞@研究室 

1970年前後の社会の雰囲気が横溢している。男たちは始終煙草を吸っていた。職場には灰皿があふれていた。 

1969年1月の東大安田講堂事件を伝えるラジオ放送で映画ははじまる。この事件に感銘を受けた梅山(松山ケンイチ)は武装闘争にのめり込んでいく。一方、東大生として安田講堂落城を傍観していた沢田(妻夫木聡)はそこでの無力感を抱えながら大手新聞社である東都新聞社に入社し、傘下の週刊誌記者になっていた。沢田は梅山からの接触を得て、彼らのセクトが「4月蜂起」を計画していることを知らされる。それは不発に終わった。しかし梅山は諦めておらず、自衛隊駐屯地から武器を奪う計画を立てる。梅山は沢田をアジトに招じ入れ計画を聞かせてアジトの様子を写真に撮らせる。沢田は梅山から信頼されている、大きなネタになると確信する。 

実行に移されたのは1971年8月の夜である。梅山配下の二人が本物の自衛隊の制服を着て駐屯地の検問をなんなく通過して、武器庫を目指す。もちろんそこには歩哨がいた。二人は芝居を打って歩哨をおびきよせ短刀で腹部を刺して死に至らしめる。その直前、歩哨は小銃を側溝に放り投げたので小銃は彼らの手に渡ることはなかった。武器調達をあきらめた彼らは犯行を誇示するために「赤邦軍」(実際には「赤衛軍」)と書かれた赤いヘルメットとビラを現場に残した。そして歩哨の腕章を持ち去った。のちに「赤衛軍事件」あるいは「朝霞自衛官殺害事件」とよばれた実在の事件である。 

沢田は梅山と密会し、「取材費」10万円と引き換えに血まみれの腕章を梅山に渡す。東都新聞の社会部記者も嗅ぎつけ密会場所を訪ねる。沢田は「取材費を別にもらえるなら」と取材に応じる。東都新聞社会面の大スクープ記事になるはずだった。ところが社会部上層部からストップがかかる。ここまで知っていることは社として容疑者をかくまっていることになるからだ。沢田は必死に抵抗するが社の方針に押し切られ、記事は出なかった。 

梅山は逮捕され、沢田との関係をすらすらしゃべってしまう。沢田も警察の取り調べを受け、梅山は実は偽名で、自己の存在を世に知らしめたかった梅山に沢田は利用されただけだったことに気づかされる。すでに沢田は梅山から預かった物的証拠である腕章を焼却していた。梅山は懲役15年、沢田は懲役10か月執行猶予2年の判決を受ける。当然、社からは懲戒解雇される。 

ふだんは物静かな梅山が、セクトの活動の話になると人が変わったように饒舌になる。そして怖さを漂わせる。この切り替えを松山ケンイチは巧みに演じ分けていた。配下の二人が駐屯地に侵入しているときに、梅山は彼女の前で漫画を読みながらパスタを食べている。このときの松山ののんきな食べ方がうまい。梅山に関わったばかりにすべてを失った沢田は、ぶらっと入った居酒屋のカウンターで感極まって涙をこらえきれなくなってしまう。この妻夫木のシーンもいい。これがラストになる。 

評論家の川本三郎が自らの体験を綴った同名の本が原作になっている。 

#458『アイダよ、何処へ』(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/墺/ルーマニア/蘭/独/仏/ノルウェー/トルコ・2020)

2022/2/14@下高井戸シネマ

重い、重すぎる。しかし直視しなければ。1995年夏のボスニアのスレブレニツァにおけるジェノサイドを描く。国連軍はスレブレニツァへ侵攻するセルビア人勢力に最後通牒を送り、撤退しなければ空爆すると伝える。しかし空爆は実施されずセルビア人勢力はスレブレニツァを陥落させる。約2万人の住民たちが身の安全を求めて国連施設に押し寄せる。国連キャンプはとても全員を収容できず、入れない住民は施設を取り巻くように座り込む。水も食料もトイレもない。

主人公で元教員のアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)は通訳として国連に雇われ、国連軍の指示を訳して住民たちに伝えるのが仕事だ。彼女の夫と2人の息子も施設の外にいた。セルビア人勢力との交渉役を夫にすることで、3人を施設内に入れることを国連軍に認めさせる。セルビア人勢力との交渉で彼らは施設内外にいる住民たちをバスで「安全な」場所に移送すると約束する。やがてバスが次々に到着して住民たちを男女別々に移送しはじめる。

アイダは勤務先で得た情報から移送されたら殺されると見抜いており、夫と2人の息子にも国連のIDカードを発行するよう国連軍とかけあう。しかし国連軍はそんな例外を認めれば国連のIDカードの信頼が失われると突っぱねる。ついに3人も移送されてしまう。移送に使われたバスが、ユダヤ人を絶滅収容所へ送るための貨車にみえてしかたがなかった。そして、男性住民たちは移送先で講堂のような施設に導かれる。「これから映画がはじまる」と言われて。これにはユダヤ人が押し込められたガス室で「シャワーのあとスープ(コーヒーの場合もあった)が出る」と言われたことを思い出した。

しばらくして、上方の「銃眼」から銃が乱射される。7千人以上が虐殺されたという。

ラストは復職したアイダが勤務先の小学校の学芸会を見つめるシーン。来場した親たちはみな笑顔で子どもたちのお遊戯を楽しんでいる。アイダはにこりともしない。笑うという感情を失ったのだろう。

この映画のチラシには「そこに、神はいなかった──」とのコピーが付けられている。神よ、いてくれ!

#457『コーダ あいのうた』(米仏加・2021)

2022/2/6@TOHOシネマズ新宿

原題はCODA。楽曲の結尾部を示すために楽譜に「Coda」と記されることがある。もちろんこの映画での意味はそうではなく、“Child Of Deaf Adults”の略語で「聾唖の両親をもつ子ども」を指している。主人公のルビー(エミリア・ジョーンズ)は4人家族で両親と兄が聾唖者で自分1人が健聴者である。幼いころから一家の手話通訳者だった。父親と兄は漁師でルビーも必ず乗船して2人を手伝って。毎朝3時に起きて漁に出て、そのあと高校に通う毎日だ。当然眠くて勉強にならない。大学進学はせず卒業したら漁師専業になるつもりでいた。

ところがちょっとした偶然から合唱の授業を取ることになり、教師に歌の才能を見出される。彼はルビーを個人指導し音楽大学に進学するよう勧める。ルビーもいったんはその気になる。しかし水産資源確保のため漁獲高に規制が設けられることになり、そのための監視員も乗船することになった。たまたまその朝はルビーが漁をさぼって彼氏とデートに出かけてしまったため、父親と兄と監視員の3人での漁になった。監視員は聾唖者だけの漁は危険だと判断して警備艇を呼んでしまう。父親は高額の罰金を課せられ健聴者の同乗を厳命される。

ルビーは進学の夢をあきらめ両親を安心させるが、兄は納得しない。家族の犠牲になるのかとルビーをなじる。

秋のコンサートを迎えて、ルビーは名声を披露する。両親と兄もかけつけ、みようみまねで拍手する。ルビーが歌っているところで映画は1分ほど無音になる。聾唖者にとってのコンサートはこうなのだと実感させられた。

聞こえなくても聴衆の反応でルビーの実力を悟った父親は考えを変える。ルビーは音楽大学のオーデションを受けることになる。個人指導してきた教師が伴奏をつとめる。ルビーは審査員のやや意地悪な質問に動転して、最初はうまく歌えない。ここで教師がわざと弾き間違えて、やり直しとなる。落ち着きを取り戻したルビーは見違える歌声を響かせ、さらに客席に忍び込んだ両親と兄をみつけて手話を交えて感情豊かに歌い上げる。最高のシーンだ。そして音楽大学に合格して、大学のあるボストンに引っ越すため家を出るところでエンドになる。もちろん、タイトルのCODAは楽譜のCodaも意識してつけられていよう。一つの曲を歌い終えて、ルビーは次の人生局面に向かうのだ。

 両親と兄には聾唖者の俳優をキャスティングしている。歌ばかりか、彼らと対等に手話がかわせるまでに役作りしたエミリア・ジョーンズはすばらしかった。加えて、漁師としての役作りもあった。

R12指定なのは、両親がルビーと彼氏の前などで性についてのあけっぴろげな話を手話で「リアル」に交わしているからか。爆笑したが。かつて『朝日新聞』に「中島らもの明るい悩み相談室」というコラムがあった。明るい聾唖者家族の品のない台詞回しがむしろ映画を光らせている。


#456『おじドル, ヤクザ』(日・2021)

2022/2/1@K’s cinema

中年ヤクザで借金の取立て屋の金田(大川裕明)は柄に似合わず潔癖症で、一仕事終えてはウエットティッシュで手を拭い、帰宅すれば入念に手洗いをする。それには幼くして両親に先立たれた不幸な生い立ちが絡んでいた。ある取立て先はあずぽんという芸名のおじさんアイドルだった。とはいえ、ライブハウスでコンサートを開いても観客はいつも追っかけのおばさん3人だけで大赤字だ。そこで、コンビニバイトでも足りずにヤミ金に手を出したのだった。あずぽんも里親に育てられていた。

こうした共通点のせいか、あずぽんが金を貸した相手に2人で取り立てに出向いたり、金田が常連の定食屋でアルバイトしているみきちゃん(たしろさやか)と3人で飲みに行ったりと2人の間に不思議な友情が育まれていく。そこに半グレ青年たちが邪魔しに入って、金田たちと対立する。さらに、金田はみきちゃんが覚醒剤の常用者であることを知ってしまう。

一方、あずぽんは追っかけおばさんによるライブ動画配信がバズって、ライブハウスは大盛況となる。これが半グレたちにはおもしろくない。彼らはあずぽんのライブに押しかけて乱暴狼藉を働く。その頃、金田はあずぽん宅で夕食をごちそうされ、それまで縁のなかった家庭団らんの味を知って、ヤクザから足を洗っていた。金田の職場にも半グレたちがおしかけ、こいつは元ヤクザだと吹聴して金田の再出発を妨害する。

追っかけおばさんからあずぽんライブのことを聞いた金田は逆上して、あずぽんを半グレたちがいたぶっている現場にかけつける。そしてバットで半グレたちに襲いかかる。だがその1人がナイフで金田の背中を刺して、金田はうつぶせに倒れる。

再びシーンはあずぽんのライブ会場。満員の場内もさることながら、バックバンドが4人もいることにびっくりした。太田裕美のソロコンサートでさえ3人だぞ! 以前はおっかけおばさん3人を相手にカラオケで歌っていたのに。あずぽんはMCで金田の思い出話をする。ああやっぱり死んだんだなと思ったら予想は裏切られた。「2年後 府中刑務所」の字幕が出て、あずぽんは金田の出所を迎えに行く。2人が握手してエンド。エンドロールが流れてその最後に定食屋でみきちゃんが働く姿が映し出され、店に入ってきた金田とあずぽんを満面の笑みで迎える。覚醒剤依存から立ち直ったのだ。

実は握手がこの映画を貫くテーマになっている。「親に手を握ってもらっていればこんなことにはなっていない」と金田が自分の半生を後悔してつぶやく。

あずぽんの里親役の竜雷太がさすがの演技をみせてくれる。

楽しい82分だった。終映後には主演(大川裕明は監督でもある)した4人による舞台あいさつもあった。


#455『東京クルド』(日・2021)

2022/1/23@下高井戸シネマ

差別がいまここにあることを思い知らされる、必見のドキュメンタリー映画である。

冒頭シーンで2人のクルド人青年(18歳のオザンと19歳のラマザン)がボーリングをしている。二人の会話は日本語だ。それもいまどきの日本人の若者が使う日本語である。これにまず驚かされる。やがてその理由がわかる。オザンは6歳、ラマザンは小学校3年生のときから日本にいて日本の学校教育を受けている。意思疎通は母語よりも日本語のほうがたやすいのだ。

彼らの両親は母国のトルコによるクルド人弾圧から逃れるため、彼らをつれて日本に入国した。こうした人びとは東京で約1500人いるという。ラマザンの父はトルコにいれば拷問にかけられ爪を剥がされ殺されていたと語る。しかし、日本の難民認定率は1%にも達していない。非正規滞在者である彼らは、入管収容を一時的に停止される「仮放免」というきわめて不安定な立場にある。数か月に一度東京入管に出頭しなければならない。そのたびに係官から屈辱的な言葉を浴びせられる。「仕事はするな」「帰ればいいのに」。仕事をしなければどうやって生計を立てるのだ、帰国すれば命の保証はない。

ラマザンの叔父は「仮放免」が認められず、人生の半分以上を東京入管の施設で過ごしていた。「ただいるだけ」という叔父のことばが胸に突き刺さる。その叔父が体調不良を訴えた。連絡を受けた家族が救急車をよんだ。しかし入管は2度も救急車を追い返し病院に搬送されたのは30時間後だった。

それでもラマザンは人生に前向きだ。もし難民認定されたとき後悔しないように、自動車整備の専門学校に通う。裁判にも訴える。一方、オザンは解体作業で日銭を稼ぎながら理不尽な毎日をぎりぎりで耐えていく。展望の見えない日常について「自分はダニみたいな存在だ」と吐き捨てる。

ラストは夜間にオザンが自暴自棄になったかのように、車を乗り回すシーンで終わる。悪い胸騒ぎが残る。

入管は彼らが音を上げて出国してくれることしか望んでいない。その政策の下、あらゆる差別的で非人道的な行為がまかりとおる。「ただいるだけ」だと訴えても、「それはそっちでなんとかしてほしい」とこともなげに言う。彼らは人権感覚のかけらも持ち合わせていないことをまざまざと見せつけられた。

ところで、オザンが過去を振り返って、父親がとかく自分をほかの子どもと比較するのでグレてしまったと告白するシーンがある。本人の前で他人との比較を口外してはいけない。子どもたちに対しても、学生たちに対してもそのような物言いはしてこなかったつもりだが、と心配になった。


#454『巴里祭』(仏・1933)

2022/1/16@下高井戸シネマ

パリの街は7月14日の巴里祭に向けて飾り付けがなされている。その夕べに、下町のアパートに暮らす花売り娘のアンナ(アナベラ)と、真向かいのアパートに住むタクシー運転手のジャン(ジョルジュ・リゴー)はダンスパーティーに行く。にわか雨に雨宿りする間に恋が芽生える。帰宅したアンナは「うっとり」という言葉がぴったりの表情で窓から外を見る。これが素敵だ。一方、ジャンが自室のドアを開けるとかつての恋人ポーラが待っていた。口論の末にジャンは根負けして、一晩だけいていいと言って外へ飛び出していく。ポーラの存在にアンナは気づいて、そこから二人のすれ違いがはじまる。

アンナは母親を亡くしてアパートを出て、ジャンは悪い仲間に引き込まれて泥棒の一味に加わる。たまたま彼らが押し入った居酒屋にはアンナが働いていた。ジャンはアンナだとわかって、泥棒をやめさせる側に回る。そしてアンナはジャンを逃がしてやる。だが、店主に騒ぎについて問い詰められたアンナはうまく説明できず、店を首にされてしまう。

再びアンナは花売りに戻る。金持ちの酔客が花代を間違えて大金を払ったため、アンナは篭売りから手押し車での花売りへと商いを拡大させる。その手押し車とジャンが運転するタクシーがぶつかるのである。「悪いのはそっちだ」と二人がヤジ馬とともに言い争う。その最中にまたにわか雨。口論はヤジ馬同士になっていて二人はいない。ショットが変わると、二人は雨宿りしながら抱擁している。雨がまがりくねった二人の恋を実らせたのだった。

チャップリンの不朽の名作『街の灯』は1931年に公開されている。これにも花売り娘(ヴァージニア・チェリル)が登場する。盲目の篭売りだったのが、手術に成功して光を得て大きな生花店を構える。このいきさつが頭に浮かんだ。ここから想を得たのか。これまた不朽の名作『ローマの休日』の公開年は1953年である。タクシー運転手と客との丁々発止のやりとり、 階段を巧みに使っている点、屋台のアイスクリームを買うシーン、そしてダンスパーティーでのドタバタをみると、これらに『ローマの休日』は学んだのだろうかと思ってしまった。

要所に流れる映画音楽がすばらしい。歌詞の字幕など読まずに、聴くことに専念していればよかった。愛くるしいアンナの「若さ」に嫉妬した。

 

#453『こんにちは、私のお母さん』(中国・2021)

2022/1/14@TOHOシネマズシャンテ

何をやってもだめな娘シア・シャオリン(ジア・リン)は母親リ・ホワンイン(リウ・シア)に「私を喜ばせて」と言われ続けている。そこで、名門芸術学校に合格したと母親に嘘を言う。母親は舞い上がって親類縁者を集めて祝いの会を開く。娘はその場で偽造した入学許可証を提示する。ところがそれがばれてしまう。面目丸つぶれの母親は娘をなじるが、やがて怒りも融けて、二人は自転車を二人乗りして仲良く家路につく。ところが、さしかかった交差点で大型トラックにひかれてしまう。これ『幸せなひとりぼっち』(#231)のワンシーンに似ているな。

娘は軽傷で済むが母親は重体になる。病院のテレビには1980年代の様子を紹介する番組が流れている。そして娘は1981年にタイムスリップする。娘は「勝利化学工場」に勤務する20歳の母親(チャン・シャオフェイ)に会うことになる。娘は母親のいとこになりすまし、もっと幸せになってほしいと母親の人生を変えようとする。たとえば、結婚相手に党幹部の息子を接近させて恋の工作をする。だが、ことごとく失敗する。抱腹絶倒のシーンの連続だが、ちょっとやり過ぎようにみえる。だが、それもそのはずで主演の娘役と監督をつとめたジア・リンは、中国で人気の喜劇女優のなのだ。

1980年代はじめの中国社会の様子がわかっておもしろかった。青い労働者の作業服と自転車通勤が印象的だ。また、当時テレビは家庭に普及していなかった。日本なら街頭テレビに力道山だが、中国では日中の女子バレーだった。人びとがテレビに群がり試合に熱狂するシーンは日本のテレビ黎明期そっくりだ。まだ文革終結5年後で人びとが「○○同志」と呼び合っていた。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように未来に戻るしかけに期待した(というか本作は中国版の『バック・トゥ』なのだ)がそれはなく、ラストは母が入院する病室に戻る。エンドロールで、この母娘は実在の人物だったことが明かされる。母は48歳でこの世を去ったのだ。

#452『ドント・ルック・アップ』(米・2021)

2022/1/4@シネ・リーブル池袋

天文学を学ぶ大学院生ケイト(ジェニファー・ローレンス)が彗星を発見する。指導教員のランドール・ミンディ博士(レオナルド・ディカプリオ)とその彗星についての研究をさらに深めると、あと6か月あまりで地球に衝突することがわかった。直径10キロはあるこの巨大彗星が地球にぶつかれば、その衝撃は広島原爆の10億倍で高さ数キロの超巨大津波が沿岸に押し寄せる。人類壊滅だ。2人は大統領オルレアン(メリル・ストリープ)に直訴する。当初大統領はまゆつばものとしてまともに取り合わない。2人はテレビの人気ワイドショーに出演して全米に向かって訴える。そこでも相手にされない。

しかし、やがて著名な研究者がいずれも彼らの計算結果が正しいことを確認する。そこで大統領は核弾頭を搭載したロケットを何機も打ち上げ彗星に命中させて、その軌道を変えることを決断する。とはいえ悲壮感はない。これで自分の支持率が上がると計算ずくである。

ところが、打ち上げたロケットのほうが軌道を変えて地球に戻ってくる。さしずめGAFAの一つになぞらえる巨大プラットフォーマーDASHの創業者が待ったをかけたのだ。彼は世界第3位の超高額所得者で大統領に巨額の政治献金をしていた。DASHの分析では、この彗星にはレアアースが大量に含まれている。そこで軌道をそらせるのではなく破砕して小さな塊にして地球に落下させるべきだ。DASHが回収して事業の資源にする。こうした彼の提案に大統領は乗ったのだった。だが、DASHの研究結果は専門家の査読を通っておらず、これこそまさにまゆつばものだった。

ロシアのロケット打ち上げは失敗に終わり、残るはDASHのロケットのみとなる。世論はLOOK UP派(DASHを信頼せず衝突を不可避とみる悲観派)とDON’T LOOK UP派(DASHを信頼する楽観派)に二分される。DASHのロケットが打ち上げられ、彗星に到達する。破砕する装置が彗星に降ろされるがどれもミッションを果たせない。人類壊滅が確実になる。

一連の騒動に翻弄され疲れ切ったケイトとミンディ博士は仲間たちとミンディ博士の自宅で「最後の晩餐」をとる。その最中から揺れがひどくなるがだれもパニックに陥らない。死を覚悟すると人間は意外に冷静になれるのかもしれない。

一方の大統領とDASHの創業者たちは密かに準備していた地球脱出用のロケットに乗り込む。「ノアの方舟」だ。彼らは冷凍保存され2万年以上を旅して地球と似た環境の星に降り立つ。カラフルな鳥のような生き物に「かわいいわね」と近づいた大統領は、その鳥に頭を食いちぎられてしまう。

もちろんこの喜劇映画のモチーフは気候危機である。新型コロナも付け加えられよう。半年後はありえないが、人類は着実に絶滅に向かっている。その回避如何もGAFAの損得勘定に握られているのか。

いつも二枚目役のディカプリオがさえない天文学者を演じているのには笑えた。アメリカ初の女性大統領役をこなせるのはメリル・ストリープしかいまい。キャスティングの妙を楽しめた。

#451『ダーク・ウォーターズ』(米・2019)

2021/12/31@TOHOシネマズシャンテ

テフロン加工のフライパンはどの家庭にもある。この技術を開発したのは総合化学メーカーのデュポンである。テフロンはデュポンの商標になっている。他のメーカーはフッ素樹脂加工という。

第2次大戦中、戦車の防水用に開発されたこの技術は戦後民間転用され、フライパンなど身近な製品に使われるようになった。テフロンの特許はデュポンに巨利をもたらした。だが実はテフロンの製造過程ではPFOA(ペルフルオロクタン酸)という発がん性のある有害物質を使用する。

ある企業弁護士ロブ・ビロット(マーク・ラファロ)が祖母の農場主の来訪を受ける。飼っている牛が次々に変死している。デュポンの工場廃水が原因に違いないと相談される。地元の弁護士はデュポンが相手だと恐れをなして取り合ってくれないと。自分は企業側の弁護士なんだと当初ロブは追い返す。しかし、祖母の自宅を訪ねその農場主から奇形した牛の歯や内臓を見せつけられ、次第に巨大企業デュポンを相手取った訴訟にのめり込んでいく。調べていくうちに、デュポンのテフロン製造ラインで働く女性従業員から鼻孔が一つしかない子どもが生まれていたことをつきとめる。さらに、デュポンはPFOAの有害性を確認するために人体実験までしていた。デュポンは有害性を十分に知っていたのだ。それでもテフロンは巨利をたたき出す。デュポンは事実を隠し続けた。

ロブは住民6万人を対象にした大掛かりな血液検査を実施して、因果関係をつかもうとする。これが立証できれば集団訴訟でデュポンに発病者全員への医療費を生涯にわたって支払わせることができるのだ。しかし検査結果はなかなか判明しない。弁護士事務所におけるロブの立場は悪くなる。この件に没頭して他の訴訟を1件も受任していなかったのだ。給与は3分の1にまで減らされる。家庭のことは妻に任せきりで夫婦仲も冷え込む。訴えた住民は地域社会で孤立する。くだんの農場主は志半ばでがんで死去する。ロブ自身も一過性脳虚血発作を発症する。

7年が経ってようやく検査結果がロブに伝えられた。PFOAは6つのがんを発症させる原因であることがわかったと。大喜びのロブは家族で食事に出かける。そこに電話が入る。デュポンが裏切って、集団訴訟の原告一人ひとりにつきこの件を争うという。すべての訴訟が終わるまで何百年もかかる。ひるまずにロブはこの訴訟を1件1件担当して勝訴していくが、終わりなき闘いであることを示唆して本作は閉じられる。

デュポンはPFOAを1億分の1に希釈して流していた。50mプールに1滴だ。これだけ薄めれば人体に影響はないと思ってしまう。ここに落とし穴がある。自然界に存在しない成分の恐ろしさを突きつけられた。

これではフライパンで料理もできないし外食もできない。恐くなってHPを探したら、いまではPFOAは製造過程から排除されているから安全だというページもあれば、テフロン加工のフライパンはすぐに捨てよと警告するページもあった。

巨大企業デュポンにたった1人で立ち向かった弁護士というと、さぞ颯爽としたイケメンだろうと思っていた。ところが、ラファロ演じるロブはちょっと刑事コロンボのようなさえない風貌で、その落差も楽しめた。

 

#450『香川1区』(日・2021)

2021/12/28@ポレポレ東中野

立憲民主党の小川淳也衆院議員の奮戦ぶりを密着取材した『なぜ君は総理大臣になれないのか』(#391)の続編。2021年の夏から10月末の総選挙勝利を経て民主党代表選に敗れるまでを描く。

小選挙区で1勝5敗の自民党の平井卓也初代デジタル大臣に勝つため地道な日常活動を積み重ねてきた。ところが、公示直前になって日本維新の会が候補を立てることになった。一瞬の風でこれまでの血と汗の蓄積が水の泡になるかもしれない。焦った小川は維新候補に立候補を取り下げるよう説得に走る。それがおもしろおかしくネットに取り上げられ拡散されていく。

窮地の小川に対して、スシローこと田﨑史郎が取り下げ要請などしなくてよかったのにと小川の議員事務所で水を向ける。すると小川が珍しくキレして田﨑に八つ当たりする。また、辻元清美が余裕綽々で小川に「心が弱い」と反省を迫るシーンもある。結果を知っているだけに笑えた(まさか自分が落選するとは思っていない)。

こんな躓きにもかかわらず、小川の選挙運動ボランティアは全国から集まってくる。支持は全世代に広がっていく。一方の平井は組織頼み、動員頼みで街頭演説会は盛り上がらない。『なぜ君』は小川のPR映画だとこきおろす。これには大島新監督がカチンときて、演説を終えた平井に遠くから「PR映画とはどういう意味か」と叫んで抗議する。

こうして迎えた10月31日の投開票日。午後8時の開票終了とほぼ同時に小川の当確が報じられる。得票率51%の圧勝だった。お礼のあいさつに立った小川の娘が「お父さんが落選するたびに正直者はばかをみると思ってきたが、今回そうではないことがわかった」と涙ながらに述べたときには、こちらの涙腺も決壊した。善人も報われることがあるのだ。小川が自分に投票してくれた人びとのみならず、相手陣営の支持者の声もリスペクトしなければならないと語るシーンもよかった。

ラストは立憲民主党代表選に3位で落選した当日夜の有楽町駅前。代表選期間中ずっとここで行ってきた市民との対話集会を、代表選の報告も兼ねてこの日も開いたのだった。

選挙運動期間中、朝8時に小川は自転車に乗り選挙カーの後ろを走って手を振り支持を訴える。小川はもう50歳だ。なにが小川をここまで駆り立てるのか。小川は「ヒューズが飛んでる」と自嘲するが、内に秘められた志は本物に違いない。


#449『パーフェクト・ケア』(米・2020)

2021/12/12@新宿ピカデリー

おもしろかった! 主人公のマーラ(ロザムンド・パイク)はみかけのキュートさとは裏腹に、要介護老人の法定後見人になって彼らの資産を搾り取ることを生業としていた。あるとき、後見人をしていた「カモ」の資産家が急死する。代わりになる老人がいないかとグルになっている女医に相談する。するとその女医は軽い認知症を発症している老女ジェニファー(ダイアン・ウィースト)を紹介する。履歴上なんの問題もなく、めんどうな親類縁者など一切なく高級住宅街に瀟洒な自宅を構えている。顔なじみの裁判官を言葉巧みに籠絡して、その老女の法定後見人になる。老女宅に訪れ有無を言わさず老女を高齢者施設に入所させる。その後、老女の住まいを物色して銀行の貸金庫の鍵を発見する。銀行に行って、貸金庫の中身をあらためると大粒のダイヤモンドがいくつもはいった封筒を見つける。資産管理は法定代理人の思うがままだ。マーラは有頂天になる。

ところが、ジェニファーはロシア・マフィアの大ボスのローマン(ピーター・ディンクレイジ)にとって大切な存在だった。定期的に部下を迎えにやらせて会っていた。ジェニファーの自宅が売りに出されていると知ったローマンは部下に居所を見つけ出させる。そして元締めがマーラであるとわかる。1000万ドルなら取引に応じるというマーラに手を焼いたローマンは、マーラを「始末しろ」と部下に命じる。交通事故を装ってマーラを車ごと池に突き落とす。

ところが、マーラは水中の車内から脱出し(ありえね〜)今度はローマンを瀕死状態に追い込む。病室で意識を取り戻したローマンは傍らにマーラがいることに気づく。すでにマーラは手続きを終えてローマンの法定代理人になっていた。ローマンの生き死にはマーラの手に握られていたのだ。ローマンはやむを得ず、マーラの要求に応じる。加えて、自分と組まないかと提案する。君は嫌いだが腹の据わり方は半端ない。それがあれば介護業界を制圧してコングロマリットを築き上げられると。

マーラはこれを受け入れ、あれよあれよという間にミリオネアどころかビリオネアにのぼりつめる。全米ネットのテレビ局の番組によばれて持ち上げられる。この極悪女め、けったくそ悪い、でももうラストだなと腰を浮かせようとした。そのとき! 天網恢恢疎にして漏らさず。ざまあみろ、ああスカッとした。

#448『記憶の戦争』(韓国・2018)

2021/11/28@ポレポレ東中野

ベトナム戦争における住民虐殺事件といえば、米軍によるソンミ村虐殺事件が有名だ。ベトナム戦争には韓国軍も派兵された。それは9年間にも及んだ。院生のころ韓国人留学生の話の又聞きとして、韓国軍は一番危険な戦場に投入されたことを知らされた。その韓国軍もまた住民虐殺を行っていた。1968年2月のことである。フォンニィ・フォンニャットの虐殺とよばれる。

50年後の2018年4月にソウルでこの事件を裁く市民法廷が開かれる場面からこのドキュメンタリー映画ははじまる。スタッフはベトナムに飛び、この事件を生き延びた人びとの記憶を丹念に引き出し拾い集めていく。虐殺のなまなましい様子が明らかになる。射殺、手榴弾の投擲、放火、強姦などなど。当然妊娠した女性もいた。ろうあ者となった男性がしきりに指を目にやって「自分は見たんだ」と何度も訴えかけるシーンが印象的だ。一方、参戦した韓国軍人たちは「良民は殺していない」と言い張る。「われわれはドイツ人や日本人とは違うんだ」と。既視感のある構図だ。

当時8歳だったタンおばさんは市民法廷で「1日も忘れたことがない」という鮮明な記憶を訥々と語りかける。「判決」は韓国政府の責任を認めた。しかし、2020年になってもまだ韓国政府はこの事件の存在を認めていない。

日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。韓国経済はベトナム戦争の特需で救われた旨の説明が作中でなされる。そうだったのかと蒙を啓かれた。


#447『たまの映像詩集 渚のバイセコー』(日・2021)

2021/11/13@アップリンク吉祥寺

「美しき競輪」「渚のバイセコー」「氷と油」の3話から構成される。舞台は岡山県の玉野競輪場。海がみえる美しい競輪場だ。私の「ホームバンク」の京王閣競輪場からは多摩川がみえるけど(*^_^*)第1話は玉野競輪場をホームバンクとする現役競輪選手の三宅伸(S級2班)が主人公である。最初、俳優が演じているのかと思うくらい三宅の演技は自然でびっくりした。50歳にして鍛え抜かれた肉体もすごい。選手控室で競輪選手たちがくつろいでいる表情、モニターでレースをみる彼らの真剣なまなざしなど貴重な映像が挿入されている。レース前に選手たちが塩で自転車を清めるシーンも興味深かった。

あと、京王閣の「穴場」(車券売場のことです)は現金とマークシートを自動発払機に入れるタイプだが、玉野では人を介しての発券になっていた。京王閣もかつてはそうで、売場のおばさんからマークミスを指摘されたのを懐かしく思い出した。

競輪を取り上げた映画は、小沢昭一が主演した『競輪上人行状記』(1963)(#272)くらいしかないのではないか。それだけにうれしかった。ただ、バンクの発走機についた選手の紹介アナウンスのとき、選手名のあとに登録地のアナウンスがなかった。これはないよ。第2話で漁師の女性が浜辺に漂着した自転車(第1話で三宅が海に放り投げたもの)に乗って、月明かりの下競輪場のバンクを周回するシーンがある。いいシーンだが、競輪場はこんなに不用心ではない。第3話の主人公が車券を買おうとしたところ「締め切りです」と窓口を閉めるシーンもありうるかなあ。売場に行列ができているわけでもなく、彼しかいなかったのだから。

その彼に東京から玉野にきたばかりの女性が玉野をほめると、彼は「よそ者ばかりがもうけて、地元はぜんぜん盛り上がっていない」趣旨の発言をする。地域振興の内実はどこもこうなのだろうか。

3話はばらばらではなく、第1話で張られた伏線が第2話、第3話ですべて回収されていく。なので3話ともに三宅伸が登場する。

ぜんぜん映画評になっていない。すみません(^_^; 本作品が一般料金でみる最後の映画となりました。


#446『モーリタニアン 黒塗りの記録』(英米・2021)

2021/11/7@TOHOシネマズ府中

たまたまきょう(2021/11/8)の『朝日新聞』朝刊1面トップにシリア・アサド政権による拷問の実態が報じられている。アメリカはアサド政権に制裁を科す法的措置をとった。だが、実はアメリカも同じ穴のむじなである。本作品をみれば一目瞭然だ。それは「特殊尋問」という名称で行われた。

「9.11」のあと、キューバにあるグアンタナモ米軍基地に収容された「容疑者」に対して米軍はまぎれもない拷問を行った。ラムズフェルド国防長官の許可が下りれば可能となった。アメリカが望む虚偽の供述をしない「容疑者」の「口を割らせる」ためである。その内実たるや文字にするのもおぞましい。「強制性交」という拷問すらあった。拷問で心身ともにずたずたになった「容疑者」に女性が性行為を迫って、さらに「容疑者」を追い込むのだ。その有効性を裏付ける、拷問のやり方に関する心理学的研究があるのだろう。

モーリタニア出身の「容疑者」スラヒ(タハール・ラヒム)はグアンタナモ米軍基地で声だけ知り合った別の「容疑者」と地名で呼び合った。スラヒはモーリタニアン、もう一人はマルセイユ。タイトルはここから来ている。マルセイユはおそらく拷問に耐えきれず自殺してしまう。

さて、無償奉仕活動としてスラヒの弁護についた人権派弁護士ホランダー(ジョディ・フォスター)は、キューバに何度も足を運び徐々にスラヒの信頼を得ていく。しかし肝心の尋問資料は国家機密で「のり弁」状態でしか開示されない。一方、スラヒを起訴して第1号の死刑に処することを命じられた陸軍法務官のカウチ中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)も、国家機密の壁に阻まれ十分な証拠が集められない。両者は別々のルートでようやく黒塗りのない記録にたどりつく。両者がそれを読むカットが交互に映し出される構成はうまいの一言に尽きる。

アメリカ政府の公式文書に拷問の事実が記されている。これで裁判に勝てるはずはない。それ以前に敬虔なクリスチャンであるカウチにとってこの仕事は良心が許さない。カウチは退職する。裁判にはスラヒはグアンタナモからオンラインで出廷し、モーリタニアと違ってアメリカが恐怖によって支配される国とは思わなかったと訴える。スラヒとホランダーは勝訴する。ところが、その後オバマ政権になってもスラヒは収容され続け、14年もの間なんら法的根拠なく囚われの身になった。解放後にスラヒが出版した「獄中記」が本作品の原作である。冒頭に“This is a true story”と字幕が出る。

アメリカは国家賠償どころか謝罪すらスラヒにしていない。「ならず者国家」とはお前のことだと心の中で叫んだ。

#445『ミッドナイト・トラベラー』(米カタール加英・2019)

2021/10/31@シアター・イメージフォーラム

映画の冒頭に「この映画は3台のスマホでつくられた」とのメッセージが出る。スマホ動画を編集して製作されたドキュメンタリー映画である。

2015年に主人公で映像作家のハッサン・ファジリにタリバンから死刑宣告が下される。ハッサンは妻と小さな娘二人を連れて国外脱出をはかり陸路ではるかヨーロッパを目指す。彼の地で難民に認定されることを信じて。家族がもつ3台のスマホでその旅程が記録されていく。野宿ありテント暮らしあり。建設中の建物でコンクリートの上に毛布を敷いて休むこともあった。ベッドつきの収容施設では「やっと人間らしい暮らしができる」と妻がほほえんだ。もちろん子どもたちは学校へはいけない。移動しては待機しまた移動しては待機しの繰り返しに、長女は「退屈だ」とかんしゃくを起こす。あるいは退屈しのぎにスマホの音楽に合わせて踊る長女の姿に胸が締め付けられる。一方で、収容施設に雪が降り積もって、ハッサンにゆきつぶてをぶつける彼女たちの笑顔に心が和らぐ。自転車に乗れなかった妻がハッサンと乗る練習をして、転んで結婚式に来た思い出の服が破けてしまうシーンもいい(本人には災難だが)。

4人はようやくヨーロッパに渡り、ブルガリアから列車で念願のハンガリーへ向かう。ここで難民申請が許可されれば3年にも及んだ非日常に終止符が打たれるのだ。彼らはうきうきした表情で列車に乗り込む。しかし、アフガニスタンから実に5600kmも移動してきた果てに彼らを待ち受けていたのは、鉄条網に囲まれた難民申請者の待機施設だった。まるで軟禁状態で審査が済むまでここから出られない。幸せだったアフガニスタン時代の彩り豊かな日常の映像が重ねられ、こうしたラストにしたかったとハッサンは言う。映画はここで終わる。

非日常のなかでの日常が3年続いた。非日常はまだいつ終わるかわからない。難民とはこうした状態をいうのだとリアルな映像から思い知らされた。


#444『Our Friend/アワー・フレンド』(米・2019) 

2021/10/24@新宿ピカデリー 

ある日、妻コリンが末期がんであると宣告される。夫マットとの間にはまだ小学生の二人の娘がいる。それまでマットはジャーナリストとして世界中を飛び回っていた。一方、コリンは舞台俳優として成功していた。どうやって生活を回していくか。みるにみかねたマットの親友デインが最初は数週間のつもりで住み込みで手伝うことになる。結局コリンが逝くまで1年半もの間、「居候」してコリン・マット夫婦を支え尽くす。その間、もちろん夫婦は衝突するし、マットとデインの関係もぎくしゃくする。それらは作中ではいわば「寸止め」で描かれていく。なので目を背けたくなるシーンはない。 

一方で、それが省かれているので文脈がよくわからないシーンもいくつかあった。たとえば、デインがマットにサンドウィッチを買いに行ってくれと頼むシーンがある。マットは渋々それに従って車を走らせるが、あれにはどんな意味があったのだろう。 

映画はコリンがマットに自分の命があとわずかであることを子どもたちに伝えてほしいと、コリンに頼むシーンからはじまる。階下で子どもたちはデインと遊んでいる。この家庭はどうなっているのかと疑問を抱かせる。その種明かしへとストーリーは展開される。さかのぼって、マットとデインがはじめて出会うシーン、コリンとマットの新婚時代、デインが量販店の店長として働いている時代、医師からがんを告知されるシーンなど。しかも時間軸が行きつ戻りつする。その都度、その年-月、告知(diagnosis)の前後何年かが字幕で説明される。それでもやはり頭が混乱してしまった。 

本作品は実話に基づいている。一人の女性をめぐって三角関係ではなく、男性同士でここまで深い友情が育まれるものか。タイトルがOur Friendと単数なのは、もちろんOurがマットとコリンで、Friendがデインだからなのだろう。 

とまれ、脳出血ののち要介護度5となった母親をもつ身としては、がんではなくてまだよかったと少し救われた気持ちになれた。 


#443『MINAMATA─ミナマタ─』(米・2020)

2021/10/2@TOHOシネマズ府中

まったくの偶然だがけさ(2021/10/3)の朝日新聞の1面トップ、さらに2面、社会面に、本作品の主人公の写真家ユージン・スミスの水俣での足跡が紹介されている。それを読んでいただければ本作品のメッセージはわかるので、駄文を重ねるのは心苦しい。

ニューヨークの仕事場で水俣病患者の写真をみせられたユージンは逡巡したあげく、のちに妻となるアイリーンを連れて水俣へと向かう。アイリーンを通訳に水俣病患者を撮影して回る。ユージンが目障りなチッソは社長直々にフィルムを高値で買い取るとの取引をもちかける。それを突っぱねると、仕事場が放火されてしまう。それまでのフィルムが消失してしまった。ユージンにはウイスキーをあおることしかできなかった。カメラも水俣病患者でカメラに興味を示した少年に譲ってしまった(この少年も朝日記事に登場する)。

アイリーンや住民たちに励まされ、ユージンはぎりぎりのところで踏みとどまる。そして、チッソの株主総会の取材に出かけるが、そこでの暴力沙汰に巻き込まれ重傷を追ってしまう。ところが、入院中の病室に見知らぬ青年が訪れて茶封筒を託していく。中には灰になったはずのフィルムが入っていた。

退院してもユージンの目や手は不自由なままだった。それでも、智子という胎児性水俣病患者の少女が母親と入浴するシーンを撮影できるという僥倖に恵まれる。ユージンは思い通りにならない指を必死に動かしてフォーカスを絞る。だがシャッターを切れない。アイリーンが代わってやる。こうして「入浴する智子と母」というユージンの感動的な傑作が撮られたのである。

最後に水俣病は終わっていないとの字幕が出る(これも朝日記事が指摘している)。それどころか、同様の公害病は世界に広がっていることを示す写真がエンドロールに映し出される。


#442『浜の朝日の嘘つきどもと』(日・2021)

2021/9/18@シアタス調布

福島中央テレビ開局50年記念のご当地映画。高畑充希が主演する。南相馬市にほんとうにある映画館・朝日座が420万円の借金を抱えて閉館することになった。そこへ浜野あさひ(高畑)が東京からやってきて、朝日座を立て直そうと映画館主の森田保造(柳家喬太郎)の尻を叩いて奮闘する。それはあさひの高校時代の恩師で乳がんで早世した田中茉莉子(大久保加代子)との約束だった。田中先生は南相馬の高校在任中は朝日座の常連だった。あさひには事情があって本名を明かせず、保造に名前を問われてとっさに茂木莉子と嘘を言う。映画館にはぴったりの名前だと爆笑した。

朝日座の土地・建物にはすでに買い手がついていて、取り壊してスーパー銭湯とリハビリ施設が建てられる計画になっていた。朝日座を守るクラウドファンディングであさひたちは100万円以上は集めたが、それ以上はなかなか伸びない。ある日買い主が朝日座を訪れる。借金以外にすでに業者と取り壊しや建設資材の契約をしているので、それを解除するには違約金1000万円がかかると言われる。地元の人びともスパ銭とリハビリ施設で雇用が生まれると買い主に説得されていく。万事休す。

ラスト近くで、朝日座の周りに取り壊し用の足場が組まれるのを、あさひは保造とみつめながら「結局かき回しただけだったなあ」とつぶやく。ふつう映画ならここで奇跡が起こるとばかりに、保造は後ろを振り向くがなにも起こらない。仕方なく、二人は昼食に向かおうとする。「これでエンドか。なんか物足りないなあ」と思ったところで、見事に裏切られる。

保造の同級生で不動産屋を営む岡本貞雄(甲本雅裕)が駆け込んできて、お金の算段がついたという。500万円は先生の死去の直前に先生と結婚したベトナム人技能実習生のバオ君(佐野弘樹)が先生からの相続分から出す。残り半分はあさひと絶縁していてタクシー会社の社長をつとめる父親(光石研)が出す。不足分は地元の人々が寄付することで決着したのだ。

私の出身地にも高田世界館という朝日座と似た境遇にある映画館がある。いまも健在だ。高田世界館を思い出しながらみていた。帰省の折、ここで映画をみるのが楽しみだった。とはいえ実家は人出に渡ったので帰省することもなくなった。もう行けないなと。

あさひはシーンが変わるごとに着ている衣装もファッションショーのように素敵に変わる。スポンサーの意向だろうが、東京の配給会社が倒産して現地にやってきたという設定の女性がこんな高そうな服を何着ももっているはずはない。あとタイトルもよくわからない。あさひは小さな嘘をついたが、登場人物は善人ばかりだ。

ともあれ、口の悪いあさひ役を演じる高畑や映画のとりこの先生役がはまっている大久保などがみられて楽しい映画だった。


#441『担へ銃』(米・1918) 

2021/9/5DVD鑑賞@研究室 

「史上初めての厭戦映画」(大野裕之(2021)『ディズニーとチャップリン』光文社新書、39頁)はチャップリンのこの作品である。軍隊の「美しさ」は動作の同時性にある。新兵役のチャップリンは冒頭でそれをおちょくってみせる。やがて前線に送られて塹壕暮らしを強いられる。雨で塹壕が水浸しになり、二段ベッドの下段のチャップリンは水中に浮かんで睡眠を取る(あり得ません(^.^))。敵陣に攻め込む任務を命じられて、木のカムフラージュでドイツ兵をてんてこ舞いさせる演技には腹を抱えて笑った。ついにチャップリン映画のヒロインといったらこの人!エドナ・パーヴァイアンスが登場する。チャップリンはドイツ兵に追われて彼女の家に逃げ込むのだ。巧みにドイツ兵をやっつける。そこへドイツ皇帝が親衛隊を従えて前線視察にやってくる。ドイツ皇帝がわざわざ?と疑問が頭をかすめる。まあいいや。その後、チャップリンとパーヴァイアンスはやっつけたドイツ兵の制服を身につけて(『独裁者』をちょっと思い出した)見事危機を脱する。パーヴァイアンスが男性に見えるように、煤でちょび髭をチャップリンが書いてやる。喜ぶパーヴァイアンスがかわいい。ついにはドイツ皇帝らを捕虜にして自陣に戻って大歓迎を受ける。 

浅はかにもこれでハッピーエンドだと思った私は、本作を何もわかっていなかった。次の瞬間、『戦艦ポチョムキン』の水兵のように、テント内のハンモックで惰眠をむさぼる新兵のチャップリンが先輩兵に蹴飛ばされて起こされる。夢だったのだ。単純そうにみえて、実は伏線が巧みに張られている。ボーッとみてんじゃねーよ!とチコちゃん、いえ「キネマの神様」に叱られた気がした。
 

#440『華のスミカ』(日・2020) 

2021/8/29@新宿K’s cinema 

華僑4世の林隆太監督が横浜中華街を舞台に自分のルーツをさかのぼっていく。そして横浜中華街もまた2つの中国の思い影を引きずってきたことに気づく。私もはじめてそれを知った。100年以上前に横浜に住む華僑の子どもたちを対象に現在の横濱中華學院の前身が中華街に設立された。戦後は横濱中華學校(1947年)、横濱中華中學(1955年)を経て1968年に現在の校名になる。校内には孫文の銅像がある。一方、中華人民共和国が1949年に成立し、中台対立が横浜中華街にも押し寄せる。横濱中華學校は1952年に分裂して、中華人民共和国支持派は1953年に横浜・山手に新たな校舎を建てる。これが1957年に横浜山手中華学校になる。文化大革命期には校内で生徒たちは紅衛兵の格好をして毛沢東語録を手にした。父のその写真を林監督はみつけ出す。両派の対立の深刻さは推して知るべしだろう。 

1986年元日に横浜中華街に暮らす華僑のシンボルだった関帝廟が原因不明の火災により焼失する。災い転じて福となすというか、関帝廟再建に両派は協力してそれ以降は表立った対立はなりをひそめる。たとえば、10月1日の国慶節には台湾系の店はいつもは店先に掲げている中華民国国旗を掲げない。 

ところで、林監督の父は華僑3世とはいえ中国に一度も行ったことはない。そして、林監督は大人になるまで自分が華僑4世であることを知らされなかった。父にそれを問いただすと、自分は林監督を中華学校に入れたかったが、妻(林監督の母)が現地校(つまり日本の学校)に入れると強く主張して折れたからだと説明される。そして、それを知らない林監督は皮肉にも、育つ中で反中感情を抱いていったという。 

私の勤務先の周辺にも周恩来ゆかりの店はじめ中華料理店が多い。コロナ前はよく学生や院生たちと飲みに行った。その店が大陸系か台湾系かなど考えたこともなかった。安く飲むことしか頭になかったのが恥ずかしい。そういえばイタリア料理店やフランス料理店は店先に国旗を掲げる店が多いが、中華料理店ではみたことがない。やはりデリケートな問題なのだろう。 

林監督は最後に曾祖父母の墓参りに福建省に飛ぶ。現地の映像の背景には必ずといっていいほど風力発電の風車が映り込んでいた。これに一番驚いた。 

#439『アウシュビッツ・レポート』(スロヴァキア/チェコ/独/ポーランド・2020) 

2021/8/22@新宿武蔵野館 

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に収容されていた2人のスロヴァキア青年が脱出に成功して、そこで何が行われていたかをレポートにまとめて告発した実話に基づく作品である。彼らの所在を吐かせようと、その監獄の看守は囚人全員を5列横隊に並べて極寒の中幾晩も立ち尽くさせる。囚人の責任者は棒で数十回打擲され殺される。同じ収容所内の女性収容棟にいた娘が連れてこられて、父親から見えるところで射殺される。頭だけ出されて生き埋めにされているにもシーンもある。よくこんなことまで考えつくものだ。 

2人は幸運にもポーランドに逃れて、そこの赤十字にかけこむ。そして収容所での経験を洗いざらい話す。証拠に収容所から持ち出した毒ガスのラベルを示す。しかし、赤十字はその話の内容とナチスの「難民キャンプ」だとする説明のあまりの落差に容易に信じようとしない。「一つだけできること」として彼らに差し出されたのがタイプライターだった。彼らはすぐにそれをたたく。この「アウシュビッツ・レポート」は赤十字のさらに上層部に届けられる。ようやくそのトップが彼らと面会する。彼らにみせられたのは赤十字がドイツの「難民キャンプ」に送った救援物資だった。彼らは、こんなもの何一つ収容者に届いていない、「アウシュビッツ・レポート」を読んだのか、と迫る。赤十字のトップはアメリカにドイツと交渉するよう要請すると依然として及び腰だった。彼らは、殺人鬼に交渉などむだだ、収容所を空爆してほしいと懇請する。もちろん、収容所が空爆されることはなかった。 

いまとなっては自明のことだが、当時はこれほどナチスのプロパガンダが国際的に浸透していたのだ。1930年代のウクライナ大飢饉もスターリンのプロパガンダに惑わされて、当時は実情が知られなかった。圧倒的な量の嘘の情報と極小の真実の情報が対峙するとき、前者が信じられてしまう。 

エンドロールが工夫されている。BGMの代わりに、様々な言葉による実際のヘイトスピーチが次々と流される。日本語によるヘイトスピーチも聴けるかと思ったが、それはなかった。本作品が過去の記録に終わらず、現代への警鐘であることを強く示唆している。 


#438『グリーンマイル』(米・1999) 

2021/8/15DVD鑑賞@自宅 

このところ続けてきた日曜早朝の映画鑑賞だが、コロナ禍が猖獗をきわめ子どもたちに止められて自宅でのDVD鑑賞となった。名作『グリーンマイル』を選ぶ。トム・ハンクスが死刑囚を収容する施設の主任を務める物語である。 

時代は1930年代の大恐慌のころ。黒人の大男コフィー(マイケル・クラーク・ダンカン)が入ってくる。2人の少女姉妹を暴行し殺害した。発見当時「元に戻したかっただけだ」と血まみれの2人を左右の脇に抱えて泣き叫んでいた。主任のポールはその凶悪ぶりに身構えるが、コフィーは至って温和だった。 

そのころポールはひどい尿路結石を患っていた。あるときコフィーに「治してやる」と股間をつかまれる。身の危険を感じたポールだが、しばらくしてコフィーの手が離れると尿路結石が治っていた。コフィーは奇蹟を起こせる超能力の持ち主だった。性悪な看取に踏み潰されたネズミも生き返らせてしまう。これをみたポールは所長の妻が脳腫瘍で余命わずかであることに気づく。ついては、コフィーを深夜に所長の自宅に連れて行って奇蹟を起こさせたのだった。死刑囚を連れ出すなど事が露見すれば首が飛ぶどころか、懲役刑である。 

コフィーは冤罪であることをポールは確信する。2人の少女を生き返らせようとしていたところを発見されてしまったのだ。もちろん、裁判でそんなことを言っても白人ばかりの陪審員は納得するはずはない。極刑が言い渡された。 

死刑囚が電気椅子で処刑されるシーンは興味深い。公開処刑なのだ。被害者の遺族などが一部始終をみるために列席する。ついにコフィー処刑の日がやってくる。ポールはじめ看守たちは器具をコフィーに装着しながら落涙する。一方、遺族はコフィーに悪罵を投げつける。ポールはコフィーに「最後に言い残すことは」と尋ねる。コフィーは「生まれてきたことを悔いる」と応じる。最後のゴーサインをポールはなかなか発せられない。同僚に促されてようやく指示を出す。 

3時間の長尺ものだが、見所にあふれていてまったく飽きさせない。先の性悪な看取はコネをちらつかせてポールや同僚に自分の仕事上の不始末をもみ消させようとする、根っからの悪党は収容前に精神病院で一芝居を打って、看守を油断させて大暴れし、その後も手を焼かせる(実はこいつが真犯人なのだ)、まだテレビがなくラジオから流れる音楽を聴きながら思い悩むポールに妻が寄り添うシーンもいい。DVDのパッケージに「思い切り泣くことでしか、この物語には応えられない・・・・」とある。やっぱり映画はスクリーンでみなければ価値が半減してしまう。 

#437『キネマの神様』(日・2021)

2021/8/8@新宿ピカデリー

若き日の淑子役の永野芽郁が若き日のゴウ役の菅田将暉に「ばか、鈍感」とちょっぴりなじるシーンがよかったなあ(おれも言われてみたかった(^_^;)。このシーンをみるためだけでももう一度みたい。

元助監督で老いたゴウ役の沢田研二が映画雑誌を読んでいる孫(前田旺志郎)に「映画は考えてみるもんじゃない、感じるものなんだ」と説くシーンに納得した。私もそう思います。若き日のテラシン(野田洋次郎)が若き日の淑子にラブレターを送って、返事がなかなか来ないいらだちを紛らわすようにクラシックギターを弾くシーンも切なくすてきだった。失恋を予告するには残酷すぎるくらいの名旋律だ。

老いたテラシン(小林稔侍)が老いたゴウに封筒を渡す。帰宅したゴウは妻となっていた淑子(宮本信子)とそれを開封する。中には若き日の淑子の写真が入っていた。こぼれんばかりの笑顔だ。テラシンはそれを後生大事にもっていたのだ。ゴウは淑子に「この娘さん、いまごろ幸せに暮らしているのかな」と問いかける。自分はギャンブルにおぼれヤミ金融に手を出し酒浸りで、おまけに浮気して家を空けたこともあるのだ。どれだけ淑子に苦労をかけたのか。しかし、淑子はそれを全部胸におさめて話を合わせる。このシーンには涙が止まりませんでした。

ゴウと淑子の一人娘で、離婚して出戻りの歩役の寺島しのぶの相変わらずのうまさも光っていた。また、原節子を擬していると思われる桂園子役の北川景子の美しさといったら。原節子が愛煙家だったことを示唆するワンカットもある。さらには監督役がリリー・フランキー。とにかくぜいたくな映画だ。しかも細かい伏線が巧みに張りめぐらされている。

本来、この映画の主演は志村けんだった。エンドロールに「志村けんに捧げる」と出てくる。沢田研二もよかったけど、志村けんに演じてほしかったなあ。「キネマの神様」も存外意地悪だね。

#436『パンケーキを毒見する』(日・2021)

2021/8/1@新宿ピカデリー

「成り上がり」首相・菅義偉の正体に迫る。「集団就職で東京に出て来た」という彼のHPにあった記述は数年前に消された。官房長官が領収書なしに自在に使える官房機密費をばらまいて総理総裁の座をつかんだ。横浜市議わずか2期にして「影の市長」とまでよばれる実力者にのぼりつめた。衆院議員当選1回にして数千万のお金を江田憲司出馬のために用意した。パンケーキ懇談会に出席した記者はみなその毒が回って牙を抜かれる。

作中に登場する石破茂によれば、衆院への小選挙区導入反対で党内の急先鋒だったのは小泉純一郎で、当時小泉は小選挙区が導入されたらみな官邸や党執行部のいいなりになってしまうぞと説いて回っていた。結局そのとおりになり、首相としてその「メリット」を駆使したのも小泉だったというのは皮肉だ。

「ごはん論法」の上西光子、「ガールズバー」の前川喜平、「I am not ABE」の古賀茂明らも登場して、安倍・菅・杉田トリオの不誠実さと陰湿さを解説してくれる。

ラスト近くに「羊の国民は狼の政府を生む」というエドワード・マローの言葉が紹介される。マッカーシーイズムと戦ったあのマローだ。石破も村上誠一郎も口をそろえて、自民党の国会議員はなにをしようと次にまた当選できるから恐いものはないのだという。「従順な羊」と国民はなめられている。秋の総選挙でその汚名を返上することができるだろうか。

#435『ダラスの熱い日』(米・1973) 

2021/7/24DVD鑑賞@研究室 

赤狩りの犠牲者ドルトン・トランボが脚本を担当している。1963年11月22日のテキサス州ダラスでのケネディ暗殺の真相について仮説を提示した作品。JFKの国民的人気とリベラルな政策、さらにJFKが8年、後継には弟のロバートがまた8年、さらに後継には末弟のエドワードが8年と「ケネディ王朝」が続くことを危惧した軍産複合体の黒幕たちが暗殺を企画し遂行するまでを描く。冒頭に「本作品のほとんどはフィクションであるが、そのほとんどはまた記録された歴史的事実に基づいている。われわれが述べていく陰謀が本当に存在したのか。われわれにはわからない。われわれはそれがありえたことを示唆するのみだ」との断り書きが出る。 

暗殺の一部始終を撮影した「ザプルーダー・フィルム」をみると、命中した1発目は後方から、致命傷となった頭部に命中した2発目は前方から撃たれたようにみえる。しかし、この事件を調査した「ウォーレン委員会」は狙撃手オズワルドの単独犯行説を採っている。 

本作品では3人の狙撃手が、車に乗せたケネディに見立てた動く標的を何度も狙い撃ちするシーンが出てくる。時速30キロでは失中してしまう、時速25キロに落として車が現場に入るようにしろとの指令が飛ぶ。犯行後、彼らはまんまと高飛びする。 

息を呑んだのは、エンドロール前に18人の顔写真が映し出されて、事件から3年間に重要証人18人が死去したとのナレーションが入るシーンだ。うち自然死は2人だけだった。彼らが1967年2月までに死去する確率は10京分の1だという。どす黒い陰謀が策されたのだ。 


#434『サンマデモクラシー』(日・2020) 

2021/7/18@ポレポレ東中野 

米軍施政化の沖縄では庶民の魚であるサンマに20%もの輸入関税が布令により課せられていた。しかし、布令にはその対象品目の魚としてサンマは挙げられていなかった。それに気づいた魚卸売業の女将・玉城ウシが1963年に琉球政府を相手取って裁判を起こした。布令に根拠をもたないサンマの関税の還付を求めたのだ。その額は現在の貨幣価値にして約7000万円にものぼった。弁護士を務めたのはやり手弁護士で「下里ラッパ」とあだなされた下里恵良である。実は下里は立法院の与党議員としてすでにこの問題を立法院で取り上げていた。 

「サンマ裁判」は琉球政府裁判所で争われた。琉球政府側は布令にあるコロン「:」には「等」という意味であり、ここにサンマも含まれると苦しい言い訳をした。結局1審の巡回裁判所、2審の上訴裁判所ともにウシは勝訴して判決は確定した。 

これに懲りた米国民政府(USCAR)はただちに新たな布令を出した。サンマを関税品目に加えたのみならず、遡及効まで認めたのだ。今度は琉球漁業が1965年に訴訟を起こす。第2サンマ裁判である。同年の立法院議員選挙で当選した友利隆彪氏に対してUSCARは被選挙権を認めず当選無効を宣告した。これを不服とした友利氏は提訴する。いずれも裁判も巡回裁判所から上訴裁判所へ上訴された。だが、ここで沖縄の最高統治者として君臨していた高等弁務官ワトソンは、その裁判権を琉球政府裁判所から、USCARが設置する米国民政府裁判所へ移送する命令を下す。ここでは裁判官は全員米国人である。司法権の侵害だとして、沖縄の全裁判官が全員の署名・捺印付きの抗議文を発表する。移送撤回運動は市民の間でも高まり、米国民政府裁判所の判決は琉球漁業は敗訴、友利氏は勝訴という一貫性のないものとなった。 

米軍が最も恐れた男として知られる人民党の瀬長亀次郎もこの中で登場する。圧倒的人気を誇ったカメジローは立法院議員選挙で最高点で当選する。しかしUSCARは弁護士なしの裁判にかけてカメジローを投獄する。出所したカメジローは那覇市長に当選するが、USCARは今度はその投獄を理由に友利氏と同様に被選挙権を認めず市長の座から引きずり下ろす。こんなことで屈するカメジローではないのだが。 

「目黒のサンマ」という有名な落語がある。これに想を得て、本作品の舞台廻しはうちな〜噺家の志ぃさーがつとめている。ナレーターは川平慈英だ。両者のテンポの違う語り口がうまくかみあい、重い題材を扱ったドキュメンタリー映画らしからぬ明るさととっつきやすさを観る者に与えてくれる。米軍施政下の沖縄における裁判事情についてたいへん勉強になった。 


#433『アメリカン・ユートピア』(米・2020) 

2021/7/11@シネクイント 

大ファンの太田裕美さんがツイッターで絶賛していたのを読んで急遽みにいくことにした。タイトルはデヴィッド・バーンが2018年に発表したアルバム『アメリカン・ユートピア』にちなんでいる。とはいえ、まったく恥じ入るばかりだが、この映画をみるまでデヴィッド・バーンというカリスマ的アーティストの存在を知らなかった。 

バーンと11人のパフォーマーによるブロードウェイでのショーを、スパイク・リーが収録し映画化した作品である。コンサートではなくショーなので、凝ったパフォーマンスが繰り広げられる。その中でバーンは21曲を歌い続ける。よく歌詞や演技を忘れないものだと感心してしまった。 

おもしろかったことその1は、出演者全員がはだしだったこと。この演出が歌の歌詞とリンクされていたことを後半で知らされる。その2は様々な楽器が奏でられるが舞台の上にはコードが一切ないこと。コンサートの舞台にコードが這い回っている。それは客席からみてあまり気持ちのいいものではない。このショーではすべてワイヤレスにしてそれを一掃していた。その3はショーの途中でバーンがパフォーマーを紹介するシーンだ。エスニシティも国籍も多様なパフォーマーに支えられてショーが成り立っていることを観客にみせつける。 

その4はMCでバーンが有権者登録をしようという呼びかけるシーンだ。アメリカの地方選挙の投票率は20%程度だという。客席の20%に当たる部分にだけスポットライトを当てて、20%を「見える」化する。エンドロールの最後に「ユートピアはあなたからはじまる。有権者登録をしよう」と呼びかける。その5はアンコール曲の歌唱・演奏中にバーン以下全員が客席に降りて、歌唱・演奏しながら練り歩くシーンだ。観客との一体感はショーとして欠かせないこととはいえ、100分近く歌い続けたあとですごいエネルギーだ。その6はショーがはねたあと、「出待ち」するファンの前に現れたバーンが自転車に乗っていて、ほかのパフォーマーとともに自転車で帰宅するシーンだ。地球温暖化と気候危機に対する彼のプロテストなのだろう。 

脳の模型をもったバーンが歌うところから映画ははじまる。ぎょっとするが次第次第にショーに引き込まれていく。 


#432『田舎司祭の日記』(仏・1950) 

2021/7/3@新宿シネマカリテ 

若い司祭がフランス・シャンパーニュ地方の教区に着任する。司祭は毎日日記を綴っていく。日記文と映像がシンクロして物語は進んでいく。実は彼は胃を病んでいて、若くてはつらつというわけにはいかない。陰気な表情を住民にさらさざるを得ない。住民たちは警戒してなかなか溶け込こませてくれない。「別の教区へ移れ」との匿名の手紙まで届けられる。それでも彼は親身になって住民の身の上相談に乗るが、そのやりとりは神学論争的でとても十分には理解できなかった。ついに吐血して、列車に乗って街の医師に診てもらうことを決める。駅に向かう司祭をみつけたオートバイの青年が彼を駅までオートバイに乗せて送る。このとき司祭ははじめて笑顔になる。ただその理由を司祭が独白するがよくわからなかった。そして、医師から言い渡された診断は胃がんだった。絶望しても司祭は日記をつけるのをやめない。ついに絶筆する。その街に住んでいる彼の神学校時代の仲間が、彼の最期を教区の別の司祭に伝える手紙が読まれるシーンでエンドになる。 

教区という言葉は知っていたが、その内実にはじめて触れることができた。司祭と教区の住民の精神的つながりの深さとむずかしさを教えられた。ペンで綴られる日記の文字が美しかった。 


#431『ファーザー』(英仏・2020)

2021/6/27@TOHOシネマズシャンテ

認知症をテーマにした作品である。イギリスの名優アンソニー・ホプキンスが演じる。作中にも「アンソニー」として登場する。ロンドンに住む81歳の独居老人アンソニーは近所に暮らす長女のアンと介助人の世話を受けている。ところが、アンがパリに引っ越すことになり、アンソニーを高齢者施設に入れようとする。しかしアンソニーはこれを拒む。アンの話がショックだったのか、アンソニーの認知症は進む。映画はそうしたアンソニーの頭の中を映し出していく。もちろんそんな説明はされないので、みている方は話のつじつまが合わずに最初は戸惑ってしまう。言い換えれば、認知症を疑似体験するのだ。アンソニーは事故死した次女を生きているものとして話をするし、介護人をアンと勘違いしてしまう。「いつまで迷惑をかければ済むのだ」とアンのパートナーに言われて頬を張られるシーンもある。こうしたアンソニーの妄想と現実とを交錯させながらストーリーは進んでいく。最後は高齢者施設にいる自分に気づき、母親を思い出して涙する。

実は私の母親も認知症を患っている。本人からみえる光景はこうなっているのか。これまでの母親のつじつまの合わない言動は当然だったのだ、とつじつまが合った。

#430『淪落の人』(香港・2018)

2021/6/8@新宿武蔵野館

『最強のふたり』(#286)の香港版であることはポスターからもわかる。内容もそれに劣らずすばらしい。運悪く落下物に直撃されて車椅子での一人暮らしをしている中高年の男性リョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)のもとに、家政婦として雇われたフィリピン人のエヴリン(クリセル・コンサンジ)がやってくる。当初、広東語もできず掃除も下手なエヴリンにチョンウィンは冷たく当たる。とはいえ住み込みの家政婦である。母国の家族に事情を抱えるエヴリンは首にならないよう必死に仕事を覚え、チョンウィンもそれに気づいて次第に心を開いていく。

あるとき二人は夢の話をする。エヴリンは自分の夢は写真家になることだと告白する。チョンウィンは自分には夢などない、補償金でなんとか生きているだけだとこぼす。淪落の、つまりは落ちぶれた人というわけだ。妻は長男とともに家を出て再婚した。次男は大学受験に失敗し続け引きこもり状態。妹は親代わりに面倒をみてやったにもかかわらず、意にそわない結婚をさせられたとチョンウィンを逆恨みしていた。

やがてチョンウィンはエヴリンの夢をかなえることを自分の夢にしはじめる。プロが使う高価なカメラを買い与える。エヴリンは大喜びして写真を撮りまくる。そこへ実家から無心の電話が入る。やむなくエヴリンはカメラを売却して送金する。カメラを持ち出さないエヴリンを不審に思ったチョンウィンはエヴリンを問い詰める。エヴリンはなくしたという。チョンウィンはこの娘も裏切るのかと大きく落胆して、心を閉ざしてしまう。だが、のちにエヴリンの送金を知って事情をのみこむ。

ある日洗濯物を干していたエヴリンは洗濯かごの下からカメラをみつける。感謝、感激するエヴリンに、「なくしたものが出てきただけなのになぜだ」とつれなく返すところがニクイ。エヴリンは写真集をコンテストに応募し、みごと特別賞を受賞する。チョンウィンのスナップ写真には“Dreamgiver”とタイトルがつけられていた。

そんなエヴリンに著名な写真家から撮影助手のオファーが舞い込む。悩んだ末にエヴリンはチョンウィンに寄り添うことを選んで、断りのメールを送信する。ところが、チョンウィンはエヴリンの夢をかなえるために、たった一人の友人のファイ(サム・リー)に手伝ってもらって動いていた。コンテストの授賞式に来ていた別の著名な写真家にアポをとりつけ、エヴリンを会いに行かせる。事情を知らないエヴリンは先方に渡せとチョンウィンに言われた「書類」を、そこで開いてみる。それはエヴリンのportfolio(作品選集)だった。その最終頁には“Dreamgiver”が飾られていた。

映画初出演のクリセル・コンサンジの一途な演技に胸を打たれた。もちろんそれを引き出したのは、香港の名優アンソニー・ウォンのアクセントの効いた演技にほかならない。

 

#429『力道山』(韓/日・2004) 

2021/5/30@シネマート新宿 

なんだこりゃ。まちがえだらけじゃないか。ムカムカしながら、エンドロールを見終えて席を立とうとすると最後に「事実に創作を加えた」と言い訳がましい説明書きが映し出される。だったら最初にそのような字幕を入れるべきだろう。関脇だった力道山が大関に昇進できなかったのは、番付編成会議で朝鮮人を理由に差別され見送られたわけではない。1950年9月場所を西関脇で全休して廃業したのだ。また、まだ力士時代の力道山が洋装でバイクを乗り回すシーンもある。当時も力士が外出する際の服装の規定は厳格に決められていたと思うが。バイクを乗り回すなどもってのほかだろう。ラストシーン近くでは力士時代の力道山がスーツを着て神社に参拝している。これまたありえない。極めつきは力道山のジムに皇太子(現・上皇)とその息子(現・天皇)とおぼしき人物たちが訪れ、レスラーの練習風景を見学するシーンである。皇族がプロレスラーのジムを訪問するなどおよそありえまい。 

考証がずさんすぎる。「創作に事実を加えた」が正しい言い方ではないか。 


#428『いのちの停車場』(日・2021) 

2021/5/23@アップリンク吉祥寺 

医師を演じる76歳の吉永小百合が画面にほぼ出ずっぱりで、こんな「激務」をよくこなせるものだとその役者魂に感心しきりだった。 

救急救命医だった咲和子(吉永)は事務方(野呂(松坂桃李))の越権行為の責任をとって勤務する大学病院を辞する。そして、故郷・金沢に帰って在宅医療の専門医として勤務する。責任を感じた野呂も咲和子の職場に押しかけて、そこで働くことになる。 

末期のがん患者宅を訪問して回る過酷な職務である。なにより辛いのは、看取りの場にいやがおうでも立ち会わなければならないことだ。作品の中ではさまざまな看取りの現場が映し出される。夫が妻を世話する老老介護でゴミ屋敷と化していたところ、咲和子たちがすっかり片づけて、妻は清らかな死を迎える。小児がんの8歳の女の子が死期を悟り、生まれ変わったら人魚になりたいという。そのために海が見たいという最後の願いを、渋る両親を説得してかなえてやる。息子と絶縁状態の元高級官僚(柳葉敏郎)が死の直前でも息子と連絡が取れない。咲和子はとっさに傍らにいた野呂に息子役をやらせて「おやじ、ありがとう」と言わせる、など。金沢の美しい四季のいろどり、犀川のたゆまぬ流れが間奏曲のようにはさまれることで、観る者の切ない心を和ませてくれる。 

ついに咲和子の父・達郎(田中泯)にも死期が迫る。達郎は延命治療を断固拒否し自殺まで図る。しかしその力すらないのだ。想像を絶する激痛が達郎を襲い続ける。咲和子は安楽死させることを決意する。もちろんそれは日本の法律上殺人でしかない。咲和子は勤務先を辞める。達郎の枕元には安楽死用の注射器と薬剤などが置かれている。きれいな金沢の朝を迎える。それを親子でみながらエンドとなる。 

西田敏行、広瀬すず、南野陽子、小池栄子、泉谷しげる、石田ゆり子などなど豪華キャストが脇を固める。さすが吉永小百合主演映画である。咲和子たちの「停車場」となっていたStationという名のレストランを切り盛りする、みなみらんぼうがよかったなあ。モンゴルびいきという設定で、パオ(ゲル)を引き合いに家族の大切さを説くシーンがある。あと、親子を演じた吉永と田中は同じ1945年生まれです。 


#427『グンダーマン』(独・2018)

2021/5/16@ユーロスペース

妻と観に行く。サブタイトルは「優しき裏切り者の歌」。これがすべてを語っている。ドイツの人気シンガー・ソングライターだったゲアハルト・グンダーマン(1955-1998)の半生を描く。東ドイツのボブ・ディランと言われていたが、その裏の顔は秘密警察シュタージの協力者で、仲間の情報を密告していた。ドイツ統一後、情報開示が進みその過去を隠しきれなくなるとグンダーマンは苦悩し、ついにバンド仲間に伝え、最後にはコンサートで観客にも告白する。一方で、グンダーマンは露天掘りの褐炭採掘場で働く炭坑労働者でもあった。露天掘りとはこんなにも巨大なパワーショベルで採掘するのかと驚かされた。

東独時代、そこを西側の車で視察に来た党の幹部にグンダーマンはくってかかる。ノルマ達成はうそばかりだと。この件は当然問題にされ、党員証を返却するよう求められるが頑強に拒否する。彼は面従腹背ではなく社会主義体制を支持し、むしろ幹部が特権を握って国を堕落させていると考えていたのだ。それでも「裏切り」に手を染めた。この葛藤を音楽活動にぶつけたのだろうか。

時間軸がドイツ統一後と東ドイツ時代を行ったり来たりする。いまどの時代なんだと考えているうちに、ストーリーが先に進んでしまって「消化不良」の感じを抱いてしまった。 

#426『海辺の彼女たち』(日ベトナム・2020) 

2021/5/9@ポレポレ東中野 

ほとんど予備知識なく観に行ったので、最初ドキュメンタリーかと思ってしまった。それくらい3人の若いベトナム人女優は役にはまっていた。技能実習生として来日した3人が夜にその過酷な職場から逃げ出すところから、映画ははじまる。地下鉄、フェリーと乗り継いで北の港町へ。ブローカーの手引きで漁船から荷揚げされる魚の仕分け作業に従事する。もちろん不法就労である。魚を真水で洗って発泡スチロールに詰め、待機している車に搬入する。ぐずぐずしていると「ベトナムに返すぞ」と容赦のない罵声が浴びせられる。 

ある日、3人のうちのフォンが嘔吐する。その後も体調がすぐれない。ほかの2人に連れられてフォンは医院を訪れる。しかし、保険証と在留カードがなければ受け付けてもらえない。すごすごと帰る中、フォンは来日前に妊娠したのではないかと打ち明ける。ドラッグストアで妊娠検査薬を買って判定すると案の定だった。フォンは相手の男性に何度も電話するがつかまらない。職場のベトナム人に相談すると、保険証と在留カードの偽造を請け負う業者がいることを知らされる。ほかの2人の反対を押し切って、フォンは業者の言い値の5万円でこの話に乗る。列車に乗って市内の駅で業者から保険証と在留カードを受け取る。5万円に加えて「特急料金」として5千円を追加で請求された。食費としてとっておいたなけなしのお金をむしりとられる。 

その街で目当ての病院をさがすフォン。このシーンが長く切なく感じられた。雪の中をまるでさすらうかのよう。そして雪が次第に強くなる。病院の受付でおそるおそる偽造された保険証と在留カードを差し出す。見破られることなく産婦人科へ案内される。診察室で、エコーで胎児の画像をみせられ心臓の音を聞かされたフォンは「小さい」とつぶやく。 

例のブローカーが帰る途中のフォンを車で拾う。車はある民家に立ち寄る。ブローカーはビニール袋をもって車に戻ってくる。堕胎薬だった。こうしたネットワークまであることに驚いた。車内でブローカーは自分も危ないからとフォンに偽造の証明書を渡すようにいう。素直に渡すフォン。もう万策尽きた。 

3人が暮らす粗末な漁師小屋に戻ったフォンに、食事中だったほかの2人は声もかけない。フォンも食事のスープをすすったあと、ついに堕胎薬を水で飲み下す。そしてストーブをつけて布団にくるまる。ここでエンドとなる。 

上映終了後に藤元明緒監督による舞台あいさつがあった。わずか5分ほどのラストシーンには2日をかけたという。さらにサイン会があってその際に監督になぜBGMを入れなかったのかと尋ねると、彼女たちの耳に届いた音をそのまま観客に届けたかったとのことだった。 

「技能実習生」とはなんと「美しい」言葉なのだろう。その実態は実習ではなく搾取そのものではないか。単純作業に「実習」に値する「技能」など存在しない。 

さかんに登場する雪の背景が心をいっそう冷やす。ラストでフォンがつけたストーブでは、その冷たさはとても癒やされない気がした。 


#425『異邦人』(伊仏・1968)

2021/5/2@下高井戸シネマ

カミュの小説『異邦人』の映画化で、監督はクキノ・ヴィスコンティ、主演はマルチェロ・マストロヤンニという大物コンビとくれば期待してしまう。ところが途中で寝てしまった! 「太陽が眩しかったから」という理由で人を殺すなよ。マストロヤンニ演じる主人公ムルソーのナルシストぶりが鼻についてしようがなかった。なにをこんなにむずかしく考えるのだろう。恋人から「愛してる?」と尋ねられると、「愛していないし意味がない」と返す。ふつう「じゃ、さよなら」と愛想つかされるぞ。後半の裁判シーンは『チャップリンの殺人狂時代』の主人公ヴェルデュの裁判を思い出させてくれて、それなりにおもしろかった。台詞の突き刺さり具合は『殺人狂時代』の比ではないけど。作品の舞台となった第二次大戦前のアルジェでは公開処刑だったんだ。

#424『街の上で』(日・2019)
2021/4/18@シネマカリテ 

私が映画館に行く時間帯は午前中と決まっている。客筋は私と同年齢かそれ以上の中高年層であることもまた見慣れた光景だ。ところが、きょうはびっくりした。日曜日の午前中というのに劇場内には若い人が大勢いて、肩身の狭い思いをしてしまった。みおえてデートにちょうどいい映画だなあとそのわけがわかった気がした。 

舞台は一貫して下北沢。私は大学1、2年のとき小田急で下北沢を経由して、そこから井の頭線で明大前に通っていた。サークルの飲み会が下北沢であったときはよく参加した(未成年飲酒です_(._.)_)。18歳、19歳の私が飲んだくれた街なのだ。つらい涙(?)も流した。その頃よくいった居酒屋「ニシンバ」が映画で出て来て無性に懐かしくなった。 

私の感傷などどうでもいい。20代後半で古着屋に勤める荒川青(若葉竜也)が主人公のラブストーリー。彼の周りにいろいろな偶然が重なって若い女性たちがつかず離れずする。「好きな人ができたから別れる」と言った彼女が結局は元の鞘に収まり、メデタシメデタシとなる。 

一番おもしろかったのは、飲み会で知り合った城定イハ(中田青渚)が二次会に行かない青を自宅に招いて、お互いの恋バナを打ち明けあうシーンだ。イハが自己紹介で、「城定イハの城定は城定秀夫監督の城定です」と言う。マニアックでこのせりふには大笑いだった。ただ、このシークエンスは長くて、しかも城定監督とくれば、その後よからぬ展開になるのではとハラハラしてしまった。だが杞憂だった。 

若者の街・下北沢の魅力満載の映画だ。超高齢社会のいま、こんな街はほかにあるのだろうか。 


#423『市民ケーン』(米・1941) 

2021/4/11@下高井戸シネマ 

映画ファンならだれでも知っているこの名作がスクリーンでみられるというので出かけた。みな同じことを考えるのか、日曜日の午前中で劇場内はけっこう入っていた。 

本作品のキーワードは「バラのつぼみ(ROSEBUD)」である。大富豪で新聞王のケーンがこの言葉を最後に死去するシーンからはじまる。ニュース映画のスタッフがこの言葉の謎解きをすることで、ケーンの斬新な人物像を描けるのではないかと考えた。そしてケーンの周囲にいた人物を取材して回る。その過程でケーンの知られざる生育環境や波瀾万丈で破天荒な人生が明らかになっていく。しかし、「バラのつぼみ」の意味は一向にわからない。最後の最後になって、ケーンの豪邸の執事だった人物がジグソーパズルの最後のピースにすぎないと語って、肩すかしを食わされた気分になる。ところが、それでエンドになるはずはない。ラストは生前にケーンが買いあさった家財道具などが焼却炉で処分されるシーンである。そして、火の中に「ROSEBUD」のロゴマークが浮かび上がるのだ。 

これはケーンが子どものころ雪の中で遊んだソリに付けられていたものだった。実は私はすっかり見落としていた。幼いケーンが雪だるまをつくったり、ソリで遊んだりしているところで、彼が両親から強引に引き離されるシーンがあった。これを心の重しに生き抜いたということなのだろう。 

展開が早くてややついていけなかった。だが、冒頭に豪邸の敷地への「NO TRESPASSING」(立ち入り禁止)の看板が大映しにされ、最後にもそれが映し出される。同じ場所ではじまり終わるのだ。『ローマの休日』もそういう仕掛けだったな。 


#422『ノマドランド』(米・2020) 

2021/4/4@シアタス調布 

ケン・ローチ監督作品のアメリカ版をみる思いがした。 

ノマドとは遊牧民のことである。主人公で60歳代のファーン(フランシス・マクドーマンド)はネバダ州エンパイアという企業城下町に住んでいた。ところがリーマンショックでその企業が倒産してしまう。街は無人と化して郵便番号まで抹消される。住む家を失ったファーンはキャンピングカーで全米各地を放浪して、季節労働者として露命をつないでいくことを強いられる。あるときはアマゾンの配送センターの作業員、あるときはハンバーガーショップの店員、またあるときは国立公園の清掃員として。全米各地で同様の境遇の高齢者と知り合って、ノマド生活のノウハウを身につけていく。 

貧しい食事、不便な排泄。慰めは過去の家族写真やスライドをながめて、往事を追憶することだけだ。必死にもがくファーンのいじましさがアメリカの雄大な景色に浮かび上がる。姉に同居を勧められても、旅の途中で知り合った高齢男性から「好きだ」と告白されても、ファーンは一途なまでにその生活を変えようとしない。 

ラストで、ファーンの車はエンパイアに戻る。元自宅に入るとテーブルにはほこりが積もっていた。それを確認して踏ん切りがついたようにファーンはまた旅に出る。 

人生の終盤になってこんな運命は過酷すぎるようにみえる。しかし、ファーンもエキストラで出演している実際のノマドたちもそんな同情は無用だ、好きなように生きているだけだと答えることだろう。 

意外な展開、あるいは爆笑や号泣を誘うシーンは一切ない。明確に主張するわけでもない。車上生活をする高齢者の現実が美しい映画音楽とともに淡々と綴られる。 


#421『夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』(日・2020)

2021/3/26@K’s cinema

「私宅監置」という言葉が胸に突き刺さった。戦前から戦後の一時期まで精神病院のなかった沖縄では、精神障害者は自宅の離れにつくられた牢屋のような監置小屋に何年から10年以上にもわたって監禁された。それは法的に認められていたのだ。当時使われていた監置小屋の跡が沖縄にはまだ残っている。コンクリートでつくられた堅牢なものもある。実際に人に危害を加えたわけでもない精神障害者でも予防的に私宅監置されたこともあった。さらに、精神障害者ではない目の不自由な人でも私宅監置された場合もあった。前者の知人も後者本人も映画に登場する、。

映画ではこうして「合法的」に基本的人権をすべて剥奪された人々のその後を家族、関係者の証言を交えて追跡する。主人公は藤さんという女性である。若いとき結婚を親に反対されて心を病んだ。10年以上私宅監置されたあと精神病院に入院し、さらに高齢者施設に移った。そこでの写真が映し出されるシーンには胸が締め付けられた。

私宅監置という「制度」は日本の植民地時代の台湾にもあった。なんと西アフリカのブルキナファソにもあるいというので、スタッフは現地へ飛ぶ。そこでは患者の足は鎖でつながれていた。しかし小屋に監禁されているわけではなかった。日本の私宅監置よりよほど「自由」なのだ。

タイトルの「うた」は、藤さんはじめ私宅監置された人々がそこで口ずさんでいた歌を指している。

ハンセン病患者の強制隔離と同根の国家意思を痛感した。

#420『ラスト・フル・メジャー』(米・2019) 

2021/3/21@シネマート新宿 

ベトナム戦争で米軍はある無謀な作戦を敢行した。敵兵が待ち構えるなかそれを知らされていなかった部隊が突っ込んで、蜂の巣にされた。援護射撃と救援のため空軍のヘリが現場に滞空し、一人の勇敢な医療兵が地上に降りて負傷兵を担架に乗せてヘリへと送った。兵士はヘリに戻ることを拒んで戦死する。ところが、なぜか名誉勲章が贈られなかった。遺族や元戦友はそれ以降30年にわたって授与するよう国防総省に求め続けた。 

国防総省で出世欲に満ちたエリート官僚スコット・ハフマン(セバスチャン・スタン)が栄進直前にその調査を命じられた。同僚からは異動が近いのだから適当にやって後任に引き継げと耳打ちされる。乗り気なく引き受けた仕事だったが、遺族や元戦友を訪ね歩くうちに徐々に心境が変化していく。名誉勲章が授与されなかったのは、ベトナム戦争における「不都合な真実」を公にしたくないためだったのだ。ハフマンは妻タラ(アリソン・スドル)から「Be honest」と直言されて、出世を放棄してテレビカメラの前に立って事の全貌を明らかにする。国防総省はようやく重い腰を上げて授与に踏み切る。 

関係者全員を集めて兵士の遺族に名誉勲章を授与するシーンは感動的なのだが、ここまで観てきてどうも鼻白んでしまった。Warmongerたちが喜びそうな筋立てではないか。軍功にみあった顕彰は必ずされるから、命を賭けて戦えという文脈に容易に「応用」されそうだ。 

妻役のアリソン・スドルの控えめだが要所をはずさない演技がよかった。 


#419『マンディンゴ』(米・1975) 

2021/3/14@新宿武蔵野館 

奴隷は人間であるにもかかわらず人間扱いされない。この人間扱いされない人間とはいかなる状況に置かれていたか。そこまで想像力がなかなか及ばない。本作品はそれを養う上でおおきな一助となった。 

19世紀半ばのアメリカ南部のおける黒人奴隷農場の赤裸々な実態が、次々に目に迫ってくる。黒人は人間ではなく文字どおりの奴隷であったことをつきつける、目を背けたくなるシーンの連続である。題名の「マンディンゴ」とはたくましい「優良種」の奴隷のことである。奴隷市場には、農場主たちが「マンディンゴ」を求めて群がる。「交配」させるという言葉も飛び交う。 

主人公である農場主の跡取り息子ハモンドは、そこで「マンディンゴ」の黒人奴隷ミードを競り落とす。ハモンドはいとこのブランチと結婚していたが不仲が続き、自分の農場にいる黒人奴隷エレンを妊娠させてしまう。ブランチは酒に溺れ、ハモンド不在中に自室にエレンをよんでむち打ちにした上に階段から突き落とす。エレンが階段から転がり落ちるシーンは迫力満点だ。素でやったら大けがするか、下手をすれば死んでしまう。どうやって撮ったのだろう。エレンは流産してしまう。それを知ったハモンドはエレンに深く同情する。ブランチは激高する。腹いせにミードとの性行為に及ぶのだ。 

そして、ブランチは妊娠する。ハモンドの父ウォーレンはようやく孫ができたと喜ぶ。ブランチは黒人の赤ん坊を産み落とす。出産に立ち会った医師はいとも簡単にあやめる決断をして、赤ん坊を窒息死させる。別室で吉報を待つハモンドとウォーレンには「死産だった」と伝える。ハモンドは医師の制止をきかずに赤ん坊を確かめにブランチがいる部屋に入る。そしてすべてを悟る。 

その部屋から戻ったハモンドは医師に、年老いた黒人奴隷を殺す毒薬を求める。こんな薬まであり、医師は平気で処方していたのだ。ハモンドは酒にその毒薬を混ぜてブランチに飲ませる。そして、ミードには釜に湯を沸かせて釜ゆでにしようとする。抵抗するミードをハモンドは2度撃つ。ミードは勢い余って釜の中に倒れ込む。面従腹背で従順とみられてきた奴隷がミードを助けだそうとするが、ハモンドが妨害する。その際ハモンドが猟銃を手放してしまい、奴隷が猟銃を手にする。それをみたウォーレンが奴隷に暴言を吐く。積年のうらみから奴隷がハモンドを射殺してエンドとなる。 

奴隷同士をどちらかが死ぬまで闘わせる賭け事に興じる白人たちの醜さにうんざりされられた。言う事をきかない奴隷は逆さにつるされて別の奴隷に臀部を打擲させられた。脊髄を損傷させては「売り物」にならないからだ。10代の黒人女性は白人男性の性奴隷でもあった。 

観るべき映画を観て、知るべき事実を知った。 


#418『真空地帯』(日・1952)

2021/3/3 DVD鑑賞@自宅

野間宏の小説『真空地帯』を映画化した作品。兵営内では兵士は人間らしさを徹底してはぎ取られ真空管のようにからっぽの状態にされて、軍隊教育を注入される。皇軍兵士はこうして誕生する。その装置である内務班の様子が精緻に再現される。

初年兵がさらされる境遇はそれこそ筆舌に尽くせない。古参兵からことあるごとに、あるいは憂さ晴らしのように暴力を振るわれる。私の大嫌いな不合理と精神論が横溢する。二言目には「天皇陛下」を笠に着る。初年兵の1日は食事の配膳、洗濯、兵舎の掃除、軍馬の世話、軍人勅諭の暗唱などなどで過ぎていき、自分の時間などないに等しい。

問題は映画には描かれていないが、彼らが2年兵、3年兵になるに従い、それら苦行が初年兵へと「継受」されていくことだろう。一方で上層部は派閥争いにあけくれ、汚職にまみれていた。集団生活が露出させる人間の醜さを存分に見せつけてくれる。

起床や就寝などを告げる営内に響くラッパの音色が印象的で切なかった。


#417『DAU.ナターシャ』(独/ウクライナ/英/露2020) 

2021/2/27@アップリンク吉祥寺 

ワンカットが長く会話の内容も意味がよくわからない。どうでもいい与太話のような気もした。性行為のシーンもやたら長く過激で、R+18に納得した。パーティーも食べ物を投げつけるなど品がなくてうんざりした。しかし見終えて解説記事を読んだら、ソ連時代にはセックスと乱痴気騒ぎくらいしか楽しみがなかったとあって納得する。 

開巻から半分以上が過ぎて眠気を催したころ、突如シーンは尋問・拷問の場面へと切り替わって目が覚めた。女性に対してこんな拷問をしていたのか。とてもここには書けない。 

本作品のコンセプトはソ連社会の再現にある。ウクライナのハリコフに巨大なセットを建設して、下着を含めた衣類、調度品、食器、その他細部まで忠実にソ連時代のものを集めた。さらに驚くのは、オーデションで何百人もの出演者を決定して、彼らにこの「街」で約2年間ソ連時代そのままの生活をさせたことだ。撮影はその合間合間に行われた。出演者はソ連を内面化していたのだ。 

映画音楽は一切ない。静寂のなかエンドロールが映し出される。音楽なき音楽を聴かされているようだった。 

#416『世界で一番しあわせな食堂』(フィンランド/英/中2019)

2021/2/19@新宿ピカデリー

久しぶりに暴力も流血もない、心が温かくなる映画を観た。

季節は夏。中国人のチェンが小さな息子を連れてフィンランド北部の田舎町のバス停を降りるところから映画ははじまる。目の前にあるシルカという女主人が一人で切り盛りしている食堂「シルカ」に入って、あるフィンランド人の名前をいう。この町にいるはずだが知らないかと片言の英語で尋ねる。シルカは地元の常連客にも声をかけるが、だれも知らないという。チェンと息子はそこで昼食をとる。出されたのは乱雑にもりつけられたマッシュポテトとソーセージだった。

その人物を捜すために、チェンと息子はシルカがもっている空き家で過ごすことになる。あるとき、観光バスから中国人観光客が続々とこの店に入ってくる。バスが故障して動かなくなり、昼食を予定していたところまで行けなくなったのだ。シルカはマッシュポテトとソーセージしか出せない。しかし、観光客たちはそんなものは食べたくないという。それをみたチェンはスーパーに行って食材を購入して、次々に中華料理をつくっていく。シルカはびっくり仰天する。実はチェンは上海の高級ホテルの腕利きシェフだった。やがてこの店はおいしい中華料理を出す店として評判になり、チェンは地元の人びとに受け入れられていく。

その過程で、チェンが人捜しをしている理由が明らかになる。中国で自分の店を経営していたが妻が事故で亡くなり自暴自棄になって莫大な借金をつくった。その肩代わりをしてくれたのが、捜しているフィンランド人なのだ。お金を返してお礼を言いたいと。ある常連客の老人はこの店でビールをちびちびやりながら、いつもクロスワードパズルをしている。あるときその答えの人名をつぶやくと、それがチェンの恩人の名前であることに周囲は気づく。フィンランド人のむずかしい人名をチェンは覚え違えしていたのだ。残念ながら恩人はすでに他界していた。

医食同源という言葉がある。チェンのつくる料理で地元の人びとは健康を回復していく。そんなチェンにシルカは思いを寄せる。お互いの身の上を告白しあう。シルカは結婚に失敗してこの町にやってきて、たいしてもうからない食堂を営んでいたのだった。二人は河畔でデートする。シルカはチェンに「スマホもってる?」と尋ねる。チェンが「もっていない」と答えるといきなり川につきおとす。チェンが「泳げない」と叫ぶとシルカも川に飛び込む。これはチェンがついたうそだった。川から上がって二人はたき火で体を温める。そして(このあとはご想像にお任せします(*^_^*))。

チェンは観光ビザで入国しているので働けない。店に食べに来た警官にそれを問われてシルカは「手伝ってもらっているだけ」とはぐらかす。とはいえ、観光ビザでは長期滞在はできない。シルカと別れて帰国する悲しいエンドかなあと予感する。フィンランド北部の青を基調としたすばらしい風景がスクリーンいっぱいに映し出される。エンドロールを待つ。するとうって変わって緑いっぱいのシーンに変わる。中国だ。シルカが中国についていったのだ。こうシメましたか。ちょっとできすぎのような気がしないでもないが。

食事の映画は気持ちをなごませる。チェン役のチュー・パクホンが『ラストレシピ』(#278)の西島秀俊にみえてしかたがなかった。

#415『すばらしき世界』(日・2020)

2021/2/14@シアタス調布

元ヤクザの三上正夫役を演じた役所広司のすごさとうまさが炸裂する! 中でもようやく雇ってもらえた介護施設で同僚が、軽い知的障害のある別の同僚の真似をして侮辱するシーンがある。それまでの三上なら〈許せない〉と逆上して暴力をふるいまた刑務所に戻る羽目になったことだろう。しかし、殺人を含む前科10犯にもかかわらず周囲の支援でようやく就職がかなった。憤りを数秒かけて胸にどうにか押し込んで「似てますね」と笑顔を必至に作って返す。この表情には打たれた。あるいは、就職が決まったとき、「シャブ〔覚せい剤〕を打ったときみたいだ!」とはしゃぐ笑顔もすばらしい。自分が育った児童養護施設で子どもたちとサッカーに興じるときのうれしそうな表情も胸に迫る。

ラストシーン近く。すべてがうまく回りだし、三上にとって人生はじめての「すばらしい世界」がみえはじめる。帰宅途中に元の妻(安田成美)から電話でデートに誘われる。その最中に雨が降り出す。三上の住むアパートが大雨の中で映し出される。三上の部屋に電気がつき三上が急いで洗濯物を取り込む。ところがランニング1着だけが取り込まれない。これが三上の突然死を暗示しているのだ。ニクい演出ですね。三上にはひどい高血圧の持病があった。

ランニングといえば、三上はランニングの上にワイシャツを着て出勤している。しかし、それでは肩から肘にかけての入れ墨が透けてみえてしまうのではないか。三上のワイシャツ姿は何度も出てくるがそれが透けないのはおかしいと思った。勤務先でワイシャツから作業着に着替えるシーンはないが、同僚にみられてしまうはずだ。

ケチはこれくらいに。役所広司の魅力を堪能してください!

#414『ひとくず』(日・2019)

2021/2/5@ユーロスペース

またまた流血シーンのある映画だったが、すごい作品に魂が揺さぶられた。

幼女・鞠(小南希良梨)がゴミ屋敷の一室で監禁されているシーンからはじまる。そこに空き巣の金田匡郎(上西雄大)が窓を割って侵入して部屋を物色する。そして鞠をみつける。鞠が何日も食べていないことに気づいた金田は、空き巣に入ったにもかかわらずコンビニで食べ物を買ってきて鞠に食べさせる。また鞠がずっと入浴していないこともわかったので、知人の女性をよびだして銭湯にいく。その女性は鞠の胸にアイロンを押しつられた跡があることに仰天する。手の甲にはたばこを押しつられた跡もあった。鞠は恐るべき児童虐待の被害者だったのだ。実は金田自身が母親の愛人から同様の虐待を受けて心に深い傷を負っていた。金田は鞠に感情移入してかわいがる。

やがてその部屋に鞠の母親・凜(古川藍)と情夫が戻ってくる。金田はその男とけんかになり、包丁で刺し殺してしまう。凜に手伝わせて男の遺体を遺棄する。金田にとってこれが二人目の殺人だった。高校時代に、母親の情夫で虐待を繰り返す男を刺し殺して少年院送りとなっていた。そこで知り合った仲間と空き巣を繰り返して「生計」を立てていたのだ。

鞠も金田になつき、凜と3人で疑似家族のようになっていく。3人で焼き肉店にいって、タン塩を焼きながら金田は感極まって落涙してしまうシーンはほほえみを誘う。ところが、金田はあるとき凜の背中にいくつものあざがあるのをみてしまう。凜もまた児童虐待の被害者だった。

金田は鞠と凜にアイスを買ってやるが、自分は決して食べない。虐待を受けていた少年時代に、男がいない間に母親がアイスを金田に食べるようよく薦めた。「アイスを食べている間はつらいことは忘れられる」と言って。なので、金田はアイスを食べると、いまわしい記憶がフラッシュバックしてしまうのだ。

鞠の誕生日の前日、金田は凜にこのことを打ち明け、アイスを泣きながら口へ運ぶ。そして、凜にあすから3人がほんとうの家族にならないかと誘う。翌日、金田は就職を決め、バースデーケーキを買って鞠と凜が待つ「自宅」へ帰る。そこを目前にして刑事が現れ、殺人と死体遺棄で逮捕されてしまう。外に出て来た鞠が必死であとを追いかける。

ここで画面はエンドロールに。しかし主役4人で終わる。「えっ、短すぎない?」。席を立ちかけた客もいた。ほんの数秒してスクリーンには刑務所の受付が現れる。「金田さんはもう出所した」と。刑期を終えた金田が川沿いの道を歩いている。金田をバンが追い越して止まる。中から若い女性が降りてくる。金田が「鞠!」と声をかける。そして胸元と手の甲に目を移す。やけどのあとは形成外科的手術が施されきれいになっていた。次に凜が降りてくる。最後にバンのリアハッチがあいて、車椅子に乗った老女が降りてくる。金田の母親だ。「匡郎、アイス食べな」とアイスが入ったレジ袋を振ってみせる。金田は「かあちゃん」とつぶやく。ここで本当のエンドになる。

金田を演じた上西雄大は本作品の監督・脚本・プロデューサーも務めた。演技だけでもすごいのに。鞠役の小南希良梨も愛くるしくてとてもうまい。そのほかの出演者も役どころをわきまえて迫力満点に演じていた。児童虐待の負の連鎖とはこういうことなのかと得心できた。必見の映画である。

#413『ヤクザと家族 The Family』(日・2021)

2021/1/29@シアタス調布

今週も流血シーンが多い映画を観てしまった。

不良少年の〝賢坊〟(綾野剛)が柴咲組の組長・柴咲博(舘ひろし)に拾われて、親子の盃をかわす。〝賢坊〟は組長をオヤジと慕い、家族のいない組長も〝賢坊〟をかわいがる。〝賢坊〟はみるみる組内で頭角を現す。たとえば、組のシマにある「接待を伴う飲食店」から夜に電話が入る。客と店側とのトラブルだ。すぐに駆けつけて店側の望むように解決する。ヤクザの仕事には携帯電話は欠かせないと思った。あるとき、抗争でライバルの組の幹部を兄貴分が刺し殺してしまった。この罪をかぶった〝賢坊〟は懲役14年に処せられる。この事件の少し前に〝賢坊〟は組のシマにある店でホステスのバイトをしていた女子学生・由香(尾野真千子)と知り合っていた。

14年の刑期をおえて出所した〝賢坊〟は再び柴咲組の世話になる。住まいをあてがわれ、携帯電話を渡される。〝賢坊〟は子分に「携帯くらい自分で買う」とつきかえす。子分は「ヤクザは携帯の契約はできない」と告げる。あるいはヤクザは銀行口座をつくれない。銀行は普通預金規定等に暴力団排除条項を盛り込んでいる。映画『ヤクザと憲法』(#198)を彷彿させる。各都道府県は暴力団排除条例を制定し、相手がヤクザと知っていながら頻繁に飲食すると「暴力団又は暴力団員と社会的に非難されるべき関係を有している」とみなされる(東京都暴力団排除条例)。出所した〝賢坊〟が組を抜けた元弟分と食事をするシーンがある。会計の段になって〝賢坊〟が払おうとすると、元弟分は血相を変えて自分が出すと言い張る。

その元弟分から由香の消息がわかったと連絡が入る。由香は市役所職員になっていた。復縁を迫る〝賢坊〟に由香は「私たちを養っていけるの」と言う。由香は14歳の娘をもつシングルマザーだった。もちろん〝賢坊〟の子どもだ。結局2人はよりを戻し、由香のもとに〝賢坊〟は収まる。娘には本当のことは言ってはいないが、親子3人が朝食をとるシーンは実に幸せそうだ。〝賢坊〟は組を抜けて元弟分の紹介で堅気の仕事に就くことができた。ところが、その仕事仲間と昼食時に撮った写メが事態を暗転させる。

その一人が写真をネットにアップしたことで、〝賢坊〟が元ヤクザで元殺人犯であることがあっという間にネット上に拡散する。由香は職場にいづらくなり上司は退職を迫る。娘も同様でクラスで孤立する。由香は〝賢坊〟に「出てってください」と懇願する。「あなたが現れるまですべてが順調だった」と。同じ写真に写っていた元弟分も家族を失ってしまった。ネット社会の怖さを思い知らされた。

その元弟分に波止場で刺されて〝賢坊〟は海に落ちてエンドとなる。オヤジもがんで死んでしまっていた。家族に飢えていた〝賢坊〟は、結局それを手に入れることはできなかったのだ。

ふだんは温和な組長が一度だけライバルの組の幹部相手に凄むシーンがある。「待ってました、舘ひろし!」と心の中で拍手した(*^_^*)


#412『KCIA 南山の部長たち』(韓国・2020)

2021/1/24@シネマート新宿

最後は血だらけシーンとは。さすが韓国映画だと妙な感心をしてしまった。

本作品は1979年10月26日に朴正熙大統領が側近の金載圭・KCIA(韓国中央情報部)部長に射殺されるまでの40日間を描く。実話に基づくフィクションである。南山とはKCIA庁舎の所在地であり、タイトルが「たち」と複数なのは、暗殺の40日前にアメリカの連邦下院公聴会で証言した朴元部長が準主人公だからだ。現代版・韓国版の「本能寺の変」をみる思いだった。

朴元部長(クァク・ドウォン)は現職時に朴大統領(側近からは「閣下」とよばれていた)におうかがいをたてたとき、「閣下」(イ・ソンミン)は具体的な指示を与えず「お前のそばには自分がついている」と対応を一任した。朴部長は苛烈な拷問を加えて事件を「解決」するが、「閣下」は「やりすぎだ」と朴部長を叱責する。朴部長はアメリカに亡命し、「閣下」の不正蓄財を暴露する証言を下院で行う。さらに、それについての本の出版も計画していた。

「閣下」からそれを阻止するよう密命を受けた金部長(イ・ビョンホン)は渡米して、朴元部長から原稿を買い上げる。ところが、どこからかその内容が漏れて日本の週刊誌『サンデー毎日』にスッパ抜かれてしまうのだ。「閣下」は朴元部長の始末を付けるよう金部長に求めるが、やはり具体的な指示はしない。「お前のそばには自分がついている」と言うのみだった。朴元部長はフランスで暗殺される。

金部長は「閣下」のこうしたやり方に不信感を次第に募らせていく。秘密の宴会場に潜入して、「閣下」が腹心でごますりの郭警護室長(イ・ヒジュン)に自分の働きへの不満をこぼすのを盗聴する。

釜山と馬山で大規模なデモが発生する(釜馬民主抗争)。「閣下」は警護室長の進言を入れて武力弾圧を決断する。金部長はそれに強く反対する。聞き入れられず、10.26の凶行に至るのである。

当日、秘密の宴会場に「閣下」、金部長、郭警護室長らが顔をそろえた。「閣下」は「きょうの宴会は金部長のためだ」と意味深長な発言をする。宴が進むと金部長はシーバスリーガルをウイスキーグラスになみなみと注ぎ、一気に飲み干す。そして、「閣下」に非難の言葉を投げつけ、それをとがめる郭警護室長をまず撃ち、ついで「閣下」を「貴様もだ」といって一撃する。

KCIAといえば民主化運動弾圧しか頭にない組織とばかり思っていたが、金部長のような「穏健派」もトップになれたのだと認識を新たにした。また、アメリカが韓国大統領執務室を盗聴していた事実を知った。それにしても、金部長がこれから大統領を狙撃しようというのに、ウイスキーを一気飲みするとは。手元が狂う心配はなかったのか。

映画は最後に史実を語る。金載圭はその後陸軍により逮捕され、次の独裁政権である全斗煥政権時代に絞首刑に処せられた。

#411『FUNAN フナン』(仏/ベルギー/ルクセンブルク/カンボジア・2018)

2021/1/16@シネ・リーブル池袋

1970年代後半、カンボジアではポル・ポト政権(クメール・ルージュ)がまさに狂気の支配を行った。住民を都市部から農村地帯に強制移住させるなどの無謀な政策を強行し、自国民800万人の5分の1を死に至らしめたといわれる。本作品は首都プノンペンに住んでいた親子3人が政治に翻弄されるさまをアニメで描く。農村への移動の途中で、父母は3歳の息子とはぐれてしまう。父母は息子と再会を果たすことだけを心の拠り所にして、「オンカー」(革命組織)の命じる重労働に耐える。そうした人びとの間に起こるあつれき、裏切り、ねたみ、密告などなど、人間のむき出しの本能が次々につきつけられる。ただし、処刑のような残虐なシーンは出てこない。示唆されるにとどめられている。

最後に両親は息子と再会を果たしてタイへ逃れようとする。その途中に住民たちが「オンカー」に復讐する場面に遭遇する。このように必然的な負の連鎖も挿入されている。父親は国境で「オンカー」にみつかり射殺される。

「オンカー」は虚飾のイデオロギーに基づいて絶対的な正義を独占した。それは同時に絶対的な悪の独占でもあったのだ。冒頭のプノンペンでの豊かな食卓のシーンと強制移住させられた地でのわずかな食料をめぐる醜くいいさかいが、重い対照をなしていた。


#410『善き人のためのソナタ』(独・2006)

2021/1/9 DVD鑑賞@自宅

東ドイツの秘密警察である国家保安省、略してシュタージ(Stasi)は国民のプライバシーを丸裸にしていた。本作品は1984年の東ベルリンを舞台にはじまる。忠実なシュタージ職員であるヴィースラーは劇作家ドライマンの監視を命じられる。盗聴器を仕掛けて屋根裏部屋で盗聴し続ける。ドライマンには同棲している女優クリスタがおり、また演劇仲間も出入りして体制への不満をぶちまける。

あるとき、西側から仲間が来て東ドイツの自殺者の急増を西ドイツの週刊誌『シュピーゲル』に載せようという依頼が舞い込む。ドライマン宅の盗聴を警戒して仲間たちは一計を案じる。居間で架空の計画を話して、それにシュタージが食いつくかを試したのだ。その話を聞いたヴィースラーだったが、今回だけは見逃してやると当局に連絡しなかった。仲間たちはヴィースラー宅は安全だと踏んで、そこで記事を作成する。タイプ文書が露見した場合、東ドイツではタイプライターの持ち主は登録されているので「筆跡鑑定」で持ち主がわかってしまう。そこで西ドイツからタイプライターが持ち込まれ、床の羽目板を外して隠した。あいにくインクリボンは赤しかなかった。

まんまと記事は『シュピーゲル』に掲載される。シュタージは犯人捜しに血眼になる。しかし、タイプ文書の「筆跡鑑定」ではタイプライターは特定できなかった。クリスタを尋問して隠し場所を吐かせる。そしてドライマン宅の捜索をするが、羽目板を外すとタイプライターはなかった。盗聴しているうちに職務に耐えきれなくなったヴィースラーが「裏切った」のである。ドライマンはシロになった。それを知らずに、クリスタは良心の呵責からトラックに飛び込んで自殺する。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、まもなく東ドイツが消滅する。ドライマンは自宅が完全に盗聴されていたことを聞かされ、文書館でその克明な記録を読む。そしてヴィースラーのコードネームと、文書に残された赤いインク跡にヴィースラーが自分を救ってくれたことを知るのである。ドライマンは東ベルリンの自宅のピアノで弾いていた、そしてヴィースラーが盗聴し心の琴線を震わせた『善き人のためのソナタ』と題された本を出版する。書店のウインドーでそれを知ったヴィースラーは入店して本を手に取る。献辞にヴィースラーのコードネームが刻されていた。レジで店員から「贈り物の包装が必要か」と尋ねられて、ヴィースラーは「これは自分のための本だ」と応える厳かなラストを迎える。

ドライマン宅の捜索失敗で、ヴィースラーは郵便物を開封する任務に左遷させられる。東ドイツではこうやって親書をあけていたのか。

大きなスクリーンでぜひもう一度観たい!


#409『ベルンの奇蹟』(独・2003)

2021/1/4 DVD鑑賞@自宅

1954年サッカーワールドカップ・スイス大会は前評判を覆して西ドイツが劇的な優勝を飾る。ルール地方のエッセンに暮らす主人公の11歳のマチアスは、地元のサッカーチームの選手ラーンの「追っかけ」だった。マチアスの母親はビアバーを切り盛りすることで子ども3人を養っている。そこへ、ソ連の収容所から10年ぶりに父親が帰ってくる。父親は子どもたちに厳しく接して、それまでの家庭内の秩序が変わっていく。反発したマチアスの兄ブルーノは東ベルリンへ出奔してしまう。彼は共産党シンパだったのだ。

父親は反省して母親の誕生日に手料理をふるまう。ところがそれはマチアスが大切に飼育していたうさぎを調理したものだった。「おいしい」と食べたあとにうさぎがいなくなっていることに気づき、それを悟ったマチアスは号泣して家出する。父親はマチアスを連れ戻すがマチアスの機嫌が直るはずはない。こうして迎えたワールドカップ決勝戦の日。父親は車を借りて、マチアスをベルンへと誘う。その道中でようやく父親は「悪かった」とマチアスにわびる。ベルンの試合会場に着くと、試合は後半で2対2の同点だった。マチアスは会場に忍び込んでピッチ横からラーンに声をかける。そして、ラーンは決勝のゴールを決めるのだ。ちょっと出来すぎだなあ。

映画の最後に「その後 彼らが共に 戦うことはなかった」との字幕が出る。ベルリンの壁構築(1961)前で、このときは東ドイツからも選手が加わっていたことを知る。ブルーノも東ベルリンでテレビをみて西ドイツチームを応援していた。父親が収容所での地獄絵図を独白するシーンがよかった。

#408『この世界に残されて』(ハンガリー・2019)

2020/12/28@シネスイッチ銀座

ハンガリーでは56万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって虐殺されたといわれる。それを免れたホロコースト孤児の16歳のクララとやはり生き残った42歳の産婦人科医師アルドがこの映画の主人公である。クララは両親と妹を失い、アルドは妻と子どもを失った。クララは大叔母に引き取られていた。大叔母に連れられてクララはアルドの診察を受ける。おそらく強制収容所でのむごい経験がトラウマとなって、初潮が来ないのである。その後クララはアルドに「アレが来た」と報告にいく。クララの父親も医師だったこともあって、クララはアルドを父親のように慕う。そしてアルドのアパートに押しかけてそこで暮らすようになる。「川の字」という表現があるが、一つのベッドでアルドはクララに背中を向けて眠る。当然二人は周囲から奇異な視線を浴び、「党」も目を光らせる。

当初はクララに「再婚する気はない」といっていたアルドだが、診察に来た患者に心を寄せるようになる。一方、クララもダンスで知り合った青年と交際をはじめる。お互いの恋心を禁圧するかのように。

笑えるシーンが一つだけあった。クララが夕食にスープをつくる。クララがアルドに「薄かったら塩をいれてね」という。無口なアルドは「ちょうどいい、おいしい」とスプーンを口に運ぶ。クララが塩を入れると、アルドはそれ以上の塩を入れるのだった。

3年後、大叔母宅でのパーティーにアルドと再婚相手、クララと例の青年がそろって招かれる。ラジオからスターリンの死去が報じられる。青年は大喜びする。その後、バスに乗ってクララが微笑むシーンでエンドになる。『下町の太陽』(#155)で倍賞千恵子が電車でクスッと笑うラストを思い出した。1956年のハンガリー動乱はこの二人の人生をどう変えることになるのか。

 

#407『戦車闘争』(日・2020)

2020/12/25@ポレポレ東中野

ベトナム戦争に日本は「参戦」していた。本作品はそれを暴いてみせる。

JR横浜線の相模原駅北口に米国陸軍相模総合補給敞が広がる。ベトナム戦争で破損した米軍と南ベトナム軍の戦車が戦地から横浜まで船で運ばれ、そこからトレーラーに乗せられて相模総合補給敞に搬入された。ここには3500人の日本人が戦車の修理に携わっていた。戦車には人肉が絡みついたものもあったという。修理を終えた戦車は逆のルートで再び戦場に投入されるのだ。それを阻止しようと1972年8月から9月にかけて、相模総合補給敞のメインゲート、通称西門から延びる西門通りに多くの人びとが集まってきた。社会党、共産党、新左翼セクトや市民団体がテントをはって陣取り、さながらテント村の様相を呈した。手を焼いた日本政府は政令を改正までして戦車トレーラーの通行を根拠づけた。そして、機動隊が西門通りを占拠している数千もの人びとを強制排除したのである。

当時の参加者、研究者、近隣住民、機動隊員らの証言に映像が織り込まれて、この「戦車闘争」が有機的に再現される。

ちなみに研究者の一人として登場する栗田尚弥・國學院大學講師は私の大学院時代の大先輩である。ラストで栗田先輩が「こんなカネにならないこと研究して」と愚痴るシーンが秀逸だった。


#406『国葬』(蘭リトアニア・2019)

2020/12/6@シアター・イメージフォーラム

1953年3月5日にスターリンが死去した。リトアニアで発見された大量の未公開アーカイブフィルムが編集されて、その国葬の様子がいま明らかにされた。冒頭、スターリンの棺が葬儀会場に運びこまれ、棺の蓋があけられスターリンの亡骸がカラーで映し出される。この迫力にまず圧倒される。国内外から多くの弔問者が訪れ、スターリンを一瞥する。あるいは、スターリンの死去を伝える放送がソ連全土に流される。まるで玉音放送だ。彼らがみせる涙はとても「やらせ」にはみえない。スターリンは数千万に及ぶソ連国民を死に追いやった張本人だったにもかかわらず。事実の徹底的な隠蔽と巧妙なマインドコントロールの結果だろう。これもどこぞの国に似ている。

後半はスターリンの遺体が葬儀会場からレーニン廟に安置されるまでが克明に映し出される。いまもレーニン廟正面には「レーニン」との碑文が掲げられているが、当時は「レーニン」の下に「スターリン」との文字も刻まれていたことを知った(1956年のスターリン批判を受けてスターリンの遺体は1961年に撤去される)。スターリンの死直後(あるいは危篤情報があって直前に?)急遽つくったのだろう。レーニン廟の壇上にソ連首脳が勢ぞろいする。フルシチョフが司会で、マレンコフ、ベリヤ、モロトフの順に追悼演説をする。彼らの肉声を聞くことができた。その後フルシチョフが、マレンコフがスターリンの後継としてソ連閣僚会議議長(首相に相当)に就くことを表明する。

一方で、スターリンについてこのフィルム映像では一貫して「ソ連共産党中央委員会書記」となっている。なぜ「書記長」とよんでいないのだろう。スターリンの後継書記長が決まらず、書記長といってしまうとでは次はだれかと説明を求められるため、あえて書記にとどめたのだろうか。加えて、式典のBGMは葬送行進曲で、ソ連国歌も「インターナショナル」も演奏されていなかったのは意外だった。聞きたかったなあ(*^_^*)


#405『滑走路』(日・2020)

2020/11/29@シアタス調布

32歳で自死した歌人・萩原慎一郎の「歌集 滑走路」にモチーフを得たフィクション映画。①学校内でのいじめ・ひきこもり、②非正規雇用、③不妊という3つの重いテーマが、時制の交錯をともなって並行的に進んでいく。3つのストーリーが関連するものだと思いこんで観てしまったので、ストーリー展開が腑に落ちない箇所がいくつかあった。回収されていない伏線があるのではないかと観おわって不全感を抱いた。あとでユーザーレビューを観たら必ずしも関連づけられていない作品だったことがわかって、何を観ていたのだと恥じる。①では中学生たちの演技のうまさが光っていた。かつて日曜日の午後にNHKで「中学生日記」というドラマがあった。それを思い出した。②では厚生労働省の若手官僚たちの長時間労働ぶり、仕事にかかる重圧がよく描かれていた。③ではラスト近くになってまんまと「裏切られた」。ラストシーンでは①に戻って男男子生徒と女子生徒が抱きしめ合う青春映画の締め方をする。上空には飛行機が飛んでいる。エンドロールが終わると、萩原慎一郎の一首
 「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」

が映し出される。


#404『彼女は夢で踊る』(日・2019)

2020/11/11@新宿武蔵野館

住んでいる集合住宅が午前中全戸停電・断水の日なので、ちょうどいいとばかりに映画を観に出かける。舞台は広島第一劇場という老舗のストリップ劇場である。それが閉館の日を迎えることになった。「昭和は遠くなりにけり」というわけだ。その社長・木下(加藤雅也)がなぜここに勤めることになったか。若き日に彼は失恋に打ちひしがれてはじめて劇場に入る。たまたまそのときの踊り子・サラ(岡村いずみ)のショーに心を奪われ、舞台と客席の一体感に感動する。劇場が繁盛していたこともあって、彼はそこに雇ってもらえることになった。個性的な客への対応や踊り子たちとの楽しい語らいは、彼の宝物であり仕事へのプライドだった。

踊り子たちは日本全国の劇場を回ってショーを演じるいわば旅芸人だ。そういえば、『生きてうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(#224)の主演の倍賞美津子もその役だった。サラも必ず広島に回ってきていた。しかし、あるときからふっつり来なくなってしまった。

映画は現在と過去を行きつ戻りつする。社長はサラへの思いを断ち切れず独身のままだった。夢にサラがメロディーと名乗って何度も出てくる。夢で踊っているのだ。ラストは閉館日の最後の公演がはねた無人の劇場内。木下はひとり舞台の前盆に上がり、サラから「あなたはこの仕事が好きなのよ」という天の声を聞く。そして、閉館撤回を決意する。

切ないシーンの連続だが、涙は出ない程度に抑えられているのがニクイ。昭和の雰囲気そのままの広島の歓楽街・流川の映像もいい。劇場の舞台裏も興味深い。照明係は踊り子に叱られて腕を上げる、言い換えれば、踊り子はそれくらいプロ意識をもって舞っているのだ。さりげなくトイレが男女別になっているのも映し出されている。これは珍しいようだ。

#403『キーパー ある兵士の奇跡』(英独・2018)

2020/11/1@新宿ピカデリー

妻と観に行く。第二次大戦末期英軍の捕虜となったあるドイツ兵(トラウトマン)が、収容所でサッカーのPKでキーパーをつとめるから、全員がゴールを割れなかったらたばこを寄越せと仲間内で賭けをする。トラウトマンは見事にセーブしてたばこをせしめる。これをたまたまみていたサッカーチームのオーナーがトラウトマンをスカウトする。次の試合を落とせばチームは降格するのだった。収容所からピッチに立ったトラウトマンはみごとなセービングでチームの勝利に貢献する。彼の活躍は一部リーグのマンチェスター・シティの首脳陣の知るところとなり、彼は入団を果たす。その記者会見で記者たちはドイツ人トラウトマンの軍歴に執拗な質問を浴びせる。クラブはユダヤ人ラビが年間予約席をキャンセルするなど経営上の危機に立たされる。しかし、トラウトマンの実力はやがて周囲の目を変えさせる。ついにマンチェスター・シティは決勝戦を制する。だた、これでめでたし、めでたしとならないところがこの映画の醍醐味だろう。

トラウトマンには4年間の従軍中に生涯の十字架を背負ってしまっていた。ドイツ兵がサッカーボールを取りに来た少年を射殺するのを止められなかったのだ。自分がその少年を殺したとの強い自責の念を持ち続けていた。先のオーナーの娘マーガレットと結婚したトラウトマンは、妻に打ち明けようと病院から電話をかける。決勝戦で彼は頸椎に大けがを負っていた。電話の近くに息子がいては話しづらい。ちょうど息子がアイスクリームをねだったので買いに行かせる。ところが、電話の最中に息子は車に轢かれて亡くなってしまうのだ。この瞬間には声を上げてしまった。夫婦の関係は冷え込む。トラウトマンはあのとき少年を救えなかった罰が当たった、自分のせいだとマーガレットに懺悔する。因果応報だと。マーガレットは自分だけ苦しめばいいと思っているのかと言い返す。

トラウトマンを立ち直らせたのは、射殺された少年の小さな遺品だった。トラウトマンが忘れまいと預かっていたものが収容所の看守の手に渡っていた。息子の墓参りに行ったトラウトマンが、ドイツ軍の空襲で家族を失った元看守と墓地でばったり出会う。二人は取っ組み合いのけんかをするが、最後にその遺品がトラウトマンに戻される。ピッチに戻ったトラウトマンは選手として大成功を収めてイギリスからもドイツからも顕彰される。

最初はコミカルな軽いノリで笑いながら観ていたが、後半に入ると次第に重苦しい気分になっていく。正義を為さなければ必ず報いがくるのだと。

#402『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』(日・2020)

2020/10/23@ユーロスペース

妻と観に行く。まさに不明を恥じた。人口340万の南米の小国ウルグアイにこんなすごい大統領がいたのか。極左ゲリラとして軍事独裁政権と闘い、獄中12年を生き抜いた経験の持ち主で、妻は闘争の同志である。釈放時には「何世代か先には必ず社会主義を実現する」と語っていた。首都モンテビデオ郊外で花作りを生業にし、移民の日本人から菊作りを学んだ。ところが政界入りするや、あれよあれよという間に大統領に上り詰めた。ウルグアイの生活水準は南米ではチリに次いで安定しているといわれる。ウルグアイが世界ではじめて大麻を合法化したのは、ムヒカが大統領時代のことだ。

2012年6月にリオデジャネイロでRio+20 地球サミット2012 (国連持続可能な開発会議)が開催された。ムヒカのそこでの演説が世界中の人々の心を揺さぶった。だれも知らなかった小国の大統領の名が一躍世界にとどろいた。

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

それ以来、ムヒカには講演の依頼が世界から殺到する。そして日本にも2016年4月にやってくる。ラスト近くで、東京外国語大学での講演と学生たちとの質疑応答のシーンがある。ムヒカは日本の若者の投票率は30%だときいて驚いたと話しかける。そして、変えるためには行動しなければならないと諭す。涙を流しながらきいている女子学生の姿が印象的だった。また、広島にも足を運ぶ。日本にきて広島を訪れないのは侮辱だとその理由を答える。

ムヒカはいまも農地を耕しながら質素に妻と暮らしている。

よい政治が可能なサイズにはやはり限界があるのか、小国でないとgood governanceは無理なのかと考えさせられた。


#401『ヨコハマメリー』(日・2005)

2020/10/2@アップリンク渋谷

映画封切り15周年のリバイバル上映である。

第二次大戦後の日本で、進駐軍兵士を相手にした街娼はパンパンとよばれた。横浜・伊勢佐木町に顔を白く塗ったパンパンが立っていた。その化粧からいやがおうにも目立つ。やがて「ハマのメリー」として、地域に知らない人はいない存在になる。しかし、50年立ち続けた彼女は1995年冬に姿を見せなくなってしまう。彼女と付き合いのあった人々のインタビューを通して、彼女の人となりのみならず、戦後の混乱期から高度成長へ向かう横浜・伊勢佐木町の猥雑さを浮き彫りにしていくドキュメンタリー。少子高齢化の人口減少社会のいまからみれば、当時のまぶしいばかりのエネルギーを証言の端々に感じた。映画の最初と最後に流れる渚ようこが歌う「伊勢佐木町ブルース」がいい。

メリーはどこに行ったのか。年の離れた親友の永登元次郎がメリーの故郷にある高齢者施設に入所させたと明らかにする。シャンソン歌手である永登はがんに襲われながらもステージに立つ。そのシーンも挿入される(残念ながら永登は映画が完成する前年に死去)。

ラストは永登がディーゼルカーに乗って、山間の高齢者施設を訪れそこで歌うシーン。なんてうまいんだ、歌い終わって、これでエンドだなと思った瞬間に、カメラが聴衆に振られてある老女に「メリー」という字幕が出る。えっ、ここで存命だったのか! これには驚いた。ドキュメンタリーだからどんでん返しなどないと決めてかかっていた。本名でひっそり暮らしているという。


#400『ミッドナイトスワン』(日・2020)

2020/9/30@TOHOシネマズ府中

SMAPの草彅剛が、身体的な性は男性であり性自認は女性であるトランスジェンダー役を見事にこなす。そのはまり具合はすごいの一言に尽きる。

草彅演じる凪沙(なぎさ)は新宿のニューハーフショークラブで働いている。珍奇なものでもみるような客たちの視線に決して心は満たされない。そんな日常の中、いとこの子どもである中学生の一果(いちか)を広島から預かることになる。彼女は親から養育を放棄されたのだった。暗い影を引きずる一果は実はバレエの天才だった。バレエ教室の教師からそれを教えられた凪沙は一果を生きがいにしていく。ところが、一果はそれを負担に感じて荒れる。やがて広島から母親から一果を迎えに来る。凪沙は性転換手術を受けるためタイに渡る。心身ともに女になった凪沙は一果を引き取りに広島へ向かう。しかし、母親たちにけんもほろろに追い返されてしまう。一果は中学を卒業したあと、奨学金の取れたアメリカのバレエ学校に入ることになった。その途次、東京で凪沙のアパートを訪れる。凪沙は予後が悪く寝たきり状態で、おむつは血に染まっていた。凪沙のたっての願いで翌日二人は海を見に行く。砂浜で一果は凪沙のためにバレエを舞う。

一果役の服部樹咲は本物のトップバレリーナである。オーデションで抜擢された。バレエはもちろん演技も新人離れしている。

笑えるシーンは一つもない。わずかに心和むシーンが織り込まれるが、全体的に尖った作品である。トランスジェンダーと養育放棄された少女というマイノリティの組み合わせからしてそれは自然で、切なさに胸打たれる。


#399『はりぼて』(日・2020)

2020/9/1@渋谷ユーロライブ

2016年に発覚した富山市議会議員の政務活動費の不正受給問題。大物市議14人が次々に辞職に追い込まれた。架空領収書の作成、領収書に記載された数字の改ざん、カラ出張など単純な手口で公金を横領していた。富山のチューリップテレビの記者たちが「正々報道」を合い言葉に当事者に取材して、工作が暴かれていく過程をドキュメンタリーである。前のシーンではふんぞり返っていた議員が、発覚後はしおらしく頭を下げるはりぼてぶりには失笑するばかりだった。土下座までして再選を果たした長老議員もいた。

ここまでは痛快だったのだが、ラストが近づくにつれて陰鬱な気分になっていく。最前線で取材していた記者が現場をはずされ、メーンキャスターは辞職を決意する。職場に貼られていた「正々報道」のポスターもはがされる。本当のはりぼては政治の圧力に屈したテレビ局上層部ではないのか。


#398『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(ポーランド/英/ウクライナ・2019)

2020/8/23@新宿武蔵野館

開巻直後に豚が群れているシーン、そして作家とおぼしき中年男性がタイプライターに向かっている。これオーウェルの『動物農場』だろ!と血が騒ぐ。原題は“Mr.Jones”。これを邦題にしては絶対に見向きもされない。しかし、“Mr.Jones”は『動物農場』で動物たちに追い出される荘園主なのだ。本作の主人公の姓とかけているのだ。オーウェルは『動物農場』で社会主義を僭称するスターリン体制の実態を童話形式で描いた。本作品はイギリスのフリーランス記者Mr.Jonesが1930年代のソ連に潜入して、ソ連のプロパガンダの嘘を暴くのだ。ウクライナの大飢饉ホドロモールの現場に足を踏み入れる。ある子どもたちだけの家で供されたスープに肉が入っていた。Mr.Jonesは何の肉かと料理した女の子に尋ねる。彼女は「兄のコーリャだよ」と答える。Mr.Jonesにはすぐにその意味がわからない。ドアをあけると少年の死体が横たわっていた。Mr.Jonesは必死に飲み込んだものを吐き出す。

しかし、国際世論はソ連のプロパガンダを鵜呑みにして、Mr.Jonesを打ち消す。『ニューヨーク・タイムズ』紙のモスクワ支局長ウォルター・デュランティは、その筆頭だった。彼はソ連の五カ年計画を讃えて、1932年にピューリッツァー賞を受賞していた。それはいまも取り消されていない。

イギリスに帰ったMr.Jonesはウクライナの惨状を講演で訴える。しかし、徴収は半信半疑の反応だった。そこにオーウェルもいたという設定になっている。そのオーウェルすらMr.Jonesの告発を完全には信じなかった。Mr.Jonesはジャーナリストとしての信用を失い、故郷のウェールズに帰る。そこにアメリカの新聞王ハーストが滞在するとのニュースを知り、滞在先に潜り込んで食事中のハーストに直訴する。ハーストは信憑性があると判断して、Mr.Jonesの記事を掲載する。Mr.Jonesの名誉は回復された。その後、彼は満州取材中に何者かに暗殺されたと、最後のロールスーパーで流れる。まだ30歳だった。

要所要所に『動物農場』の文章が挿入される。モチーフは『動物農場』にあったのだ。ただ、「冷たい大地」の悲惨さは『動物農場』を想像を絶するほどに上回っていた。

#397『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(日・2019)

2020/8/15@K’sシネマ

まさにふさわしい日に観たと思う。沖縄は本土決戦に備えての時間稼ぎの捨て石にされた。その尊い犠牲者の氏名が糸満市の平和祈念公園にある平和の礎(いしじ)に刻まれている。彼ら一人ひとりの身の上に、何が起こったのか。字面だけは知っているが、実際の現場で何が起こったかまでは想像が働かないことは多い。

たとえば、「集団自決」はどのようにして行われたのか。後者について、知花昌一元読谷村議がチビチリガマの「集団自決」の様子を詳細に語る。

投降をよびかける米軍に対して、壕に避難した人びとはその甘言に乗せられて外へ出れば、男はブルドーザーで轢き殺され、女は強姦されると信じて疑わなかった。米兵に犯されるくらいならいっそ殺してと娘が母親に迫る。母親はついに意を決して娘の頸動脈を刃物で切る。動脈であるから血が勢いよくほとばしる。とはいえ、人間は簡単には死なない。身もだえ苦しむ。こんな阿鼻叫喚の世界が壕のそこここに現出していたのだ。親が子に手をかけるなど狂気の沙汰だが、当時の教育がこれを可能にした。知花元村議は言う。これは「集団自決」ではなく「集団強制死」だと。

あるいは、子どもを連れて別の防空壕に避難した母親に、日本兵は子どもがうるさいから殺せと母親に命じたという。その母親はどうしたか。考えたくないと思っていると、そこで映像は切り替わって、結果は観ている者に問いかけられる。

教育、いや洗脳の怖さを圧倒的な迫力で教えてくれる。日米問わずむごたらしい死体の映像の数々、対照的に米軍の「甘言」に従って生き残った子どもたちがみせるまぶしい笑顔。それらをまとめる宝田明のナレーションには、万感胸に迫るものがある。 


#396『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』(日・2020)

2020/8/9@ポレポレ東中野

中国残留孤児と言われればなんとなくイメージがわく。ところが、フィリピンにもあまたの残留邦人がいるのだ。戦前に多くの日本人がフィリピンに渡ってマニラ麻などのビジネスに従事して、フィリピン人女性と結婚した。両者の間で生まれた子どもたちは戦争で両親を失い「無国籍者」となった。より正確には「無国籍者」としてさえ認定されない存在になってしまった。彼らをこの窮境から救って日本国籍を与えよう(「就籍」という)と、NGOや河合弘之弁護士が証拠集めに奔走する。それらを日本各地の家庭裁判所に届け出て、一人また一人とようやく日本国籍が認められていく。すでに90歳代になった老女がその証明書をみてうれしがる様子には目が潤んだ。

中国残留孤児も決して過去の問題ではないことを本作品から痛感した。彼らの身元が判明して日本に転居したときには、彼らは40歳代から50歳代になっていた。日本語を習得するのは困難で、そのため就職難や差別にさらされる。中国では「日本鬼子(リーベングイズ)」と蔑まれ、日本では「中国人」とそしられる。最後は生活保護で屈辱的な生活に甘んじるほかなかった。そこで彼らを原告として、国に「早期実現義務違反」と「自立支援義務違反」を認めさせ国家賠償を求める裁判が起こされる。大阪地裁では敗訴、神戸地裁では勝訴、しかし東京地裁では敗訴。当時は第一次安倍政権で、彼らは与党国会議員に解決を働きかける。自民党の野田毅衆院議員が中心となって議員立法の制定作業が進められ、2007年に改正中国残留邦人等支援法が成立する。

訴訟が政治を動かし、政策実現に至ったのだ。こうした訴訟を「政策形成訴訟」とよぶのだと学んだ。

「遅くともやらないよりまし」ということばがある。それにしても、敗戦時に取られた棄民政策(外地在留邦人は現地に「定着させる」)のツケ払いに、なぜこんなにも時間がかかるのか。国家は問題の解決ではなく消滅を望んでいるとの河合弁護士の言葉が耳に強く残った。


#395『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/私の若草物語』(米・2019)

2020/8/1@TOHOシネマズ日比谷

ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』(1868)に現代風のアレンジを加えて映画化したもの。次女で作家志望のジョーが主人公なのだが、長女メグ、三女ベス、四女エイミーもそれぞれ重要な役どころを演じていて、頭が混乱した。『若草物語』とはそうした小説なのだ。しかも倒叙法が盛んに用いられ現在と過去の往復に忙しくて、これは過去なのかいまなのかとこれまた頭が疲れた。

時代は南北戦争期で、女性の幸せは結婚にかかっていた。しかし、ジョーはそれを受け入れず、筆一本で人生を生き抜こうと決意する。タイプライターはまだないので、原稿はすべて手書きだ。出版社に持ち込んだ『若草物語』が没になりかけたところで、その経営者の孫たちが捨てられた原稿を読んで続きを読みたいといって、『若草物語』は息を吹き返す。ラストはその製本シーンだ。ジョーの努力が結実する過程が、職人が一冊一冊を手作業で仕上げる当時の製本技術だからこそリアルに迫ってくる。

とはいえ、なんなんだろうこのそこはかとない既視感は。観おえてこの作品について確認すると(なんの予習もなく作品を観るのが私のポリシーです(*^_^*))、監督グレダ・ガーヴィックとジョー役のシアーシャ・ローナンは、『レディ・バード』(2017・#301)と同じ組み合わせだった。しかも、ジョーに心を寄せる「ご近所」のローリー役はティモシー・シャラメだ。この二人は『レディ・バード』でも恋仲になっていた。しかもシャラメは先週見た『レイニー・デイ・イン・ニューヨーク』の主人公ではないか! 長女メグはエマ・ワトソンだし、メリル・ストリープも出てくるし。エマ・ワトソンはやっぱりきれいだな。

#394『レイニー・デイ・イン・ニューヨーク』(米・2019)

2020/7/24@新宿ピカデリー

ハラハラドキドキの楽しい映画だった。いなかの大学生カップル・ギャツビー(ティモシー・シャラメ)とアシュレー(エル・ファニング)がデートを楽しみにニューヨークに向かう。ギャツビーは元ニューヨーカーでアイビーリーグの大学に入ったがなじめずに、いまの大学に入り直したのだった。一方、アシュレーはアラバマ出身なので、ギャツビーはいいところをみせようとニューヨークでのデートの計画をはりきって立てる。ところが、アシュレーが次々にハプニングに巻き込まれて、計画はどんどんキャンセルされていく。一人ぼっちになってしまったギャツビーは、街でいやな昔の仲間に会ってしまうばかりか、最もいやがっていたハイソ好みの母親のパーティーにも出席する羽目になる。そこで、母親の忌まわしい過去を本人から聞かされ、母親を見直す。

一方、アシュレーは大スターの俳優に声をかけられ、その俳優の自宅にまで行ってしまう。ソファで俳優が着替えるのを待ちながら「ベッドに誘われるわ」とワクワクする。案の定その声がかかり求められると、あっという間にかわいい下着姿になってしまう。ところがその瞬間!(あとは観てください(*^_^*))。

不思議な糸に導かれるように、二人は雨のニューヨークで不思議な1日を別々に過ごす。翌朝帰りのバスの時刻まで、二人は馬車で公園の散策を楽しむ。突然ギャツビーは馬車を止めて降りる。ニューヨークにとどまろうと意を決したのだった。

予定調和を次々に裏切ってくれる脚本の妙を堪能した。エル・ファニングが、都会に憧れるいなかの女子学生をうまく愛くるしく演じている。

 

#393『ライド・ライク・ア・ガール』(豪・2019)

2020/7/19@TOHOシネマズ府中

オーストラリアで最も有名な競馬レースのメルボルン・カップで優勝した初の女性ジョッキーはミシェル・ペインである(2015年)。その少女時代からレース優勝までを描く。いい映画なのだが、結末がはっきりわかっているだけにどうなるんだろうという「手に汗握る」感がいまひとつ沸いてこなかった。とはいえ、各シーンの臨場感はそれこそ「半端ない」ので、もし競馬に詳しかったらのめりこめたのかもしれない。

競馬一家の10人きょうだいの末っ子として生まれたミシェル(テリーサ・パーマー)は生後まもなく母親を失う。調教師である父に育てられて、兄姉たちと同じように騎手になることを目ざす。姉の一人も落馬により失う。本人も落馬によって騎手生命を危うくする大事故に見舞われる。斜行による騎乗停止処分という屈辱も味わう。数日で3キロ減量の過酷な試練も乗り越える。なにより女性ジョッキーゆえに蔑視されセクハラにもさらされる。ダウン症で厩務員の兄は本人が演じているが、好演していてプロの俳優かと見まがうほどだった。また、ミシェルの父親役のサム・ニールの渋い演技がかっこいい。こんなオヤジに憧れる。

エンドロールでミシェルの生涯成績が紹介される。騎乗回数は3000回を超える。これがプロというものだ。そして量が質へ転化するのだと肝に銘じた。あと、タイトルは原題のとおりだが、その意味を説明する台詞のやりとりはなかったような。

#392『マルモイ ことばあつめ』(韓国・2019)

2020/7/12@シネマート新宿

日本の植民地下にあった朝鮮半島では、日本の朝鮮統治機関である韓国統監府が朝鮮人の創氏改名を推し進め、公的機関や学校での日本語の使用・普及を強行した。母語を奪うことで皇民化を完遂しようとしたのだ。

映画の舞台は1940年代の京城(日帝時代のソウルの旧称)である。母語を失うことは民族の魂を奪われることだ。こうした強い危機感を抱いた朝鮮語学会会長リュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)は朝鮮語の標準語辞典をつくることを決意し、「ことばあつめ」に奔走する。その過程が描かれる。とはいえ、主人公は彼ではなく、無学で字が読めないスリ常習犯のキム・パンス(ユ・ヘジン;『タクシー運転手』『1987』でおなじみ!)である。パンスはジョンファンのかばんを盗もうとしたことがきっかけで、ジョンファンの仕事を手伝うことになる。その中でハングルを覚えていく。パンスは妻に先立たれて、中学1年生の息子と7歳の娘がいる。息子が日本語で授業を受け、創氏改名された日本人名でよばれていることに憤りを募らせる。

辞典編纂の作業は官憲の度重なる弾圧から進まない。それどころか朝鮮語学会が親日的学会であることを誓約しなければ解散させると申し渡される。悩んだ会長のジョンファンはその条件をのむ。しかし、それは面従腹背の作戦であり、辞典づくりはパンスの協力を得て、映画がはねたあとの映画館を会場にひそかに進められていく。官憲はそれを察知して、ジョンファンとパンスを追いつめる。ジョンファンは辞典の原稿がはいったかばんをパンスに託して、自分はおとりになる。ジョンファンも追いつめられだれが住人ともわからぬ建物の窓をやっとこじあけて、かばんを投げ入れる。その後パンスは撃たれて絶命する。一方、ジョンファンは獄中を生き抜き日本の敗戦を迎える。かばんがみつかり、ジョンファンは辞典を完成させる。1947年、それをパンスの子どもたち(長男は小学校の先生になっていた)に届ける。そこには、パンスが必死で覚えたハングルで書かれた子どもたちへの手紙が挟まれていた。最も泣けるシーンだ。

インテリと前科者という対照的な二人が辞典づくりを通して友情を深めていく。このプロットは『タクシー運転手』と共通している。

英語至上主義がはびこるいまの日本への警鐘だと強く思った。

#391『なぜ君は総理大臣になれないのか』(日・2020) 

2020/7/4@立川シネマシティ シネマ・ワン 

妻と観に行く。いまは立憲民主党の会派にいる小川淳也衆院議員の初出馬(落選)から当選5回までを記録したドキュメンタリー。当選5回といえば地盤の安定した中堅議員と思ってしまう。しかし、小川は小選挙区で当選したことは民主党政権を実現させた2009年総選挙の一度だけで、あとはすべて比例復活当選である。映画の中で小川は何度も「選挙区で勝たなければ発言力が弱い」と繰り返す。同じバッジを付けていても、復活当選組は一段低くみられていることが実感できた。映画のタイトルへの答えはずばり小選挙区で勝てないからだ。 

2017年総選挙で、小川は悩みに悩んだ末に希望の党の「踏み絵」を踏んで同党公認で立候補する。選挙運動期間中、有権者から「立憲民主党から出ればよかったのに」と握手を拒否されたり、「安保法制反対と言ってたろ」と批判されたりと逆風にさらされる。20歳と19歳になっていた娘たちは「娘です。」とのたすきをかけて、必至に父親を応援する。かいがいしいとはこのことだ。結果は惜敗しての復活当選。選挙区で勝っていれば野党共闘に向けてリーダーシップを取れたのにと小川は肩を落とす。 

スシローこと田﨑史郎は小川を評価していて、二人に秘書たちを交えて会食するシーンもある(寿司は食べていなかった)。ラスト近くで高松の自宅(借家)で、小川が妻の用意した油揚げを食べ方について説明しながら、うまそうに食べるシーンがいい。彼の15年以上にわたる政治家生活をみて、改めて政治家とは何かを「もっている」というより、何かが「壊れている」人でないと続けられない職業だとの認識を強めた。 

 

#390『コリーニ事件』(独・2019) 

2020/6/28@新宿武蔵野館 

妻と観に行く。2001年ベルリンの高級ホテルで、大企業の重役マイヤーが惨殺される。犯人は在独30年以上のイタリア人コリーニだった。新人弁護士でトルコ出身のライネンが国選弁護人として彼の弁護に当たることになる。実はライネンにとって、マイヤーは親同然に自分を育ててくれた大の恩人だった。その葛藤に苦しみながらも、ライネンは弁護士の職務に打ち込もうとする。しかし、接見に何度行ってもコリーニは黙秘を続ける。ついにしびれを切らしたライネンが形式的な手続きを進めるだけだと捨て台詞を吐くと、コリーニは「親は健在か」とはじめて口を開く。これを機に物語は急展開する。 

実はマイヤーはナチスの元親衛隊(SS)員で、イタリア在任中にコリーニの目の前で彼の父親を射殺していた。コリーニはその報復が終生の目標だった。しかし、西ドイツではアデナウアー政権時代に旧ナチ党員の犯罪を追及しない法律が制定されていた。しかも、その作業に携わった若き法曹がいまマイヤーの代理人として原告席に座っている。彼は刑法の大家となっていた。 

ライネンはそれがいかに悪法であり、いまの国際法からすればマイヤーの行為は戦争犯罪だとその大家に執拗に迫る。ついに彼はそれを認め、コリーニには温情的は判決が言い渡されるだろうと予感させる。 

ところが、その夜にコリーニは拘置所内で自殺するのだ。こういうどんでん返しが用意されていたのか。映画の醍醐味を堪能した。そして、コリーニの葬儀のあとのラストシーンがとてもいい! 


#389『レザボア・ドッグス』(米・1991)

2020/6/20 DVD鑑賞@自宅

「悪童」と異名を取る異才クエンティン・タランティーノ監督の作品。

最初の8分くらいはギャングたちが、朝食をとりながらくだらない(とはいえけっこうおもしろい!)会話のやりとりが続く。ゆるさに油断していると、一転して過激なバイオレンスシーンの連続となり心の準備が追いつかない。彼らが宝石店に強盗に入ったところ、すでに警察に取り囲まれて銃撃戦となり、命からがら秘密のアジトに逃れる。うち一人の“オレンジ”(ティム・ロス;『パルプ・フィクション』(1994)では“パンプキン”を演じている)は腹部を打たれて瀕死の重傷を負っていた。彼らは「警察のイヌ」が紛れ込んでいたに違いないとにらむが、いったいだれなのか。

人質にとった若い警察官にそれを吐かせようとするが彼は「知らない」の一点張り。ギャングの一人が拷問にかけることに。鋭利なカミソリを取り出して自分のひげを少し剃ってみせる。そして、警察官の口をガムテープで塞ぐ。「やるな」と思っていたら、そのとおりギャングは警察官の右耳をそぎ落とす。次にガソリンをまいて警察官を焼き殺そうとする。

ガソリンにライターの火を近づけたその瞬間、銃声が響く。ギャングは蜂の巣になる。いったい何が起こったのだとあっけにとられる。上述の瀕死状態にあった“オレンジ”が撃ったのだった。実は彼こそ「警察のイヌ」、おとり捜査で一味に加わっていた警察官だとわかる。そこからは、タランティーノお得意の倒叙形式で、この警察官が“オレンジ”になるまでの経緯が展開される。

ラストはアジトをみつけた警察のパトカーのサイレンが聞こえる中、ギャングたちが仲間割れして撃ち合って倒れる壮絶なシーン。“オレンジ”が一命を取り留めたかどうかはわからない。

『パルプ・フィクション』を観たときも思ったが、この映画も「悪童」が意図していた裏テーマは、銃社会アメリカへの痛烈な批判なのではないか。

#388『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(日・2020)

2020/6/13@TOHOシネマズ府中

三島由紀夫は1970年11月に自衛隊にクーデタを呼びかけたあとに割腹自殺する。その前年5月に三島は東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会主催の「東大焚祭」に招かれ、全共闘の学生たちと討論する。会場となった1000人収容の教室は学生たちで埋まった。この討論会の模様はTBSがフィルムに収めていた。本作品ではその映像が、これに参加した当時の全共闘の学生たち、さらには三島が結成した民兵組織・楯の会のメンバーの追憶シーンと交錯・シンクロする。

学生たちが繰り出す観念的で高踏的な問いかけに対して、三島は深い教養と学識をもって、ときにユーモアを交えて誠実に答えていく。学生たちと三島の論戦でどちらに分があったかはわからなかった(とにかく抽象的!)。ただ、相手が学生だからといって、すでに大作家となっていた三島は見下した態度は決して取らない。これには深い感銘を覚えた。本物は本物だけに虚勢をはる必要がないから謙虚なのだ。上から目線で威張り散らす輩はニセモノだと改めて確信する。

また、楯の会のメンバーが本当に革命が起こるのではないかと思っていたと述懐するシーンがある。いまではとても想像できない時代だったのだと実感した。

翌年の行動を予言するような発言もある。三島は自分の発言には責任をもつ人物だったのだ。


#387『フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて』(英・2019)

2020/6/6@下高井戸シネマ

3か月近くぶりに劇場で観る。これぞ正しい映画鑑賞だと強く思う。座席は1席おきにしか座れないようになっていた。

さて、タイトルからわかるとおり漁師たちの歌の物語で、実話をもとにしている。日本で漁師歌といえば、鳥羽一郎の「兄弟船」など演歌しか思いつかない。一方、イギリス・コーンウォール地方の港町の漁師たちは10人で野太いハーモニーのコーラスを歌っていた。たまたま観光でそこを訪れていた音楽マネージャーのダニー(ダニエル・メイズ)が偶然その場面に出くわして、「売れる」と直感する。よそ者を警戒する彼らをなんとか口説いてロンドンのレコード会社へ連れ出すところまでこぎつけるが、そんな簡単にはいかない。やっと、女王の誕生日にイギリス国歌を現地で歌うテレビ契約を取る。その当日、現地からの中継で、画面にはとても国歌を歌うにはふさわしくないラフな格好の10人が映し出される。しかも国歌ではなく地元の歌(country song)を歌ってみせるのだ。局側はあわてふためくが、生中継なので手の施しようがない。当然ダニーは干される。ところが、この歌はYou Tubeで記録的な閲覧回数をたたき出し、レコード会社は彼らをメジャーデビューさせることになる。その結果、ヒットチャート9位の大ヒットを達成する。

以上がメインストーリーとすれば、サブストーリーとしてダニーは、彼が宿泊するB&Bを経営するシングルマザーのオーウェン(タペンス・ミドルトン)と音楽を通じて親密な関係になっていくラブストーリーが効いている。起伏があっておもしろい。
そして最後はメインとサブを合わせたこれぞ正しいラストシーンという終わり方。やっぱりこうきたかとにんまりした。現地のパブが随所に映し出される。イギリスのパブでぬるいビタービールをまた飲みたくなった! 


#386『弁護人』(韓国・2013)

2020/5/26無料動画サービスGYAO!@自宅

『タクシー運転手』『パラサイト』ですっかりおなじみの韓国の至宝ソン・ガンホの主演作品。ソン・ガンホの魅力をたっぷり楽しめた。

高卒ながら裁判官となったソン・ウンソク(ソン・ガンホ)は、その薄給から弁護士に転じて大成功し、ヨットまでもつ金満弁護士になる。かつて世話になった食堂の息子パク・ジヌ(イム・シアン)が国家保安法違反の濡れ衣を着せられ、拷問の末「自白」する。全斗煥政権時代の当時、光州事件の二の舞を未然に防ごうと政権は国家保安法違反事件をでっち上げて、国民の思想統制を図っていた。パク・ジヌは学校に通えない貧しい少女たちを集めて、E.H.カー『歴史とは何か』などの読書会を開いていただけだった。

学生運動を蔑視していたソン・ウンソクだったが、大恩人であるパク・ジヌの母親から弁護を頼まれ引き受ける。金にしか関心がなかった彼は次第に当局の非道ぶり・無法ぶりに義憤を抱き、弁護活動に専心するようになる。人権派弁護士へと転じていくのだ。

当時は裁判所も国策機関であり、裁判官・検察官・弁護士が事前に落としどころを協議してから開廷するという「しきたり」だった。この壁に正義の実現を阻まれそうになったソン・ウンソクに幸運が訪れる。拷問時にパク・ジヌの治療に当たった軍医が出廷するという。軍医はクリスチャンで韓国版特高の拷問を見たままに証言する。これで大逆転かと思いきや、軍医が正規の手続きで出廷のための休暇を取っていないことが「判明」して、ソン・ウンソクの追及は中途半端に終わってしまう。懲役2年で手を打つことになり、くだんの食堂でソン・ウンソクはパク・ジヌの母親が心を込めてつくった料理を泣きながら口に運ぶ。

実はソン・ウンソクは盧武鉉元大統領に仮託した存在である。

重大な治安事件でも単独法廷であることに驚いた。また、傍聴席にいた特高が検察官にメモを渡すシーンもあるが、これも日本では、というかいまの韓国でも、考えられない。そして、目を閉じたくなる拷問シーン。これが国家の本質だと目を見開いた。


#385『ウディ・アレンのザ・フロント』(米・1976)

2020/5/20 DVD鑑賞@自宅

アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされたウディ・アレンが、赤狩り時代のアメリカの映画界・テレビ界を笑いのめしてくれる。劇場未公開作品。

しがないレストランのレジ係で無聊をかこっていたプリンス(アレン)の元に、旧友から電話が入る。会いに行くと、脚本家の彼から赤狩りでブラックリストに載せられ仕事を失ったと打ち明けられる。プリンスの名前を借りて脚本を書きたいという。これを「フロント」という。実はプリンスはノミ行為であちこちに多額の借金を抱えていた。報酬の10%はプリンスに入る。プリンスはすぐにこれに飛びつく。その友人のテレビドラマ用の脚本はすばらしく、プリンスはそれこそ時代の寵児に。華やかなテレビ界にちやほやされる。もっと実入りがほしくなったプリンスはさらに3人の「フロント」を買って出て、収入は4倍に。高級マンションに住むなど羽振りがいい。不審に思ったFBIが身辺調査に乗り出す。そして、ついにプリンスに下院非米活動委員会からサピーナ(罰則付召喚状)が届く。議員の質問をうまくはぐらかすが、最後は議会侮辱罪にあたる捨て台詞を残してその場をあとにする。刑務所に向かうプリンスを駅で支持者が励ますシーンでエンドとなる。

コロナ禍のいま、いつ収入が途絶えるか、職を失うかわからない。作品には、若いときに見初めた女性が参加したデモに出ただけでブラックリストに載せられ、出演を干された有名コメディアンが自殺するシーンもある。もちろん、合衆国憲法修正第1条(1791年成立)は言論・出版の自由を保障している。しかし、同調圧力の前には無力なのだ。いまなら自粛ポリスか。同じことが繰り返されている。

#384『伯爵夫人』(英米・1967)

2020/5/2 DVD鑑賞@自宅

チャップリンの遺作にして唯一のカラー作品。ただ、凡作との評価が一般的だ。観おえてそのとおりだと思わざるを得なかった。平板なラブコメディで、何をいいたいのかメッセージがまったく伝わってこない。マーロン・ブランドとソフィア・ローレンという大物俳優を配しているだけにかえって笑えない。

豪華客船が香港に停泊する。石油王で米サウジ大使に内定したオグデン(ブランド)が滞在する特別船室に、元ロシアの伯爵夫人でロシア革命により母国を追われ香港で娼婦に身をやつしているナターシャ(ローレン)が忍び込む。オグデンは寄港地に着くたびに(神戸と東京)ナターシャを下船させようとするがかなわず、ホノルルまで同乗する。夫婦仲の悪いオグデンは次第にナターシャに惹かれていく。もちろん、ナターシャはパスポートを持っていないので入国審査を受ければ強制送還される。オグデンは奇手を講じてそれを防ごうとする。それを横目に、ナターシャは船の甲板からダイブしてワイキキの海岸の泳ぎ着く(あり得ない!)。予想どおりホノルルのホテルで二人は再会を果たしてエンド。

船を舞台にストーリーは展開していく。チャップリンは1952年にニューヨークからロンドンに向かう船上で、事実上の国外追放に当たる再入国許可の撤回の知らせを受け取る。この船旅がモチーフにあるのかなあ。

#383『追憶』(米・1973)

2020/4/16 DVD鑑賞@自宅

映画音楽は知っていたが、作品をはじめて観る。やっぱりイケメンはいいよなあというのが俗っぽいが率直な感想。時代は第2次大戦中のアメリカ。大学の同級生で反戦活動に熱心ケイティ(バーブラ・ストライサンド)は、スポーツ万能でイケメンのハベル(ロバート・レッドフォード)に淡い恋心を寄せていた。ハベルには文才もあった。卒業後ケイティはジャーナリズムの道へ、ハベルは海軍へ。あるパーティー会場で二人は偶然の再会を果たす。酔い潰れたハベルはケイティのアパートメントへ。こうして二人の交際がはじまり結ばれる。ハベルの小説が認められ、映画化されることに。しかし、赤狩り旋風が吹き荒れるハリウッドでハベルの意思どおりの映画化は困難をきわめた。それに憤ったケイティはハリウッド・テン支援のためワシントンへ向かう。帰ってきたケイティを待っていたのは「アカ」という誹謗中傷だった。もはやかばいきれないとハベルは別れを決意する。ケイティは身重だったのだが。時が過ぎ、ケイティは原爆に反対する署名活動をしている。そこで、新しい妻を連れたハベルに出くわす。ケイティも再婚していた。すべての過去を飲み込んで二人は抱擁を交わす。ラストはもちろん「追憶」のメロディがきまる。

二人に限らず登場人物はみなワインやウイスキーをお茶のように飲んでいる。あんな酒浸りで仕事になるのだろうか。ケイティが睡眠薬2錠をワインで飲み下したシーンにはびっくりした。

「ハリウッド・テン」が字幕では「ハリウッドの10人」となっている。これでは何のことかわからないのではないか。

#382『光』(日・2017)

2020/4/19 DVD鑑賞@自宅

目が不自由な人の映画鑑賞のために、映画に音声ガイドを付ける仕事を美佐子(水崎綾女)はしている。それを制作する過程で目が不自由な人を何人か集めて試写をして講評を受ける。弱視の中森(永瀬正敏)もその一人だった。いつも辛辣な感想を述べる。もともと中森は著名なカメラマンだったが極度の弱視に陥り、拡大鏡でやっと文字を読んでいる。あるとき、中森が拡大鏡を壊してしまい、美佐子が上司に頼まれてそれを中森の住む集合住宅に届けることになる。美佐子が訪れたとき、ちょうど中森が買い物から帰ってきたところだった。拡大鏡を渡して去ろうとする美佐子に、中森が「お茶でも」といって中に招じ入れる。中森はやきそばを美佐子にふるまう。ここから二人の心の交流が深められていく。中森からもらった写真集にある夕陽の風景の写真は、美佐子の心を強く捉えた。美佐子は中森にそれを伝えて、二人で撮影地を訪れる。ついに視力を失ってしまった中森は「自分の心臓」とまで形容していた愛用のカメラを崖から投げ捨てる。感極まった美佐子は思わず中森に接吻する。ラストは美佐子が完成させた音声ガイドによる映画の上映会。中森も姿を見せる。ハッピーエンドのラブストーリーではなかった。

中年男性に部屋にあがるように誘われて、若い女性が易々とそれに従うかなあ。ほとんど視力を失った中森が白杖なしにあれほど街を歩き回れるのかなあ(ラスト近くになってようやく白杖を使って歩くシーンが出てくる)。腑に落ちないシーンがいくつかあった。

#381『シッコ』(米・2007)

2020/4/15 DVD鑑賞@自宅

新型コロナウイルスによる死者数で、瞬く間にアメリカが世界最多になった。アメリカの医療貧国ぶりを描いたこの映画を観て、それに納得がいった。アメリカは先進諸国で唯一国民皆保険制度を備えていない。冒頭の中指と薬指を切断した患者に、それぞれ指の接合にかかる医療費を提示して、どちらかを選ばせるシーンは有名だ。さらにみていくと、保険会社と契約していない患者の受診を断る病院、患者の既往症を細かく調べて保険金を支払わず肥え太る保険会社とそれに力を貸す医師たち、医療費を支払えなくなった患者をタクシーに乗せて路上に放置する病院などなど。医療崩壊以前に儲け第一で命を大切にしないかの国の制度の倒錯ぶりをたっぷり思い知らされる。昨年10月1日から今年2月1日までで、インフルエンザによる死者数が1万2000人から3万人と推定される国なのだ。

映画の後半、マイケル・ムーアとアメリカの医療に絶望した患者たちはキューバに渡る。グアンタナモ基地に収容されている囚人たちのほうがずっとましな医療を受けられているからだ。もちろん、グアンタナモ基地が彼らを受け入れるはずもなく、アメリカにとって不倶戴天の敵・キューバの医療の世話になる。無料で手厚い医療を施されて彼らが感激するパラドクスにとても笑えなかった。

#380『プリティ・ウーマン』(米・1990)

2020/4/12 DVD鑑賞@自宅

コロナ禍で自宅に蟄居する毎日。気分が沈みがちになるときは『ローマの休日』のようなラブ・コメディに限る。hookerに身を落としたヴィヴィアン(ジュリア・ロバーツ)が大富豪のエドワード(リチャード・ギア)に拾われて、「契約」の1週間で見違えるようなレディに生まれ変わる。オードリー主演の『マイ・フェア・レディ』を思い出しながら楽しく鑑賞できた。いまから30年前の映画。エドワードがかける携帯電話がばかでかいのに大笑いした。日本人がエドワードの宿泊する超高級ホテルの支配人と日本語で会話するシーンがある。背が低くてめがねをかけていて小太りで。これが日本人に対する当時のステレオタイプかと私の「右バネ」が反応した。


#379『馬三家からの手紙』(カナダ・2018)

2020/3/24@新宿K’s cinema

2012年10月にアメリカ・オレゴン州に住む女性が、ハロウィーン用の飾り物が入った段ボールを開けた。すると中から英語と中国語で書かれた手紙が出てきた。それは中国・遼寧省の馬三家(マサンジャ)という所にある労働教養所の入所者が、その非人道的な実態を告発する内容だった。女性は手紙を人権団体に送る。そして、これが全米で大きく報じられた。筆者はまもなく特定された。すでに出所していたのだった。これを知ったカナダ人映画監督が筆者に連絡をとり、撮影方法を手ほどきして現地の映像を撮らせる。加えて、筆者は入所していた労働教養所の様子をスケッチする。映画の中ではそれがアニメーション化され、拷問の場面などが再現される。筆者は何十通もの手紙を夜にベッドの中でこっそり書いている。あるときその1通が看守にみつかる。自分が書いたと口を割らせよう看守は何日にもわたって筆者を筆舌に尽くしがたい拷問にかける。しかし、筆者は沈黙を貫く。華奢な筆者のどこにそのような胆力が潜んでいたのか。

出所後も筆者は当局から様々な嫌がらせを受ける。ついに筆者は国外脱出を決意する。もちろんパスポート・チェックがある。ここで止められるだろうと思ったが、なぜかそこを通過してインドネシアに逃れる。ここで亡命申請の許可を待つ身になる。そこへオレゴン州から例の女性が訪ねてくる。これで温かくエンドになるかと早合点してしまった。筆者はその後、病歴がなかったにもかかわらず彼の地で謎の「病死」を遂げるのだ。

中国は2013年12月に労働教養所を廃止している。とはいえ、観終わって全く心は晴れなかった。


#378『スウィング・キッズ』(韓国・2018)

2020/3/18@シネマート新宿

朝鮮戦争時に国連軍が開設した巨済島捕虜収容所が舞台。ここには最大で中国共産党軍捕虜2万人、朝鮮人民軍捕虜15万人など最大で17万人の戦争捕虜を収容していた。米軍の将校である収容所の新任所長が収容所のイメージアップと捕虜たちの懐柔・融和のため、タップダンスチームの結成を思いつく。前職はブロードウェイのタップダンサーだった黒人下士官ジャクソンが指導者役を務め、北朝鮮軍捕虜の問題児ロ・ギス、民間人捕虜のカン・ビョンサム、中国人捕虜シャオパン、そして通訳の現地女性ヤン・パンネの5人でチーム「スウィング・キッズ」が誕生する。練習の光景などをみながら『フラガール』を思い出した。性は違うがジャクソンが松雪泰子、ロ・ギスが蒼井優だなと。クリスマス・イブには収容所内での公演が予定されていた。これが大成功を収めて、人種もイデオロギーも超えた厚い友情が築かれてめでたし、めでたしか。エンディングはみえたなと半分くらいのところで安心しきってしまった。なんでPG-12なんだ?

ところが半ば過ぎに、ロ・ギスの親友で筋金入りの金日成信者と北朝鮮軍の英雄であるロ・ギスの兄が捕虜として入所して、収容所内の空気が一変する。ロ・ギスにクリスマス公演中に油断している所長を射殺する密命が下される。あれあれ雲行きがあやしいぞ。そして迎えたクリスマス公演。5人は見事に踊り終え、さらにロ・ギスが1人で華麗に踊ってみせる。ますます次の展開が読めなくなる。そこで、客席にいたロ・ギスの兄が所長を狙撃する。逆上した所長は憲兵に「黄色いアカどもを全員射殺しろ!」と命じる。なんとジャクソンをのぞく4人が全員射殺されてしまうのだ。まさかの展開に慄然とした。

ジャクソンは帰国を命じられる。収容所を出るトラックの荷台に載ると、道ばたにむしろの下からタップダンスシューズがみえる。彼らの死体だった。何十年かしてジャクソンは観光ツアーで再び巨済島を訪れる。収容所は遺跡公園になっている。ジャクソンがロ・ギスと踊った回想シーンでエンドとなる。

「英語もできない野蛮人」と米兵が捕虜たちを罵るシーンが前半部分にある。野蛮人とまではいわないが、今も似たような空気がある。


#377『彼らは生きていた』(英ニュージーランド・2018)

2020/3/11@アップリンク吉祥寺

妻と観に行く。#375をドキュメンタリーとして復習できた。第1次大戦に志願して従軍した若者たちの前線での様子がカラー映像でよみがえる。カラーだけに迫真力がすごい。無残な死体の映像に何度も目を背けたくなった。ただ、オリジナルフィルムへのこの色づけは何を根拠にしているのだろう。その疑問がずっと頭を離れなかった。鑑賞後に読んだ映画評で納得した。「監督は最新のデジタル技術を駆使。帝国戦争博物館に保管されている膨大な記録映像を修復して着色し、バラバラだった映像の撮影速度を統一して自然な動きに修整」(1月31日付『朝日新聞』夕刊)。先に読んでから観ればよかったと後悔しても遅い。さらに、「ナレーションの代わりに、BBCが保存していた退役軍人のインタビュー音声を映像にかぶせた」(同)。これまた見事な手法なのだが、字幕が途切れず次々に出てくるので読むのに疲れた。なぜ志願したのかとの問いに「臆病に思われたくなかった」と語ったのが一番印象深かった。国家による同調圧力の醸成こそ最も警戒しなければならない。


#376『黒い司法 0%からの奇跡』(米・2019)

2020/3/6@新宿ピカデリー

1980年代にアラバマ州で起こった実際の冤罪事件に基づく作品。仕事帰りの黒人男性が警官に車を止められ逮捕される。18歳の女性を銃殺した容疑だった。本人にはまったく身に覚えがない。目撃証言だけが唯一の有罪の決め手だった。裁判で死刑判決が言い渡される。ハーバード卒の若い黒人弁護士ブライアン・スティーブンソンが、その無実の罪を晴らすために寝食を忘れて弁護活動に打ち込む。その努力が実って、再審の法廷で目撃証言は虚偽だったと証人は白状する。これで再審無罪かと思いきや、白人の裁判官は虚偽を裏付ける証拠はないとして、再審請求を棄却する。これにひるむことなく、ブライアンは冤罪事件をテレビ番組で取り上げさせることに成功する。世論は徐々に変化していく。州最高裁で検察側は新たな証拠を提出できず、無罪判決が言い渡される。

あらすじだけ書くとメデタシメデタシなのだが、実はこれはレアケースなのだ。アラバマ州をはじめ南部では黒人が黒人であるという理由で、白人の裁判官、白人だけの陪審員たちによって濡れ衣を着させられている。白人の弁護士も役に立たない。その現実が映画の随所に挿入されている。ラストシーンのあとの字幕で、アメリカでは死刑囚の10人に1人は冤罪で、おそるべき過誤率だとの字幕が出る。電気椅子での死刑執行のシーンもある。刑務官だけでなく何人もがそれに立ち会い、ガラス越しに執行の一部始終を見ることができるのにも驚いた。

 

#375『1917 命をかけた伝令』(独米・2019)

2020/3/5@シアタス調布

妻と観に行く。観ながら太宰治の『走れメロス』を思い出した。第1次世界大戦中の1917年4月のフランス。若いイギリス兵のトムとウィリアムが、重大な指令を最前線にいる司令官に伝えるよう将軍から命じられる。それはドイツ軍がいま撤退したのは罠で、追撃すると1600人の部隊は待ち構えるドイツ軍によって全滅させられるとの戦況判断だった。伝令となった2人は当初、至ってのんきにドイツ軍が撤退した無人の戦地に歩を進めていく。空き家に出くわす。空を見上げると友軍2機が敵軍1機を撃墜した。墜落する敵軍機を目で追っているうちに、その空き家に飛び込んできた。パイロットを助けだそうとすると、パイロットは銃剣でトムを突き刺す。パイロットはウィリアムに射殺されるが、トムもまもなく息を引き取る。これから向かう最前線には自分の兄がいたのだ。ウィリアムはトムの遺品をポケットに収めて、任務を続行する。やがてドイツ兵にみつかり必死で逃げる。ついには滝壺に落ちて川からあがるとそこに友軍がいた。これから攻撃する予定の部隊だった。ウィリアムはやっとの思いで司令官をみつけて将軍のメッセージを手渡し、司令官は攻撃中止を命じる。ぎりぎりで間に合ったのだ。そして、トムの兄にも会えて悔やみを言うところでエンドとなる。

第1次大戦は塹壕戦といわれる。映画の前半部分では、その塹壕内部の様子を2人の動きに合わせて十分にみせてくれる。全編ワンカットだからこその「名シーン」だとうなった。

#374『ジョジョ・ラビット』(独米・2019)

2020/2/17@TOHOシネマズ府中

妻と観に行く。ヒトラーを崇拝する少年ジョジョがヒトラー・ユーゲントの合宿に勇んで参加する。ところが、野ウサギを渡され、首の骨を折って投げてみろと言われてそれができず、周りから臆病者扱いされる。傷心のまま帰宅すると、実は母親がユダヤ人少女エルサを自宅にかくまっていることを知ってしまう。エルサに惹かれつつも、それとナチスの教えの間を葛藤するジョジョは、ついに短剣でエルサを刺そうとする。だが、剣先以上に短剣を押し込めない。母親はエルサのことがばれて、街中に首をくくられたままさらされる。その靴を抱きしめてジョジョは大泣きする。ジョジョがエルサに自由になったらなにがしたいと尋ねるシーンがある。エルサは踊りたいと答える。解放の日。エルサは通りに出て笑顔を取り戻して踊り出してエンドとなる。

重苦しい映画のように思えるかもしれないが、ブラックユーモアを交えたコメディなのだ。ただ、ドイツが舞台なのに台詞が英語なのはいただけない。というか、どこか醒めてしまって、完全に作品に入っていけなかった。


#373『パラサイト 半地下の家族』(韓国・2019)
2020/2/1@TOHOシネマズ府中

妻と観に行く。4人の家族が半地下でパラサイト生活をしている。スマホのWiFiも上階の住民の電波を拝借している。長男は大学を4回受けても受からない。その長男の大学生の友人が、留学するので自分が教えている女子生徒の家庭教師を引き継いでくれと言ってくる。応諾して家庭を訪ねると、半地下とは正反対の大豪邸だった。この長男は彼女の弟の家庭教師に自分の妹を、妹のずる賢いアイデアで運転手を自分たちの父親に、さらに家政婦に自分たちの母親を送り込んだ。企みがまんまと成功して4人は極貧生活から脱出できる目処がたった。

そこの家族4人がキャンプで不在の夜、彼らは豪邸のリビングで派手な酒盛りを繰り広げる。外は雷雨。そこに訪問者を知らせるチャイムが鳴る。4人は凍り付く。モニターをみるとやめさせられた家政婦だった。地下室に「忘れ物」をしたという。仕方なく招じ入れると、秘密の地下室があることを知らされる。前の住人が北朝鮮からの攻撃に備えて作ったもので、他人に知られたくないため今の住人にはそれを伝えなかったという。家政婦は前の住人の時からこの家に住み込みで勤めていたので知っていた。

「忘れ物」とは、なんとその家政婦の夫だった。こっそりと家政婦が食事を運んでいたのだ。地下室にはトイレまである。驚愕している4人のところに今度は家の夫人から電話が入る。豪雨でキャンプ場から退避してきてあと8分で帰宅する。夕飯のラーメンを用意しておけという。家政婦の母親はラーメンづくり。ほかの3人は散らかし放題のリビングの片付けと前の家政婦とその夫を地下室に押し込めるのに格闘する。そして、4人が帰ってくる。家政婦以外はリビングのソファの下などに隠れる。彼らが寝入ったのを確認してようやく家から抜け出す。

次の週末。庭で息子の誕生日パーティーを大勢の客を招いて開くことに。そこに前家政婦の夫が地下室から刃物をもって現れて、パーティーは流血の大惨事に。主人の日頃の「臭い」をめぐる差別的は発言に恨みをためこんでいた運転手は、その混乱に乗じて主人を刺殺してしまう。逃げ込んだのが例の地下室だった。生活の場は半地下から地下室へ変わったのである。しかも脱出できない。

現代韓国がすさまじい分断社会であることを、笑いにくるんで訴えかけてくる。地下シェルターと半地下と間の乗り越えられない壁。運転手役が映画『タクシー運転手』の主人公ソン・ガンホだったのはナイスキャスト。大笑いした。

 

#372『真昼の暗黒』(日・1956)

2020/1/27@現代国家分析の授業として

八海事件の裁判を題材にした名作。就寝中の老夫婦が惨殺された。犯行現場から捜査に当たったベテラン刑事は長年の勘から複数犯の仕業だと確信する。一人の容疑者を取り調べると、単独犯であることを迫真性を持って白状した。刑事のメンツにかけて、その「自白」を翻させるため、日夜厳しい取り調べというには生やさしいくらいの拷問にかけて、複数犯の犯行であることを「自供」させる。それに従って、その容疑者仲間で前科のある4人が「共犯者」として逮捕される。彼らも目を背けたくなるほどの拷問にかけて「自供」に追い込む。一審では全員に有罪判決が言い渡される。二審では熱意のある弁護士が担当になって、「自供」の不自然さを法廷で次々に指摘して単独犯しかありえないことを論証する。傍聴人はみな無罪を確信する。果たして判決は4人のうちの1人を首謀者として死刑に、当初単独犯を自白した容疑者を無期懲役に処した。死刑判決を言い渡された無実の容疑者が、拘置所の鉄格子から「まだ最高裁があるんだ!」と叫んでエンドとなる。

いったん刑事がこうと筋立てをたてると、それに沿うように自白がとられでたらめな調書がまかり通っていく。有罪慣れした裁判官は検察のいいなりである。しかも、厚労省の村木厚子元局長の逮捕にみられるように、これは決して過去の話ではないのだ。学生たちが裁判の怖さを肌身で感じ取ってくれればと授業で取り上げた。そこの学生、スマホいじってんじゃねぇよ!


#371『さよならテレビ』(日・2019)

2020/1/8@ポレポレ東中野

東海テレビ制作のドキュメンタリー映画といえば『ヤクザと憲法』をすぐに思い浮かべる。本作ではカメラは東海テレビ自身の報道局の番組制作現場をとらえる。NHKを除く在名テレビ局は4局あるが、東海テレビは視聴率で4位に甘んじることが多い。分刻みで示される視聴率データ、それに一喜一憂する幹部たち。やはり視聴率第一主義なのだ。

看板キャスターをメーンに据えて、大宣伝してはじめた夕方の報道番組の視聴率が伸びない。もはや若者はテレビなどみない。主たる視聴者は高齢者なのだ。それに合わせて、看板キャスターは1年で降ろされ高齢のキャスターが起用される。モニター室で、看板キャスターの突っ込み不足のコメントについて「SNSで叩かれるのを恐れているんじゃない」とつぶやいていたあるスタッフは、降板内定後の番組での彼のコメントをきいて「降板が決まって歯切れがよくなった」と評した。定年間際の裁判官がいい判決を言い渡すのと同じなのかと、おかしくなった。

派遣社員として報道局に入った若者は「使えない」として1年で首を切られる。それを「卒業」と称して花束を渡す幹部に、ベテラン記者が「そんなオブラートに包んだような言葉で」と吐き捨てる。顔を出さないことを条件に取材に応じた人物の画像処理を怠ってしまい、番組に本人の顔が流れてしまう大失態など。画面ではみえないところで様々な確執が交錯して番組がつくられていく。

〈記者はみなサラリーマン化して、権力の監視というマスメディアの使命など念頭にないのではないか〉と先のベテラン記者が語るシーンがよかった。

 

#370『存在のない子供たち』(レバノン仏・2018)

2020/1/5@アップリンク渋谷

妻に誘われて観に行く。舞台はカルロス・ゴーンが「高飛び」したレバノン・ベイルートのスラム街。手錠をかけた少年ゼインが裁判所に原告として登場し、両親を、自分を産んだことが罪だとして訴える衝撃的なシーンからはじまる。両親はゼインの出生届を出しておらず、法的にはゼインは「存在のない」ことになる。推定12歳として裁判は進められる。ゼインの手錠は少年刑務所で5年の刑に服しているためだ。その経緯を説明するため映画は過去にさかのぼる。

両親は子だくさんの一家を養うために、ゼインを小学校に通わせずに働かせていた。そんな苦境のなか、ゼインは妹のサハルをかわいがっていた。ところが、大家から立ち退きを迫られた両親はサハルを嫁に差し出してしまう。憤慨したゼインは家出をする。遊園地をさまよっていると、清掃員として働くエチオピア難民の少女ラヒルと出会う。少女といってもラヒルには赤ん坊ヨナスがいた。その子の面倒をみることでラヒルの住まいに居候させてもらうことになる。

あるときから、ラヒルは家に戻らなくなる。住まいも退去させられる。ヨナスを抱えてゼインはあてどないその日暮らしを余儀なくされる。身分が証明できれば公的扶助が受けられることを知ったゼインは、自宅に帰って証明書を父親に求める。父親は証明書ならたくさんあるといって、家賃の滞納・督促を通知する書類をこれでもかと見せつける。そして病院の証明書も。ゼインは嫁いだサハルが死亡したことを知る。家の包丁を持ちだして出て行く。

裁判にシーンは戻り、サハルの夫が車椅子で証人として出廷する。ゼインがその夫に半身不随の重傷を負わせたことがこれでわかる。裁判の終盤に母親が身ごもったとゼインに知らせる。ゼインは「子どもをつくるな!」と叫ぶ。自分のような境遇の子どもが増えるだけなのだ。

ラストはゼインの証明写真の撮影シーン。撮影者から「生まれてはじめての証明書なんだから笑えよ」と言われて、ゼインが本作全編を通してはじめての笑顔をみせる。すばらしい笑顔だった。

ゼインのような「存在のない子供たち」は、この世にあまた存在することだろう。胸がふさがる思いとはこのことだと痛感した。

#369『男はつらいよ お帰り 寅さん』(日・2019)

2020/1/1@TOHOシネマズ府中

新潟の実家で一人暮らしをしている母親を昨年11月に相模原の高齢者施設に入居させた。年越しには拙宅に招き、元日に母親も好きな寅さんを観に連れ出した。私は寅さんシリーズ49作のほとんどを観ているが、恥ずかしながら映画館で観たことはなかった。その贖罪も兼ねて22年ぶりの第50作を劇場で楽しんだ。

寅さんの甥の満男が小説家になっている。娘はいるが妻は6年前に病没している。満男の最新作が好評を得て、都内の書店でサイン会を催すことになった。たまたまその書店で満男の高校時代の恋人・泉が本選びをしていて、満男のサイン会に気付く。泉はヨーロッパ在住で難民救済の国際機関に勤めていて、出張で日本に来ていたのだ。満男は泉の登場に腰を抜かすほど驚き、今では両親の住む懐かしい「くるまや」へ案内する。すっかりおじいちゃん・おばあちゃんになった博とさくらが歓待する。高齢者仕様に土間から居間に上がるための手すりが据え付けられている。

次の日、泉は満男に説得されて、許せない思いをずっと抱いていた父親に会うために、父親が入所する高齢者介護施設に満男の車ででかける。離婚した母親も大阪からかけつける。せっかく訪ねてきたのに元夫に冷たくあしらわれて、母親は激怒して帰りの車内で泉と大げんかする。満男は懸命になだめる。

さらに翌日、満男は泉を空港に送る。別れ際についに満男は妻と死別したことを泉に打ち明ける。なぜ今になってと問う泉に「君に負担をかけるといけないと思って」と答える満男。泉は「満男さんのそういうところが好き」と満男と抱擁を交わす。泉は機上の人となり、満男のつかの間の恋は終わる。

随所に回想シーンが挿入され、寅さんとくるまやの昔日の名場面が銀幕に復活する。みんな若い! ラストは歴代のマドンナたちがワンカットずつ映し出される。京マチ子(第18作)だけは「寅さん、人はなぜ死ぬんでしょう」と台詞付きで。超高齢社会のいまの日本が裏テーマなのだ。
エンドマークが出ると、劇場内から拍手が起こった。こんなのはじめてだ。


#368『サイゴン・クチュール』(ベトナム・2017)

2019/12/24@新宿K's cinema

アオザイの伝統ある仕立屋に生まれ育った「ミス・サイゴン」が1960年代末から2017年にタイムスリップして、自暴自棄なおばさんになった未来の自分に出会って、仕立屋を再建するという話。ベトナム戦争や南北ベトナム統一など政治的な描写はいっさい出てこない。サイゴンはホーチミンに改称されるが、それもまったくスルーされている。そういう期待や見方をしてはいけないのかもしれないが。ベトナムで大ヒットしたというがどうもついていけない。NHKのかつての連ドラの「カーネーション」を思い出した。 


#367 『ファイティング・ファミリー』(米・2019)

2019/12/18@渋谷シネクイント

原題はFIGHTING WITH MY FAMILY。つまり邦題の「戦う家族」ではなくて、「自分の家族といっしょに戦う」。たまたま2回連続で家族の絆をテーマにした作品をみることになった。イギリスのプロレス一家に生まれた少女サラヤ(リングネーム・ペイジ)がアメリカのメジャー・プロレス団体WWEの王座に就くまでのひたむきな努力を、実話に基づきながらもコミカルに描く。ストレス解消にはもってこいの映画だった。

兄ザックもプロレスラーで同じ夢を抱いている。二人はWWEのトライアウトに挑む。そこで二人はWWEのスーパースターであるドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソン(本人が出演している)にプロレスで成功する秘訣を尋ねた。“ザ・ロック”は“Be the first you”(人をまねず自分であれ)と答える。いい言葉だ。

そのトライアウトにサラヤは合格するがザックは不合格に。幼い頃、レスラーのシューズをみただけでだれかを当てられたくらいプロレスに情熱を注いでいたザックは、ふてくされてしまう。近所の子どもたち(目の見えない練習生もいる)を集めて経営していたプロレス・ジムの仕事もさぼりだす。一方、サラヤは渡米してレスラーとして成長していく。クリスマス休暇で帰国したサラヤとザックは地元のリングで対戦する。サラヤに花を持たせる筋立てだった試合で、ザックはそれを無視して本気を出しサラヤにフォール勝ちして憂さを晴らす。試合後にサラヤに問い詰められて、ザックはサラヤへの妬みをぶちまける。サラヤはアメリカでの孤独感と焦燥感を打ち明け、一方でザックのジムでの仕事のすばらしさを讃える。目の見えない子にもプロレスを教えるなんて、と。ザックはやがてサラヤの励ましを受け入れ、ジムの仕事に打ち込むことになる。くだんの練習生がザックの指導で、コーナーポスト最上段から華麗な技を決めるシーンには涙がにじんだ(のちに彼は本物のプロレスラーになる)。

彼らの父は殺人を犯して服役したのちプロレスに出会って更生して、ジムを開いた。母親もプロレスラーだ。家族の会話には下品な言葉がしょっちゅう飛び交う。最初は聞くに堪えないなあと引いてしまったが、徐々に「お高くとまってんじゃねえ」というメッセージなんだと合点がいった。プロレスに仮託した人生賛歌になっている。 


#366 『家族を想うとき』(英仏ベルギー・2019)

2019/12/14@新宿武蔵野館

イギリスの社会派監督の巨匠ケン・ローチの最新作。さすがの着眼点に圧倒されっぱなしだった。社会の底辺でいじましいくも必死に生きる家族4人を描いた哀しい傑作だ。

夫で父親のリッキーは職を転々としたあげく、個人事業主となって宅配会社とフランチャイズ契約を結ぶ。配送に使う車は自分で用意しなければならない。妻で母親のアビーは介護士で高齢者宅を次々に自分の車で回って彼らの世話をしていた。リッキーの車を購入するためアビーは車を手放す。リッキーは2年がんばれば借家暮らしから逃れられると、食事もトイレの時間も惜しんで荷物を届け続ける。荷台には尿瓶も積んでいる。アビーはバスでの移動になってさらに労働時間は延びる。ただでさえわがままな高齢者に手を焼いていたのだが。

高校生の長男セブと中学生の長女ライザは毎晩ピザなどでわびしい夕食をとる。セブはぐれはじめ、ライザはお父さんがこんな仕事をはじめたからだと、車のキーを隠してしまう。リッキーはセブを疑いついに手を上げる。日給制なので車を出せなければ収入がなくなるどころか罰金まで科せられる。ライザが告白して、リッキーはようやく我に返る。個人事業主とは聞こえはいいが、実態は巧妙で過酷な搾取のシステムなのだ。しかし、罰金を支払うには配送の仕事を続けるほかなかった。

ある日、リッキーは荷物を荷台から出しているところを若者たちに襲われる。そして、荷物を奪われたばかりか、手の骨を折られ、まぶたを腫らせて片目がふさがるほどの大けがをする。病院でアビーと待っているときに、宅配会社から電話が入る。盗られた荷物のうちパスポート2冊は保険がきかないから500ポンドは自腹で払ってもらうと。内容をきいたアビーがリッキーからスマホを奪い取り、堰を切ったように下品な言葉を浴びせかける。訪問先で高齢者に下品な言葉は禁止といっている自分がとアビーは自分を責める。リッキーは治療を繰り延べてアビーと帰宅する。

翌朝6時過ぎ、ミルクにシリアルの簡単な朝食をとったリッキーは“Sorry, we missed you”と書かれたこの会社の不在連絡票にアビーへのいたわりのメッセージをしたためて仕事に出かけようとする。“Sorry, we missed you”が原題である。気付いたセブは必死に車を止めようとする。とても運転できる状態ではないのだ。やがてアビーとライザも起きてきて車にしがみつく。ところが、リッキーはこの3人を振り切って仕事に出ていく。この運転シーンでエンドとなる。

観ていてどんなラストになるのかと気になって仕方がなかった。この閉じ方はすごい。家族を想うならぼろぼろになっても働かなければならないのが、自己責任を美化する新自由主義経済の掟なのだ。質素ではなく粗末な食事。せいぜいのぜいたくはインド料理の持ち帰り。くすっと笑える箇所はそれを家族でつつくシーンの1か所しかなかった。 


#365 『陸軍前橋飛行場』(日・2019)
2019/12/8@ポレポレ東中野

この日に開戦したアジア・太平洋戦争について、吉田裕『日本軍兵士』(岩波新書)の時期区分によれば第3期─戦略的守勢期にあたる1943年5月に、陸軍は現在の高崎市(当時の堤ヶ丘村など)に飛行場の建設に着手する。地主から土地を強制的に買収して急ピッチで建設工事がはじまる。工事には前橋刑務所の囚人や朝鮮人もかり出された。その様子を80歳を超えた生き証人たちに次々と語らせるドキュメンタリー。
飛行場の完成は1944年8月で、上記の時期区分に従えば戦況は第4期─絶望的抗戦期に突入していた。急拵えのため飛行機が滑走路からうまく離陸できない事故が多発した。やがてここから訓練を終えた特攻隊の飛行機が九州南部の基地へ飛び立っていく。それを見送った当時の女学校生徒の証言にその情景を思い浮かべた。当然、前橋飛行場は米軍機の攻撃対象になった。日本にはレーダーがなかったため、計算尺で対空砲の角度を計算して打ち落とそうとするが、間に合わずにむやみやたらに撃ちまくるしかなかった。米軍ならブルドーザーであっという間につくるのだろうが、前橋飛行場ではもっこをかついでの作業だったので、完成に1年以上もかかった。こんな証言からも、いかに無謀な戦争だったかを痛感した。 

#364 『テルアビフ・オン・ファイア』(イスラエル,仏,ベルギー,ルクセンブルク ・2018)

2019/12/1@新宿シネマカリテ
「テルアビフ・オン・ファイア」というイスラエルとその占領地での人気連ドラの制作現場に、パレスチナ人青年サラームが叔父のつてで脚本家見習いとして働くことになった。脚本がおかしいとサラームがクレームをつけたことで脚本家は激怒して降りてしまう。お鉢はサラームに回ってくる。とはいえ、サラームは脚本など書いたことがない。
占領地に住むパレスチナ人はイスラエルに仕事に行くのに、検問所でIDカードを必ず提示しなければならならない。サラームはそこで待っている間も車内で脚本の構想を練る。その紙をイスラエル軍兵士に取り上げられ、検問所主任のアッシの尋問を受ける。
サラームの仕事を知ったアッシは、自分の妻がこの番組の大ファンで結末は自分の言うとおりにしろと命じる。その後サラームは検問所を通るたびにアッシに脚本について相談し、いつしか二人の間に友情が芽生える。それがコメディ仕立てに描かれていく。とはいえ、アッシの求めた結末とは、イスラエル軍兵士とパレスチナ人女性が結婚するという現実的にあり得ないものだった。悩みぬいた末にサラームは、その結婚式を執り行うラビ(ユダヤ教の聖職者)に新人俳優としてアッシを起用するという奇策を思いつく。アッシも検問所の仕事をいやがっていたのだ。
ところで、中東料理のフムスはアッシの大好物で、脚本の助言と引き換えにそれをサラームにねだる。一方でサラームはフムスが大嫌い。第1次インティファーダ(1987年〜)でサラームは収容され、毎日缶詰のフムスばかり食べさせられたからだと、ラスト近くでアッシに打ち明ける。
映画の端々に占領地で暮らす人々の生きづらさが散りばめられている。アッシにIDカードを取り上げられたサラームが自宅に帰れず、ベルリンの壁のような分離壁に沿ってとぼとぼ歩くシーンはもの悲しい。だが、それらを笑いにくるんだところにこの映画のすごさがある。


#363 『i 新聞記者』(日・2019)

2019/11/6@明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1011教室(試写会)

菅義偉官房長官と記者会見でバトルを繰り広げる東京新聞の望月衣塑子記者の仕事ぶりを追跡したドキュメンタリー。望月記者の速射砲トークが次から次へと炸裂する。記者会見とは「空気を壊す」ことに意味があるとの彼女の同僚記者のコメントが心に響いた。また、なぜタイトルの冒頭に「i」を冠したか、ラストで森達也監督が押しつけがましくなく語ったのもよかった。ただ、抑うつ気分マックスのときだったので、ときどき観るのがつらくなった。



#362までの鑑賞映画については、次をご覧ください。
http://www.nishikawashin-ichi.net/movies.html